第11話/9 カカシとドロシー

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 一つの大きなベッドは、その双子に宛がわれたものだ。今は、その中に小さな子どもが三人。


 閉め忘れたカーテン。この夜の月は大きく、差し込む光は仰向けに眠る、飴色の髪の少女のねむりさいなんだ。


 暑くも無いのに、そうして寝苦しそうに眉を寄せる少女を、自らの半身と片手を繋いだまま、見ている。




 ――息を殺す。隣で眠る、あまりにも無防備な姿に、



 繋いだ手を離し、そっと少女の上に乗る。


 月光を遮る紅茶色の髪。少女の眉からは険しさが抜け、穏やかに起伏の無い胸を上下させている。



 憎しみを正しく認識できるほど、その人生は積み重ねられていない。まだ、たったの七年なのだ。


 そして、彼らふたりの人生の全てが、七年だった。そのどの時間にも在ったモノを、眠る少女の父親に奪われた。


 道理をまだ知らない。


 倫理を培うにはまだ、時間が足りていない。


 ――理解できたのは、子どもじぶんでは大人を殺せない、という当たり前だけ。


 奪い返そうにも、取られたものは替えが利くものでもなく。生涯あのよるの光景が脳裏に焼き付いたまま離れないであろうことは、なんとなく理解できていた。



 だから、この瞬間の彼の動機はひとつだけ。


“大切なものを奪われる痛みを、知れば良い”


 それは、よく考えずとも解る――この少女を新たな被害者として練成する、加害者への復讐だった。



 ……細いくびに右手を伸ばす。開いた掌は、その細い頸さえ包み込みきれないほどに小さい。


 今や亡き父親が愛用していた白陶器を思わせる肌から、子ども特有の高い熱が伝わる。



「…………、っふ、」


 握り締める力は、自分のモノとは思えない程に強く。


 理由ワケも解らず、少女の頸を締めようとする左手を封殺するように、


 どうして。


 どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、



 僕は僕を、止めようとしているのか。


 自らのうちに発生する、理解の及ばない葛藤。



 僅かに顔を上げる。


 ――そうして彼は、自分を見つめる少女の瞳に気付いた。



 呼吸が止まる。今まさに、止めてやろうとしていたのは自分の方なのに、少女の視線に息ができない。


 少女は人形のように精緻に創られた、幼いながらも美しい顔を曇らせることなく、少年よりも小さな手を伸ばし、自らの頸を締めようと足掻くその手を包んだ。







 いいよ、と唇が動く。




「あたしのパパが、あなたのパパとママをとっちゃったから、いいよ」



 潔さを感じさせるよりも、寒気を覚えるその知性の高さ。


 この、天真爛漫を絵に描いたようなひとつ年下の少女は、自分などよりよほど――



 そして。悲鳴すら上げることなく、根を上げたのは少年の左手だった。


 からからに乾いた喉から、か細く絞り出される、精一杯の怨嗟つよがり



「…………ぼくは、きみのことが、きらいだ」


「うん、それでも、いいよ」




 十年前の夜。月明かりに霞む、ふたりの最初の秘め事。



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 ――瞳は閉じたまま。随分と懐かしい夢を見たなあ、と目を覚ましたドロシーは暫し追憶する。


 また、眠っている間に泣いてしまったりしてないだろうか、と瞼に手を伸ばそうとして、動けないという現実に直面した。


 瞳を開ける。目の前にはハイネの寝顔。彼女の両手が自分の両手を握っていた。


 なるほど、と納得。


 大事な友人を起こさないように、その手をそっと解いて、なお彼女は自由の身になれなかった。


 マリアが自分を抱き枕にしている。腰の前でがっしり両手を組まれてしまっていて、これは起こさないように外すのは苦労しそうだなあ、と朝イチの苦笑を浮かべたところで、テーブルに置いた携帯電話が鳴り響く。


 その時点で友人ふたりへの気遣いは消失した。マリアージュ=ディルマの拘束を「よいしょ」と外し、ベッドのスプリングを利用して跳ね起きる。地震に見舞われたかのように一気に覚醒する二人に構うことなくベッドから飛び降りて携帯電話を取った。


 通知には少女の一番大事な少年の名前。


 何度も何度も繰り返された電話にも関わらず、通話のボタンを押す前に胸に手を当てて深呼吸を一回。


「なにごとっ!?」


「あら? ドロシー様? あらあら?」


 と事態を飲み込めない二人を背に、電話を耳に当てた。



「もっ、もしもしっ! カカシ!?」


 同世代の同性との交友に乏しいドロシーは知らない。


 ――彼女たちは、の話題に対して、驚くべき反応速度とリアクションを誇る生物なのだと。


 きゃあーーーっ! と色めき立った声がベッドの方から鳴り響く。


「おはよう、ドロシー。後ろで何かあった? 騒がしいけど」


「ううん!? なんでもないよ!? おはようカカシっ! えっとね、昨日はハイネとマリアが来てくれてねっ、一緒に寝てたのっ! それだけっそれだけだから!」


「うん、うん。そう……それでさ、ドロシー。今日、アルフォートの屋敷においでよ」


「え、うち? いいの?」


「……別におかしいことじゃない。この家はそもそも、君の家なんだから。おかしいと言えば、ドロシーが今年は来なかったっていう気の回し方でしょ」


「う。……カカシが良いなら、行きたいけど」


 ちらり、と後方を窺う。もはや友人から観客にジョブチェンジした蓮花寺灰音とマリアージュ=ディルマは互いの両手を重ねながら目をきらきらさせて電話をする少女を観ていた。


「……行く」


「そう。じゃあ伝えとくよ。レイチェルに頼んでおくから乗っておいで」


「う、うん。じゃあ、またね、カカシ」


「はい。良い一日を。じゃあね」


 ふう、とため息を吐き出して電話を切る。



「あ、あのねっ二人とも」


「おはようございますドロシーちゃん。用事が出来たみたい?」


「おはようございますドロシー様。ご仕度をお手伝いさせてくださいまし?」


 カカシの声は電話を貫通する程に大きくなどない。なので彼の声は一つとて二人には聞き取れていない筈なのだが、どうしてその察しの良さはエスパーじみていた。



「ごっごめんね、あたし、行かなきゃなんだ。せっかく二人も来てくれたのに」


「良いよ、行ってらっしゃい。こういうスケジュールの空き方は寧ろ喜ばしいと思う」


「はい。わたくしとハイネちゃんは本土でショッピングしますので」


「えっマリアさんそれ初耳なんですけど!?」



 ――などとたいへん騒がしく。顔を真っ赤にしてしまった少女を取り巻く環境は、こうして新たな一日の始まりを告げる。




 身支度を整えて砂浜に出ると、そこには既にカカシの愛機・HT2S――レイチェルが佇んでいた。


《Pi。おはようございます、ドロシー様》


「おはよう、レイチェル。今日はよろしく。ごめんね、乗るのがカカシじゃなくって」


《Non。経緯はマイスターより伺っています。良い一日をお過ごしください》


 赤い飛行艇に乗り込んで、見送りの二人に小さく手を振る。


「いってらっしゃい」


「うん、行ってきますっ」



 水上を走り始める飛行艇。入り江の入り口にその姿が消えた後、思い出したように蓮花寺灰音は疑問を口にした。


「……あれ。でもショッピングって、どうやって此処から抜け出すんです?」


「ボードに決まっているじゃないですか。何を仰りますやら……」


「あ、あのマリアさん……私、初心者……」


「日頃の成果を見せる日が来ましたわね?」




 ――さて。この二人がそれからどれくらいの時間をかけてショッピングに出撃できたのかはまた、別の話。



 /第11話 足無しカカシとサンデイ・ウィッチ 完

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