第11話/8


 カーテンを開ける。しらむ空には、かろうじて居残って夜に逃げ込んだような星がいくつか。


 アルフォート家のほとんどはまだ眠ったままだ。そんな中で、階下に広がる庭園に、ひとりの姿が見える。灰色がかった艶やかな長い髪と、手には華美な装飾の施された騎士剣の鞘。


 冷たい夏の朝日を反射しながら、鞘から抜かれる刃の音が、窓を閉めたままなのに聞こえた気がした。もちろん、錯覚だろう。


 パーカーに袖を通す。両親への顔見せは済んだので、いつもの格好で良い。





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 刃の閃きに淀みは無く。横薙ぎに空気が斬り裂かれたのを確かに見た。


 動きが止まり、次の動作に移るまでの間に声をかける。そうでもないと、気付かれるか、本当に終わりまで待たなくてはいけないから。


「おはよう、早起きなんだねベディ。それに勤勉なんだ」


「あら若、おはようございます。……盗み見は頂けないわよ?」


 顔だけ向けた後、ベディは水平に止めた剣の腹を縦に返し、それからゆっくりと僕の方に向き直った。


「うん、だから直接見に来たんだ。そのっていうの、やめない?」


「なぁに、ソレ。レオみたいにの方が良いってコト。おねーさん傷つくわぁ」


「レオのは馴れたけど……いいじゃないか、カカシで。ところで本当に、鍛錬なの?」


 まぁね、とベディは肩を竦める。


「アタシは荒事担当だから。いざって時に普段通りのスペックを出せないなんて駄目なのよ」


「ふぅん、真面目なんだ。でも意外だったよ。昔はこんな場面、見たことなかったし。それにが鍛錬だなんてさ。……汗をかくから嫌がりそう」


「だから涼しい時間にこうしてやってるんじゃない。それに、今言ったでしょう? がきちんと機能する為よ。それから、見られたくないのはアタリ。努力してる姿は気恥ずかしいわぁ? と同じじゃあない?」


「だから若はやめてよベディ。謝るからさ、ごめん。今朝は眠りが浅かったみたいで、もっと遅くに起きる予定だったんだ」


 そぉねぇ、と顎に人差し指を当てて目を逸らして考えているベディ。





「――じゃあ、一緒にやりましょうか。若がアタシから一本取れたら、次からカカシって呼ぶわぁ」


「僕が、ベディと? まさか、勝負になんないでしょ」


 相手はアーサーの右腕――欧州最大のマフィアのボスにしてミリオンダラー三番【ザ・ゴッドファーザー】の腹心。若き最高幹部で何より……アルフォートファミリー随一の戦闘能力を誇る『騎士』。


 名をベディヴィエール=バルフレア。


 柔和な笑みを浮かべるこの人物の、騎士というのは通称ではない。


 マフィアの構成員にして、本物の騎士爵位だ。


「アタシに敵わないなら、到底アーサー様に届かないと思うのよねぇ……まぁでもお遊びみたいなものだし? アタシも素振りより相手がいた方が捗るのよ。どう?」


「……じゃあ、うん。胸を貸してもらうよ。お手柔らかにお願いします」


「ハァイ、喜んで。今は離れちゃってるけど、アタシはあなた達のおねえさんみたいなものなんだから、遠慮しなくていいのよ、若」



 パーカーのポケットからナイフを取り出す。これは昨日、アーサーに向けた物じゃなくて、僕が普段から持っている……本来の武装だ。


 深呼吸を一回。


 そうして、きちんと朝が訪れるまで――訓練とは名ばかりのチャンバラごっこが幕を開けた。



 /



 キン、キンと小気味良く刃が合わさる音が響く。


「思ったんだけど」


「なぁに」


「確かに僕は戦闘面で不安は否めないけど。この時代に『対剣』ってどうなのかな、って。需要あるの?」


 踏み込んでの刺突。ベディはそれを身体を半身にすることだけでかわしきる。


「アナタは自分の立場が解ってないわぁ。若はミリオンダラーなのよ? アナタたちを狙う相手も、小競り合いをする相手も、時代錯誤な連中が居ないわけないじゃない」


 答えながら頭に降り下ろして来た剣をナイフで受け止め、滑らせる。重さは無い。やっぱり相当に手加減をされている。


「まぁ、うん。レオの話じゃ不思議の国ワンダーランドの一人は剣士だったって話だけど」


「何事も経験よ。ま、荒事の経験値なんて発揮されない方が良いんだけど。そういう道を選んだのは若でしょ?」


「なら少しくらい本気で稽古付けてもらおう、かなッ!」


 身を沈める。一歩で懐に――





「え。やぁよ、若を傷物にしたら他の連中にぶっ殺されるわぁ」


 ――その後の予定を全て封殺する切っ先が、僕の目の前でぴたりと止まっていた。


「でも最後の踏み込みは良かったから、はサービスね」


 そしてにこり、と笑う。僕は息を吐いてナイフを番えた両手を下げた。


「負けました。本当に強いんだね、ベディ」


「若って呼び方、自分でも気に入ってるからムキになっちゃったわ? うふふ、またいつでも声をかけてくれてイイからね」


 剣を鞘に戻して、空いた右手が僕の頭をくしゃりと撫でた。


 そこに、欠伸をしながらレオが現れた。





「朝っぱらからご苦労なこって。ベディ、ウチの坊いじめてンじゃねェよ」


「あら、ご挨拶ねレオ。やぁねぇ兄貴風吹かせちゃって」


「ハッ。相ッ変わらず気色悪い口調だぜ。よくもまぁそれでオヤジさんの右腕なんざ勤まってンなぁ」


「うふふ。アンタこそ相も変わらず粗暴な口調。矯正した方が良いんじゃないかしら。そんなだからを干されたんじゃなーい?」


「あぁ? 俺ぁ好きで坊と姫の側に付いたんだ、勘違いしてンじゃねえぞ


「――おい今なんつったテメェ」


「おいおい、が出てンぞ騎士サマよぉ」



 互いの得物を抜きかねない空気が一瞬で構築される朝。


 僕はそっと、後ろに下がる。



 今日は、賑やかになりそうだなあ、なんて思っていると。


「なぁに若、笑っちゃって。アタシこれでも本気でレオを抹殺しようと思ってる最中なんだけど」


 ――そうか。僕は、笑っていたのか。


「……ううん、なんでも。お手柔らかにね、ベディ。紅茶淹れてくるよ。ふたりは?」


「あら、若の紅茶! それはご一緒したいわぁ。……レオ、若に免じて預けてあげるわ」


「坊、俺ぁコーヒーが良い」


「アンタは少しは足並み揃えなさいよ!」



 うん。ほんとうに、賑やかな一日になりそうだ。

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