第10話/10


「あなたは……“反対の人”ね?」


「……?」


 天井の安い蛍光灯を見上げていたスズは、紡がれた言葉に視線を下げる。


 腕に抱いた女は幸せそうな顔で、目を閉じたまま続ける。


「街や皆、わたしが騒いでいる時は、とっても静か」


「わたしが見ている時は、どこか別のところを見ていて」


 ひとつひとつを、思い出しては当てはめるように。


「わたしが熱くなっている時には、とても冷静に見ている。……違う?」


「さぁ……どうだろうな、」


「だ」


 そうして、少しつかえた語尾を先取りして、悪戯を成功させた猫のように笑った。


「だから、“反対の人”。【大強盗】OZの壊し屋は、穏やかな日常を爆発させる」


「もしかしたら、わたしが見ていない時に、わたしを見てくれていたかもしれなくて」


 そうだったら良いのに、という願望を込めた推測を、続けていく。


「わたしが冷たくなっても、その時はあなたに熱が生まれている」


 シーツの中で、爪を薄い赤色で飾った白い指が、大男の身体に幾重にも塗られた傷痕を、いつくしむようになぞって。


「だからきっと、あなたの傷は、みんなが幸せな時に、生まれたものなのよ」


「…………」


 スズは答えない。胸を這う指先が、てのひら全部になって、撫でるように首へ。そして、一際大きく刻まれた顔のきずに触れても、身じろぎひとつしない。


「――ふしぎなひと。恋なんて、落ちるものだけだと思っていたのに」


 そしてそれは今現在、ルル・ベルの中で間違ってもいなかった。それがいつだったかさえ思い出せない頃、吸血鬼に憧れたあの衝動は、言葉のまま落下に等しいモノだった。


 なのに、と続く言葉を飲み込んで。


「、わたしは。……わたしが【空席】を埋めるわ。だからスズ、教えてちょうだい?」


 硬い肌に爪を立てる。吸血姫の渾名に相応しく、その強靭な首筋に、唇を寄せて。


「その景色を、見たいの。わたしは」


 這う舌は甘く、突き立つ牙は冷たく、滴る赤は、熱い。




「わたしの手を取って。……


「…………」


 彼女の見立てが正解かどうかは解からない。ただ、それに添うように。


 爪を立てた手首を掴み、反転する。女はふるり、と一度だけ身じろぎして。


「やっぱり、反対のひとだわ?」


 それでも笑った。




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 ルル・ベルが目を覚ますと、ベッドの中は本来の積載人数に戻っていた。小さな音がする方向へ目をやると、いつ抜け出したのか、スズがワイシャツのボタンも閉めず着崩したまま、コーヒーを淹れている。


 銜えた煙草から流れる煙は、バニラの香りがした。


 フィルターの中で、熱湯を受け膨らむ粉。バニラに合わさり漂い始めるコーヒーの香り。


 慣れた手つきで、均等に注がれる熱湯。コーヒーケトルの口から伸びる、透明な一本の線。


 緩やかな螺旋を描く手を、しばらく、呆として眺めていた。


 何も考えなくて良い目覚め。忘れていることを許されている、ここ数日彼女が手から離してしまっていた、贅沢な時間。


 なんてことはない、日常。


 ――あるいは、これこそが。日々の平和をかき乱し、自身に値札を付けられてなお変わることのないスタイルを貫く強さこそが、ミリオンダラーと呼ばれる賞金首に必要な“前提条件”なのかもしれない。


 だとしたら、わたしはまだまだ、情報屋の言う通りの新米で、彼はその道の先輩だ、と小さく笑った。


「ねえ、スズ――と思う?」


 シーツに身を包んだまま、声を投げる。


 に挑んだ口から、何故存在するのか、ではなく。


「…………」


 スズの手は淀まず、フィルターを外したコーヒーポットから、二つのマグカップにコーヒーを注いだ。


「……そんなもの、、だ」


 ――それが全て。そしておそらく、完全な正解だった。


「……ふふっ、あはははははっ! そうね、その通り。ごめんなさい、スズ。ブラックでは飲めないの。お砂糖、あるかしら」


 スズの片眉が上がる。キッチンの上のラックから、角砂糖の入った瓶を取り出し、ゆっくりと一つを入れ、ルル・ベルの顔を見ながら、もう一つ。手を止めて窺う。


 何も着ていない肌を晒すことではなく、別の羞恥から左手がシーツを巻き込み、赤く染まった顔を隠すように俯き。


 それでも右手で、人差し指もうひとつ



 なるほど、反対といえよう。


 その時、彼女は彼の浮かべた小さな笑みを、見れてはいなかった。


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