第10話/9
スズ、という男の特性のひとつに『目立たない』というものがある。それは見た目に起因するものではなく、纏う空気のようなものだ。
スズをスズとして、その風貌をきちんと認識しない限り、
のだが。
「あなたって本当に、有名人だったのねえ」
「…………」
ため息をひとつ。その彼が持つ特性も、今回ばかりは分が悪い。それというのも、彼が妙な展開から連れ歩くことになったこの女性――ルル・ベルの『目立ち方』にある。
わかりやすく、言葉の通りに、彼女はとても、人目を惹く。
すらりと伸びた手足も、まつ毛の長い瞳も、フリルブラウスの白生地に包まれた豊かな胸も、コルセットスカートに締められた腰も、ふっくらとした唇に乗せたルージュも、その栗色の長い髪も。全てが人を、惹き付ける。チープな言い方をするのなら、彼女は『思わず振り返る程の美人』というやつだった。
そして振り返った先には、その視界に収めたい美人と――いかにもカタギでない男、が一緒に入る。見たのが一般人なら慌てて目を逸らすものだが、中にはこの、見るからに見るからな男……をこそ標的にしている連中もいた。
そんなわけで、何度目かの熱烈なアプローチ――ただし受けたのはスズ――をさらりと打ち砕いて、ふたりは目的地に向かう。
その、淀みのない障害突破に、ルル・ベルは内心、舌を巻く。
おそらく、出会った夜も、そうだったのだろう。
銃を使わず、悲鳴も上げさせず、すみやかに意識を刈り取る……あるいは、悶絶させていた。圧巻の人体破壊技能。彼女は何度も息を飲み、最後のひと悶着では賞金稼ぎが構えた銃が一瞬でマガジンを抜き取られたところで思わず手を合わせてしまったりなどした。
そうしてスリリングな道程は一旦終わりを告げ、目的地のホテルでスズはフロントから鍵を受け取り、そのままホテルを後にした。
ホテルの隣に店を構えたレストランに入り、カウンターで紙幣と瓶ビールを二本交換。一息付くのか、と思いきやフロアを横断。裏口から外に出てしまう。
――やがて辿り着いた部屋の前。スズはホテルのフロントで受け取った鍵を差し、その段でルル・ベルは「まあ!」と小さく声を上げた。
OZのアジト――ではない。スズ個人としての、数ある隠れ家のひとつ。
玄関でスイッチを押すと、灯りが点る。ドアの向こうに広がっているのは必要最低限の家具だけが置かれた部屋だった。端の痛んだ丸テーブル。ブラインドの閉じた窓。窓の下に、隙間の目立つ、背の低いブックラック。
彼女が足を止めて、スズの背中から見える限りの部屋を眺めていると、その気配に気付いた彼は振り返り、ネクタイを緩めながら訝しげに見つめた。
これまで、何も言わずに付いてきてしまった女が、少しの不安をたたえた笑顔でこちらを見ている。
「……入らないのか、だ」
「入っても、いいの?」
突然の奥ゆかしさ。何事だろうか、とスズは怪訝さに眉を更に寄せて、しばらく。
ああ、と
「どうぞ。鍵は閉めるように、だ」
「ありがとう!」
ひとつ。ソレは招かれた後でなければ踏み込んではならない。
なるほどな、とスズがスーツの上着を脱ぎ、ハンガーにかけたところで、背中から抱きつかれる。
「……無用心なひと。吸血鬼を部屋に上げて、十字架のひとつも無いだなんて」
マニキュアを塗った指先がシャツにかかる。ガンベルトで吊ったホルスターごと外し、テーブルに置かれた。
「信仰心は持ち合わせが無くてな、だ。……それに、一つの神を信じろ、というのが流行らない土地の出だからな、だ。それより外したらどうだ、だ」
栗色の髪を撫でられ、彼女は
「そうね、あまり好きではなかったの。ねえ、あなたはどっちが好み?」
と、笑ってそのウィッグを取り去った。
「さあ、な。……それも、外したらどうだ、だ」
「それも、って、どれ?」
「右足の腿。武器屋の爺さんから買ったのはデリンジャーだろう、だ」
「…………お手上げね?」
言葉のとおりに両手を上げて、そのまま首に巻き付ける。もともと力で引き倒せるなどとは彼女も思っていない。だから、誘うように。促すように、背後のベッドに向けて、自ら倒れ込もうとした。
「おい」
「あなたが外して?」
丸テーブルに置いたビール瓶が一本、バランスを崩して転がる。
木張りの床に落下するそれを見届けながら、スズはもう一度ため息をついた。
空気を乱すような、ガラス瓶の割れる音は発生せず。
「……やれやれ、だ」
革靴の甲で受け止められ、床に立ったビール瓶の視界の端。普段より女一人分多い荷重に、ベッドのスプリングがぎしり、と喘いだ。
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