第10話/8 蠱毒の美食
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『待った。さすがに材料がそんだけじゃ教えるもクソも無いよ!』
月。街灯。屋内から漏れる蛍光灯。
『ハァ? スーツ着た東洋人? いやいや、そんなのアンタが今いる場所にだって何千人もいるから!』
あらゆる光が退けた分だけ濃くなる夜の影の中を、同じ色のリボンをあしらった黒いオペラパンプスが、コツコツと靴音を立てて進んでいる。
『あんね、吸血姫さん。黒髪黒目は確かにね、珍しいと思うけどね、アジア圏じゃドメジャーだからね、ドメジャー。他にもっとこう、ないの!?』
女の姿はおよそ、路地裏に相応しいものとは言えない。上げなければ掌にまで届こうかというフリルブラウスのふわりとした袖も。仰々しくならない程度にポピュラーに、けれど腰を大胆に締め上げたコルセット付きのフレアスカートも。白すぎる
『顔に
目的地をしっかりと把握していなければ――いや、それだけでも迷うこと請け合いのバックストリートに幾つも存在する分岐を、迷いなく選んで、向かう。
『――待った。ごめん、口調がなんだって?』
そうして、隠し部屋めいた階段を下り、くたびれた鉄扉の前。その先から音は聞こえない。
『だ、ってつっかえる英語? ……ルルベルさん。悪いこた言わない。アンタがまだ【一番】を諦めてないってんなら関わっちゃ駄目だよその御仁は! は? 「だって気になる」じゃないよ! ティーンか! 心から(Ah)愛しい(oh)ティーンエイジメモリーズかっ! いいかい、アンタが気になってるその、疵顔の日本人で、いつでもスーツの、どう見たってカタギじゃない奴はだな、アンタの先輩だ。当然、名前聞いたらわかると思うよ!?』
ノックをする。重厚な鉄扉は、屋内にその控えめな伺いを伝えたようにはまるで感じられない。拳を握り直してノック――いや今度は、思い切り叩きつけた。それでも扉の向こうは無反応。鍵は開いているだろうに。彼女はノブを、下げられない。
この店に来たことはある。あるが、それは彼女――ルル・ベルが吸血姫を始める前のことだ。一度始めてしまったからには、設けられた条件を――誰が笑おうとも――彼女自身が取り下げることを赦さない。
『【二番】だよ。そう。【大強盗】の“壊し屋”。スズの旦那だよソレ! アンタいったいどういう出会い系スキル持ってるの!? なんでピンポイントでそんな爆弾引き当ててしかもソレに興味持っちゃってるの!? はー……もういいやアホらし。関わるなって言ったのはね、あの御仁はOZの中でも人格者の部類だけど、ああうん、賞金首の中ではって注釈入るけどねもちろん。うん、それでさ。パッと見はおっかないオッサンだけど、いややってることも充分以上におっかないけどね。えーっと、なんだ、そう。アレだよオネーサン。スズの旦那が一番わからない。気を付ける部分ってやつがさ。何が敵対の引き金になってるか、さっぱりなんだ。だから興味本位で近づくとろくな目に遭わな――はい? どこに行けば逢えるってアンタなぁ!? いいよもー! きっちり代金もらうからな!? アンタが最初にオレから買った情報あるでしょ、そう。武器屋の。そこの常連だよ、旦那は。OZの連中は暫く強盗業を休むって羽根を伸ばしてる最中だから、武装のメンテとかで顔出してたりするんじゃない?』
そんな【情報屋】との遣り取りを思い出しながら、バド=ワイザーとは対称的に沈黙を貫く扉に対し怒りがこみ上げ……落ちていた、角の欠けたレンガでもぶつけてやろうと持ち上げたところで、鉄扉に設けられていた覗き口が開いた。
「なんじゃいこんな時間に。今夜はもう店じまいだ、ってこないだのお嬢ちゃんじゃあないか。どうした、悪漢にでも追われたか」
中から瞳をのぞかせた老匠に、慌ててレンガを後ろ手に隠し、微笑む。
「いーえ。先日のお礼と、あとひとつ聞きたいことがあって。入れてくださる?」
「あいにくと今日は客が来ておってなあ。どれ、ちと待っていなさい」
「――スズ、という人を捜しているの」
「スズ? スズなら今おるが。なんじゃお嬢ちゃん、賞金稼ぎにでもなったか。おいスズ、お客さんだぞ。ほれ、こないだ話した、えらい
ルル・ベルは笑顔のまま固まった。
スズの居場所のヒントを得に赴いたところ、本人がいるという自分の運の良さであるとか。
ミリオンダラーの一角を、関わっておきながら特に隠そうともせずに引き合わせようとするこの老匠の豪胆さというか無遠慮さというか、そういったものに。
ややあって。
老人のうめき声めいた音を立てて、鉄扉が開いた。
その先にいるのは、ダークスーツに身を包んだ疵顔の大男――スズだ。
「…………」
「ハイ。こんばんわ。わたし、あなたに興味があるのよ、スズさん」
「…………」
「これでもあなたのアドバイス通りにしたの。『男を漁るなら一人ずつの方が良い』って。だから、あなたを最初に。……だめ?」
「…………」
貫いた沈黙の後、スズは息を吐いて。
「……とりあえず、その背中に隠した物を置いてから、だ。物騒な人生を送っているが、買ってもない女に襲いかかられる覚えはない、だ」
その指摘に、彼女は舌を出して「失礼」と言い。ごとり、とレンガを落とした。それを見計らうようなタイミングで、スズの後ろから声がかかる。
「送り狼になるとレオの坊主を悪く言えなくなるぞ若造」
「五月蝿い爺さんだ、だ。……なあ、吸血姫。この爺さんを先に吸う予定に変えたりしないか、だ」
――ばれている。当たり前か。
わたしは始めたてでも。彼は間違いようもなく、その道の先輩だ。彼女は即座に――それを表情に一切出すことはせずに。目の前の相手への認識を更新した。
「その予定も踏まえて、付き合ってくれると嬉しいわ? その、わたし、こういうことをするのは、今回がはじめてで」
スズは眉を寄せ、もう一度ため息を吐いた。静かな思慮の時間。
「銀の弾丸あるぞ。持ってくか、スズ」
「だから要らん、だ。……壊し方なら知っている、だ」
果たして。スズは扉の向こうから彼女の居る外へと出てきて、扉を閉めた。
「ありがとう。それで、さっそくなんだけれど……どこかでご飯食べない? 今日は何も食べていなくて」
「献血車にでも乗り込めば良かっただろう、だ」
「……いじわるな人!」
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