第10話/7


 ――とは言うものの。活動が小休止に入ったところで、彼らの首にかかる賞金が取り下げになることなどはなかった。


 ミリオンダラーのニ番。【大強盗】OZにしても勿論そうだし、彼女――【空席の一番】に挑んだ女の首にも、決して安くない値札が下がっている。



 夜毎よごとに現れる、美しい女の姿をした通り魔。ロンドンを象徴する時計塔の大時鐘だいじしょう、かの“ビッグ・ベン”が正午にその音色を奏でることに対し、街が眠りについてから行われる、吸血姫の陶酔。


 その姿が見られなくなった段で、彼女はこう呼ばれるようになった。


 午前零時の犯行警告サイレン





“鐘を鳴らす女”――ルル・ベル、と。




 その、夜間限定で犯行を重ねていた女は日中、大人しく棺の中にでも入って眠っていれば良かったのだが。困ったことに、街の賑わいに溶け込んでいた。


 利用するのは情報屋との“宝探し”の時だけと思っていたのに、いつの間にかよく利用するようになってしまった駅前のカフェでアップルティーに角砂糖を一つ落とし、ティースプーンで混ぜながらタブレットの液晶に白い指を滑らせる。


……賞金が懸かった。渾名あだなもついた。それでもなお、彼女が憧れ、恋に落ちた――【吸血鬼の空席】は遠いまま。


 ぱちん、と弾ける音。無意識に噛んでいた親指の爪。視線を前へ。カフェのガラス壁に、子どもっぽい癖を披露したじぶんの姿が映っている。


――本物の吸血鬼だったら、鏡に姿が映らないのだけれど。それの再現に関しては試行錯誤が必要そうだ、なんて思っていると。



 ガラスに映る向こうの自分に、まるで影を付け足すような黒い人物が重なった。


 足取りはゆっくりと。けれど迷いがないので止まらない。目的がはっきりしている歩き方。そんな人間観察はどうでも良くて。


「あの、ひと――!」


 短く黒い髪。同じ色の静かな眼差しの瞳。顔に走る大きなきず。夜色のダークスーツ。おおきなからだ。


 間違いない。あの夜、自分をたす、どうだったろう。結果として自分は助かっただけみたいだけれど。とにかく、あの夜、あの路地裏にいた男。


 せっかく用意されたアップルティーを、結局一口も飲むことなく。


 カフェのドアのカウベルをちりんと鳴らし、彼女はその姿を追いかけた。






 少し先で、男は横断歩道の信号が青になるのを、止まって待っていた。間の悪いことに、彼女がその後姿を見つけた時、信号が変わり――男は他の人々と雑踏のひとつになる。


 早く追いつかなければ、という焦燥。けれど、追いついてどうしようというのか、という疑問。答えなど出ないまま――運が良いのか悪いのか、小さなアクシデントが横断歩道の向こう側で発生した。老婆が何かの拍子ひょうしに買い物袋を取り落とす。目の前にはあの男。


 転がるリンゴとオレンジ。バナナはふさごと見事に着地。――何人かの、それを目撃した人が息を呑む。よりにもよって、一番近い場所にいる男は、その、控えめに言って、マフィアか殺し屋のような物騒さを、困ったことに見た目からして醸し出している。



――そして。男はしゃがみ込むと、その大きな手をまず老婆の背中に添え、一言二言、何かを口にした。これも彼女の耳には入らないが、老婆の方も二度ほど頷く。


 それから男は散らばった果物を拾い始めた。


 その、屈んでもなお大きな背中を、言葉無く見守ることになってしまった彼女の足元に、ころころと転がってくる、真っ赤なリンゴ。



 彼女は自身が挑む空席に対して、何かが足りないことを理解させられた。そのは、まだはっきりと解かってはいない。


 それでも、今のこの展開は、それに関係しなくとも用意された、巡り合わせだと、思えた。


 誰にも気取けどられないように深呼吸をひとつ。リンゴを拾い上げて、二人のもとに足早に向かう。



 最後にバナナを拾った男が立ち上がる。そして、もう他に落とした物は無いか、と確認に頭を振ったところで、



「ハイ。見た目によらず紳士ね、あなた。おばあちゃん、これで全部よ」


 と、老婆の代わりに男が持った買い物袋に、最後さいしょのひとつを乗せて。



 ようやく、彼と彼女は、邂逅らしい邂逅を果たしたのであった。


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