第10話/6()night.





――夜のとばり。ロンドンの街は、影絵のように薄っぺらく、長く伸びていた。



 退屈な無声映画にテコ入れをするかのように、数々の足音と声が付け足されていく。


 そのどれもが物騒な雰囲気を隠そうともせず。その発端と言うべきか元凶と言うべきか。



「はっ、は、は、……っ、ぁ……!……ぁ、はっ、は、は」


 息を切らせて、追っ手――あるいは光――から逃げる女。


 洩れる吐息は儚げで、けれど官能的で、どうしようもなく楽しげだった。


 街角を曲がる。闇に姿を隠し、走り去る人影を盗み見た。




「はっ、はっ……ぁ。は、ぁは。ぁははっ」


――最初はすねに傷のある者たちの間での噂話。


 それから電子媒体。けれども都市伝説と言うにはあまりにも粗末な種火として。


 四人目の被害者発見からついに紙面に登り、話題を呼んでから僅か一週間。


【吸血鬼】に挑んだ彼女の話は、既に終ろうとしている。





 世界住民からの話題性の高低は平和に関係などなく、世界警察はこれ以上、厄介者ミリオンダラーなぞ増やすわけにはいかない。


 連合各国との協力体勢、果てはその首に【生死問わず】の賞金を懸けて、実害が存在し、実態の掴めないモノを狩りの獲物として追い込んだ。



 けれど、時は今。場所は此処。排煙が月光に煌く夜の摩天楼ロンドンにて。


 彼女を捕らえる事など、出来はしなかったのだ。




 捜索用ヘリのライトがレンガとコンクリートの共生した街並みを裸にしていく。



 死角へ、死角へ、もっとよるの深い、もっと闇の濃い所へ……!



――被害者はいずれも男性。最初はつたなく、次第に巧妙に。


 着衣の乱れは外傷に起因する、首が晒されている程度。


 その外傷だが。ふたつの、ボールペン程度の直径のが穿たれているというものだ。


 死者は四人の中で二人。そのどちらも失血死。無事に生存した二人からも、


 の血液が、失われていた。




 成長していく犯行技能。話題に飢えたその他大勢にうってつけの餌。


 世界に八組しかないに座る条件は、その犯行の凶悪性ではない。


 話題性。彼らはたった一つの例外を除いて、その全てが当事者でもない限り、何かの作品を観ているかのような、奇妙な高揚を覚えさせる。


 故にその八組は千両役者ミリオンダラーと呼ばれる【劇場型】の犯罪者なのだ。


――では彼女はどうか。


 残る一つの空席には、例外的に条件があった。


 それは【吸血鬼】であること。


 世間は面白半分に、彼女の犯行をと言わんばかりに盛り立てた。



 そして、生存者の証言で『目の醒めるような、飛びきりの美女だった』という情報まで加わってしまえば、そんなモノに活躍されても困る立場の人間からすれば、本気になって然るべきだといえよう。



 フリルブラウスの袖と、ウェーブがかったボブカットのシルエットが一瞬だけライトの合わさった壁に貼り付けられる。



 深夜だというのに、喧騒は止まない。


 輪を成して狭まるように聞こえる幻。



(ここまでなの……? まさか。まだまだ、これから―――)


 息を整える。



「居たぞッッ! この先は袋小路だ、もう逃がさねえッ!」


「……っ」


 ひとは、幻想には成り得ない。


 早鐘はやがねのように 限界を告げる心臓。跳ねそうになる胸を押さえて、何度目かの覚悟を決める。



(いっそ、霧にでもなれたら――ううん、)


 かぶりを振って、現実を見据える。なにせ、別に銀でなくても、この命は鉛弾一つで簡単に終わってしまうのだから。



 人気ひとけのないT字路に追い込まれ、後方からは追い立てる声と足音の数々。前方に見える明かりの中に、走って来る影がいくつも。そして曲がった先は行き止まりと、先の声が明かしている。


 だからといって、


 そんなのは、虫の習性だ。僅かな逡巡さえ見せず、彼女は自らの終焉いきどまりへ進むことを選んだ。









――だから。その、厳密には二度目の。ふたりからすれば最初の邂逅は、まったくの偶然ではあれ――彼女の選択に起因したものである。



 目の前には文字通りの行き止まり。どうあっても越えられない、物理的に存在する壁。一秒でも長く続けたかったがための選択と、光に在ってはならない、という他人からすればくだらない、けれど彼女には決して譲れないひとつの矜持。



 間もなく賞金稼ぎは此処に現れ、自分の出番は終わるだろう。



――後悔はしている? もちろん。まだまだ、わたしは全然足りていない。


 そんな、自問自答するだけの時間。それを使っても、まだ追っ手は到着しなかった。


 追い込もうとする足音は増え続けている。そのくせ、いつまで経っても自分に辿りつかない。


 違う。確かに増え続け、今にも此処まで来てしまいそうなのに。


 。まるで、ひっきりなしに紙を塵に変えていくシュレッダーのようだ。


 あのT字路で何かが起こっている。そしてそれは、今のところ自分に優位に働いているようだが、未来ではどうか解からない。



――目前で阻む壁を見上げる。彼女は、きびすを返して状況を確かめに戻った。










 ばちん、と弾けるオイルマッチの火花。その、設置箇所の量に不安を覚える街灯よりも心許こころもとない光源が、彼女の見た光だった。



 夜に溶けてしまいそうなダークスーツを着た大男が煙草の紫煙を吐いている。その周囲でうめき声を上げて転がっている、賞金稼ぎとおぼしき男たち。


 構図はさておき、事実としては男――スズには彼女を救うような何かは無かった。


 が、当たり前のようにそれを撃退しただけの話。


 銃声が一つも鳴り響かなかったのは、男が銃を用いなかったことと同時に、賞金稼ぎ達が誰一人とて引き金を引けなかったからだ。



 東洋人特有の黒い髪。そして黒い瞳。疵の入った顔が、機械のように彼女に向く。


 それから、何を言おうとしているか、迷うような間。ひどくゆっくりとした目瞬まばたきの後、スズは、


「…………邪魔したな。男を漁るなら一人ずつの方が良い、だ」


 と、為になるのかならないのか微妙なアドバイスを残し、追っ手の途絶えた裏路地に消えていく。


 彼女は声をかけることさえできず、その背を見送った。



――それから一週間、【吸血鬼】の犯行は成りを潜める。それは、彼女が懲りたから、などではなく。



 ただ一つの空席に挑んだ女が、別のことに興味を持ち、それを捜し始めたことに由来する。




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