第7話/7 終幕


――コンコン。コンコンコン。


 二回。一拍置いて、三回。窓をノックする音。


 あぁ、“今”なら理解できる。その符丁は、彼女セイラの優しさだと。


 最初の二回は、私が起きているかどうか。セイラは窓の外から、ベッドの中の私を見て――もしかしたら。私が眠っていた場合、その時には次の三回を叩かずに、そっと飛び立っていたのではないだろうか。


 起きているのなら、いつだって私はノックの音に気づいて、閉じた瞳を向けていた。それも、すぐにだ。


 その上で、一拍の間を――私の了解を、きちんと得るために――置いてから、親愛さんかいのノックをしていたのだ、セイラは。


 こうして理解に及んでしまうと、なにやらむず痒い感じが胸でする。いけないいけない。一回だけ深呼吸をして、私は“いつも”を取り繕う。


「……開いてますよ。どうぞ」


 今まで何気なくそう言ってきていて、やはり今になって理解するのだが……セイラはたぶん、いや絶対、聞こえてなんていなかったはずだ。締め切った窓から声が漏れてしまうようなことはないだろう。だからセイラはこれまで、聞こえないままに、そう。たとえば口の動きを読むのだとか、私の動きの色々から判断して窓を開けてきたのだろう。


 控えめな音を立てて、窓が開かれる。少しの温かみを持った初夏の夜風の匂いと一緒に、ほのかに彼女の香りもした。


「こんばんわ、マリー。あら? 今日はずいぶん顔色が良いわね」


 声は近づかない。いつものように、彼女は窓際に腰掛けているのだろう。


「えぇ。こんばんわ、セイラ。少し緊張しているのかもしれません」


「緊張? ならどちらかと言うと青ざめるものではなくて?」


「……」


 この少女の緊張のアベレージ、というのは世間一般とかけ離れていると思う。青ざめるレベルでの緊張なんて、そうそうあってなるものか。







――秘め事は続いていく。相も変わらずセイラの話す内容は荒唐無稽で、私は何度となくお約束の『それってノンフィクション?』と合間に聞き、セイラは決まって『えぇ、勿論』と笑うのだ。


 私もだいぶ、



「とはいえ、最近はあまり貴女を楽しませるようなお話の入荷はないのよね。この前のがちょっと調子に乗りすぎたこともあって。こういうのも有名税って言うのかしら」


「……【怪盗】がきちんと税を納める、というのは何かの皮肉ですか?」


「ふふっ」


「でも、気を付けてくださいね、セイラ。私の家は不思議の国ワンダーランドに狙われるような、目立った宝物はないけれど。お父様の繋がりでは色々と話題に昇っているみたいだし」


「あら。そうでもなくってよ?」


 絶賛仕込み中、とセイラは何やら不穏な単語を口の中で転がしている。


「……まぁ。貴女を捕まえることはできないのでしょうけれど。まだ破られていないんでしょう? その、なんでしたっけ。レコード」


「シャンゼリゼから凱旋門までの? えぇ。今のところは、ね。非公式も良いところだけれど、そう簡単に更新されてはたまったものではないわ? ……一人を除いてね」


「ふぅん……ねぇ、セイラ。その子もお友達なんでしょう?」


「まさか!」


 一気に剣呑さを帯びる口調に、少し竦んでしまう――が。続く言葉は同じだけの物騒な単語で、けれど別の感情が見て取れた。


「ドロシーは敵よ。――わたくしは、と思っている」


「そうですか? 少し妬いてしまいます。なので、話題の方向修正などしましょう」


「……マリー。貴女もずいぶん、その、図太くなったわね?」


 それはもう。


「ふふ。……それで、ルビーの薔薇。さぞかし綺麗なのでしょうね。いったい幾らの値段がついたことやら」


「それが聞いて、マリー。確かに薔薇は素晴らしくてよ? でもそれが仇となったのかしら。唯一無二というのも考え物よね。買い手が見つかってないのよ」


「まぁ。それは大変。でも、一度は見てみたかったかもしれません」


「あら」


――セイラの驚きはわかる。


「でも、いま見たいのはまた別なんです。――セイラ、ちょっとこちらに来てくれませんか?」


「良いけれど、外行き用の靴ですわよ?」


「構いませんよ」


――私はどれほど、彼女に気を遣わせていたのだろうか。彼女が窓枠に腰掛け、そこを動かなかった理由に、今になって気付くだなんて。


 セイラの気配が近づく。






 私は、勇気を総動員して――


「マリー、貴女――」


 色。それだけが解かる。ピントがまるで合わない。水の中にいるような曖昧さと、夜であっても、未だ不慣れな眼球を刺激する光に負けじと力を込める。


「……お医者様には、ゆっくり、でもできるだけたくさん使って慣れろ、と。あまり強い光は良くないけれど、と。でもセイラ、私は決めていたんです」


 最初に見るのならば、貴女が良いと。


「セイラがいけないんですからね。私の世界は、私の頭の中でだけ、いろかたちを持っていれば、良かったのに」


 目瞬まばたきを何度も繰り返す。その度に少しずつ、世界は形を取り戻していく。


 少し癖のある栗色の髪。空を思わせる、抜けるような青と雲のような白を基調としたドレス。聞かされるばかりで、だからこそ幾度と思い描き続けていた私だからだろうか。――まるで、絵本から飛び出してきたかのような、現実味のなさアリスブルーの美少女。


 彼女の目は痛みもしないだろうに、何度も何度も、その蒼い瞳を瞬かせて。


――或いは、それは彼女の癖なのかもしれない。大切なものを抱くように、両手を胸に置き。一度の深呼吸。瞳を閉じて。


「そう――わたくしは、のね」


 と、白い薔薇さえも赤く染めてしまうような微笑みで、言ったのだった。











「あら、もうこんな時間。そろそろおいとましないとね」


「はい。その、セイラ」


「姿も明らかになってしまったのだし、アリスで良くってよ? そんな顔しないの、マリー。……また、来ても良いかしら」


「はい、それはもちろん! でも、やっぱりセイラと呼ぶことにします」


「そう? ならその名前は仕事で使うのはお終いにしておくわ」


 窓に脚を出し、風を掴んだ、これも初めて見る、FPボードにふわりと浮かぶアリス――セイラを見送る。


「……買い手が付くまでに、暇があったらで良いですから、その薔薇を一度、見せてください」


「えぇ、良くってよ。……でも、今のわたくしからしたら、少し見劣りするのよね。ヒトってほんとう、傲慢。またね、マリー」


「はい。いってらっしゃい、セイラ」


 小さく手を振る少女の姿が、一瞬沈む――次の瞬間には、キィンと音を立てて空を遠く。光の粉を振り撒きながら疾走し、夜空に輝く星々のひとつに紛れ込んでいた。



 別れ際は、いつでも寂しい。それでも、次の約束があるので、彼女と仲間たちの物騒なお仕事のせいで心配は尽きなくとも、駄々をこねて引き止めるようなことはせずに。しばらく夜を眺めた後、私は窓を閉めた。


「――――?」


 その時に生まれた風に、それまで気付かなかった、窓枠に置かれた一枚のカードがひらりと舞って裏返る。


 たった一行の、簡素なメッセージカード。











『 世界で最も美しい薔薇、確かに頂戴致しました。

                

                   八番 不思議の国 』





第7話 『幻盗記』-Thief Phantasmagoria- 完

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