第7話/6 レコードホルダー



  不思議の国ワンダーランド――もとい<不思議の国の>アリスには【怪盗】としての条件……言い換えれば美学、というものが存在する。


 華麗にお宝を奪う。それは当たり前。それは他の強奪者にも簡単――かどうかは各自の腕にかかってるとして――にできることなのだ。


【怪盗】は、誰にもバレずに目標おたからに近づき、その手に収め、そして……



 ――。知らしめなければならない。奪われたが誰がやったのかさっぱりわからない、なんて事態は持ってのほかだ。


 だから古典的クラシカルに、獲物に対して『予告状』なんてものを差し出すのだし、結果としてそれを成してしまった暁には彼女たちの賞金額が上がってしまうのだが。その後の日々に付いてまわるリスクもさることながら、それこそがであると、彼女は自らのスタンスをそう定める。


 現在のミリオンダラー。その最後八番の席に座った【怪盗】のリーダーである少女はおおむねそのような苛烈な性格の持ち主だった。



「……とはいえ、はちょっと」


 薔薇えものを一目見ようと殺到する貴人たちの意図せぬ密集防衛スクラム。なるほど、給仕に扮したハンプとダンプの言う通り、あの集団に突っ込んで強奪せしめる事が可能であれば、アメリカンフットボールの一流プレイヤーとして名を馳せるだけの才さえもあろう。


 そんな手段は御免こうむる。いっそあの集団に爆弾のひとつでも投げ込んで差し上げれば、とても爽快に事は運ぶのだが、。その手口は、彼女たちが複雑な感情で注視し続けている【大強盗】のそれだからだ。


 奪わなければならない。薔薇もそうだが、まずは意識を。そして視線を。この状況で手を挙げて「わたくしにも見せてください!」などと声を張り上げたところで大海に石を投げ入れるようなものだろう。


 だからもっと、効果的に。鮮やかに。そしてに。不思議の国ワンダーランドを整えることにした。










 ばつん、と音を立てて屋敷が暗闇に包まれる。屋敷の中にいる人間の全てが視界を奪われ、そしてそこから四を引いた数が、一緒に意識に空白を捻じ込まれた。


 瞬間的に張り詰める緊張の糸。この瞬間まで、あまりに見事な宝石の薔薇の魅力に取り憑かれ――或いは意識して思考していなかった名称が脳裏にぎる。



 ――【不思議の国ワンダーランド】。


 賞金稼ぎカラーズを除いた、荒事に慣れていない人々の意識が緊張から恐慌へシフトチェンジする。


 そして、最初の悲鳴が上がる寸前。絶妙のタイミングで屋敷に明かりが再点灯された。



 二十一世紀になっても、人間は動物としての根源的な恐怖を克服できていない。暗闇に包まれた時の不安と、光が戻った時の安堵の揺さぶりに抗えない。



「ご安心ください! ただいま落ちていた電力は復旧いたしました! たいへんご迷惑をおかけいたしました!」


 電源室にブレーカーの確認をしに行っていたと思われる少年給仕の声が響く。客人たちは一瞬前までの恐怖を忘れるように息を吐き、それぞれが取り繕うように笑い声を零し始め、彼らよりもへの優先順位が高い屋敷の主人がまず最初に。それから思い出したように彼らも視線を先ほどまで夢中になっていたに注いだ。



 ――薔薇は変わらずに咲いていた。





「ほんとう、見れば見るほど見事な宝石。皆様が虜になるもの頷けますわ」


 いつの間にか、薔薇のすぐ傍。屋敷の主の真横で、ほぅと感嘆の息を吐く少女と、少女に従者のように添う青年という、新たなオプションを追加して。


 突然――よくよく考えてみればあの十秒にも満たない停電の間だろうが――真横に現れた二人に主は目を剥き、


「ごめんなさい。自己紹介が遅れましたわね。セイラ=キャロルというのは偽名で……その、あまりキャロルという姓に覚えがなかったでしょう? では、こちらはどうでしょう」


 次いで出てきた言葉に、という、矛盾しながら一切の矛盾のないコメディを演出する羽目になった。



「ミリオンダラーが八番。【怪盗】不思議の国ワンダーランドのアリスと申します」


 ――そして流石と言うべきか。激しい意識の転換に、一階大広間を見下ろす二階廊下に位置取っていたカラーズの一人がその手に持った銃をアリスに向ける。


 。引き金を引く寸前、手の甲にすとん、と銀色が突き刺さる。痛みに呻く彼が見たのは、見慣れた――プライドと共に肌身離せないはずの、カラーズのライセンスカードだった。


 FPボードと並んで、偽造不可能とされる人類の叡智の結晶。内包する情報量の多さ、それを秘匿する技術のすいをこうも簡単に武器として投げられるものなのか。


 。不可能を可能としたのではない。そもそもにして偽造などしてさえいなかったのだ。ただ、銀色のプレートに名前をプリントしただけ。


 。オリヴィエ――マッドハッターにしてみれば、不満は関係ないところでひとつだけ。


「アリスのオーダーはトランプだった。次はアドリブに応えられるように持参しよう」


 とのこと。


 一連に一切動じず、セイラアリスはドレスの裾を摘んで広げ、


「それでは予告どおりに頂きましょう。皆様、どうか良い夜を」


 一礼と共に、ドレスの裾から落ちて転がるビリヤードの玉大の何かが数えて三つ。


 ばしゅう、と音を立てて三つの玉は煙を盛大に吐き出した。




 視界は白に煙る。今度こそ恐慌と――臨戦の空気が夜会を支配した。


「爆弾!?」「煙幕!?」「クソッ! 本当に出やがった!」


 飛び交う怒号と悲鳴。駆け寄る足音。そして間もなく始まる砲声。


「窓を開けろ!!」


 その、どこからか飛んだ指示に異議は唱えられない。次々と開け放たれた窓に煙が流れていく中。


「じゃあ、後はお願いね、


 宝石の薔薇を抱いたアリスは微笑み。


「任せたまえ。――良い旅を、


 ギャルソンが一芸披露するように、薔薇を載せていたテーブルにかかったクロスを取り去るマッドハッター。その下は台に扮していた彼女の翼。


 スカイラウドシリーズ。モデル<クイーンオブハート>である。


 外から流入する外気を掴み、FPボードが起動する。ふわりと靴を履くように中空に浮かんだ少女を、一瞬誰もが状況を忘れ見てしまう。



「素敵な薔薇をありがとう。けれど、奪ってばかりは申し訳が立ちません。皆様、お礼と言ってはなんですが、我々からを差し上げましょう」


 その言葉を置き土産に、開かれた窓からアリスは飛び立つ。


「さあ、客人でいたいのであれば急ぎたまえ。私に諸君を斬って捨てる趣味はないが、このままでは巻き込まれて物言わぬむくろになってしまうかもしれないぞ」


 残ったマッドハッターの言葉にパニックが再発する。


 我先にと、薔薇を目にした時のように、人の波が閉じられた出口に殺到する。


 そして一流の夜会に相応しい、行き届いたサービスで、そのタイミングを見計らったかのように、閉じられていた扉が開いた。



「何をしている」


「お帰りのようだからな」


 扉を開いた片割れに、門番の一人は訝しげな視線を遣り、仏頂面で白髪のもう一人――ホワイトラビットはなんでもないように応えた。


 倒れた花瓶から零れる水のように節操なく。着飾った姿のまま、貴人としての振る舞いは置き去りにして流出する人、人、人。


 空には金色の粉が雪のように、キィィンという快音と共に降り撒かれている。



 そして、少女の言葉の通り。誰もが視線を、そしてそれが消え去るまでの間――轟音とともに咲いたに心を奪われた。




 次々に夜空に煌いては消えて行く、大輪の光の花束。


 人々と同じようにそれを見上げていた不思議の国ワンダーランドの爆弾魔は、独白するように呟いた。



「……花火をするなら火薬はケチるな、か。ふん」


 思い浮かべた顔の『イキ』という単語には未だ理解が遠く。



 そして少女は、郊外からパリの凱旋門までの空を最高速で走り抜けた。



 突発的。そして賞金首であるがゆえに非公式だが。


 ――その夜、アリスはFPライダーとして、その走空にて最速記録レコードを叩き出した。



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