『首輪物語』シンデレラ=エンゲージ

シンデレラ=エンゲージ

第8話/1


  実を言えば、彼はマナーにうるさくはない。ただ彼の仕草ひとつひとつが完璧なだけ。それを彼女はたとえてから「本当、イヤになるよねぇ」と、眉をハの字に曲げて、悲しそうに笑った。



 届かない、という事実が辛いと。私にとって生涯の友人は涙を落とした。


 きっと二人の物語で、彼女が彼を捕まえることはないのだろう。



 物語はそういう話で、きちんと締めくくられてしまったのだから。



 それでも私は、笑いながら彼らの話をする。



 訊かれる度に、私の口は一字一句変わらずに言葉を紡ぐ。


『心優しい魔法使いに、魔法をかけられました。南瓜は馬車に、ネズミは馬に。ぼろぼろだった私のふくは、星をちりばめたのかと疑うようなまばゆいドレスへと――』



                        ――綴じられた日記帳。

























 お酒を入れたら飲みにくそうな丸いグラスの中で、水色のキャンドルはやわらかい橙を灯らせていた。


 店内の小さなステージで、顔色の悪いピアニストが鍵盤を緩く弾いている。天使のそれか、と思うばかりの歌声は小休止。純白のドレスを着た歌姫は壁にもたれ、それをどこか楽しげに見ながら、サックス吹きがピアノに合わせて演奏している。


 眩しさを感じないほど明度の低いスポットライト。この店の照明が現在それとこのテーブルのキャンドルだけというのは、その、ムードありすぎじゃないのかな。


 とっくに砂糖の溶けきった紅茶に、それでもティースプーンをくるくる混ぜながら私は演奏者たちを盗み見る。



 彼らが何者か知るのは全てが終わった後。


 そんな彼らを招待したんだったら照明代を節約したりもするよねマスター、と思ったのはその直後。


 彼らが自分たちからこの店で演奏したがったのだと知ったのはそのまた後で。


 世界中にファンがいる彼らこそ、いちファンだと知ったのは……さて、いつだったかな。








「えっと、みなさんは【緑】のカラーズについて、知っていますか?」


 夕食、談話、お金のかからないポーカーをして、また談話。


 たっぷり時間を費やしてから、やっとのことで私は私の物語を紐解いた。


 専業賞金稼ぎ、通称【カラーズ】である蓮花寺灰音れんげじはいねとテーブルを共にしている四人は、何を隠そう世界最高の賞金首、通称【ミリオンダラー】の二番目。【大強盗】OZである。


 カラーズとしてビギナーの私と、無法者の頂点としての彼ら。隔たる力の差は、私の少ない語彙(ちなみに語彙って書けない)で言うと、まさに月とスッポンなのであった。


 それでもこうして私たちが夕食を一緒にした、という事実には理由がある。


 まぁ、その。バレたら資格剥奪&獲得賞金総額を上回っちゃいそうな額の賞金首になっちゃうんだけどね、私。ミリオンダラーの七番である【賞金稼ぎ】と呼ばれるヒトとはゼロの数が圧倒的に違うけど!


 こほん。つまり、そんな彼らは――そんな私の、友人なのであった。


 私にとって大事な大事な、クラスメイトであるミカちゃんとおんなじくらい大事な友人たちは、正体が正体なので私の問いに、迷うようなことはなかった。


【緑】のカラーズ。私たちカラーズの頂点に立つ五組の凄腕さんたちは、それぞれ五つの色を与えられている。


 天敵と言っても差し支えない相手だ、知らない方がおかしい。


「……レイン。キッス=“ビショップ”=レイン」


 紫煙を吐いて、スズさんがその名を言う。


「それと、ブライバルかぁ? ブライバル=ブライバル。“ルーク”だぁな」


 肩を竦めてレオ様がおどけた。


「あとあとっ! イモータル“キング”! トゥエリ=イングリッド!」

 

 はいはーい! と手を上げてドロシーちゃん。



「……そして、彼らに従う“大兵団ポーン”。女王のいない王国兵団。こと数と戦略において並ぶものなしと謳われた【緑】のカラーズ……<ザ・タクティカル>チェス――だね」


 そう、カップを置いてからカカシくんは纏めた。


「……はい」


 私は頷く。俯く。心配しないで。ありがとう。


 ただ、少しだけ待ってください。深呼吸。……うん、平気。


 私は続ける。



「彼らを頂点に、ポーン……大小、五十ものカラーズが連なってできた<最大>の賞金稼ぎグループ。――私の始まりが、それです」



 <ザ・タクティカル>チェス。五十のカラーズを纏め上げた、世界最大規模の賞金稼ぎグループ。世界中の至る所に彼らの目が光り、いざ狩りが始まるとなるや、完璧な連携に掌握された地の利。そして最大の武器である『戦略』と『数』と『実力』が賞金首を蹂躙していく。


 カラーズのMVPは間違いなく【白】のチャイルド=リカーだろう。けれど純粋に、賞金首を仕留めた数ならば、彼らが圧倒的な差を出して勝っている。


 たとえるならば、そう。ひとつの「社会」に対して「個人」ができることは高が知れている。ミリオンダラーにしても五色のカラーズにしても、みんなみんな「反則」勢ぞろいなのだけど。一番わかりやすい反則っぷりは彼らなのだろうなぁ。


「で? ハイネの嬢ちゃんは連中が原因でカラーズになった。まぁ、何があったかなんて【チェス】を知ってりゃ誰でもわかるし、この世に【チェス】を知らない奴はいないだろうよ」


 レオ様はサングラスを外して、私を見つめた。いつもならムードもプラスどころか乗算でその視線にノックダウン。


 だけど、この話を始めた時から……うぅん。今日、この話をしようと思ってた時から、私の心は動くのをやめてしまったようだ……それも違うか。心臓の音に合わせて、私の心は頭痛を伴って脈打っている。


 ……いやだな。私、ぜったい見せられない顔してる。





















「一年くらい前かね。【緑】が欠番になったのは」



 どくん。


「……誰がやったか、は定かではない、だ……しかし結果として、チェスは世界から消え失せた、だ」


 どくん。



「それも踏まえて、お話します。聞いてくれます、か」


 瞳を閉じる度に、残光の代わりに溢れかえる映像。


 今すぐ閉じて、どこかに捨ててしまいたい。



「うん、話してハイネ。それはきっと、今なんだよ」


 震える両手が、白くて華奢な温かさで包まれる。


 本当に残念。震えは収まらなかったけど、僅かに話をするだけの勇気が生まれてしまった。……泣き出しそうなのにね。



 だから話そう。ドロシーちゃんの言ったとおり、大事なのは今なんだ。


 錯覚にも似た決意で、潰されかけた自分を繋ぎ止める。


















『それがいつだったかと聞かれたら、まさしくその瞬間。この時、心優しい魔法使いに、私は魔法をかけられました――』







「……一年前の、六月二十八日、土曜日。私は雑踏の中にいました」



 小さく響くピアノの音。


 歌姫は静かに、ジャズバージョンのアメイジンググレイスを歌い始めた。

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