第8話/2




 ――雑踏を眺めるのを目的に、雑踏を眺めている。



 視覚外の視覚。東京の世界一を誇る人口密度を見ながらも、私は空想のレールを見ていた。


 年頃にありがちな妄想の類。ありふれた言葉を乗せると『あらかじめ、敷かれたレールの上を進む人生』というやつだ。


 家庭は中流の中流。おねだりして買ってもらった物はたくさんあるけど、おねだりすることが間違いなくらい高価なモノに夢を馳せたりする。


 だからこれといって、特別なものではないと思う。


 園児の頃の記憶は少ない。


 小学生の頃は、着せ替え人形が好きだった。日曜朝の少女向けアニメも好きだった。その頃の夢は、お嫁さん。


 中学生になって、好きなバンドの曲を集めまくったり、テストの点に一喜一憂したり、かっこいい先輩の話で友達と盛り上がったりした。


 高校は、学力と制服で選んだ。


 ――そういう、ごくごく平凡な人生を送ってきた私は、しあわせな人間なんだろうな、なんてことを現実の雑踏と脳裏に張り付くレールを眺めて思う。


 このレールは、そんな私にとって当たり前のものだ。


 成績は、できるだけ良いものを。


 自分に合った学力で、できるだけ良い大学に行けたら良い。


 それで就職して……なんて甘々な人生設計こそが、つまるところ、このレールなんだろう。


 良家のお嬢様みたいな、豪華絢爛な装飾のされた頑丈なレールではない。



 次の言葉は、少しの後ろめたさが生んだ、私の弱音だ。



 ――だから、そういう『当たり前のレール』が、少し嫌だった。


 特別恵まれた家庭に生まれたわけじゃない。


 特別恵まれない家庭に生まれたわけじゃない。


 特別な容姿でもない。


 特別な才能を持って生まれたわけじゃない。



 そんな普通の私は、そんな風に大勢いる普通の人々と同じように、同じような人間の心を掴むようなモノを好きになる。


 たとえば百万人が大好きと言うバラード。


 たとえば『百万人のために歌われたラブソングなんかに、僕は簡単に思いを重ねたりはしない』というフレーズに共感する。


 全米が泣いた映画を見て。


“特別”ということに、ひどい憧れを持つ、普通の人間。そして漏れなく“普通から外れる”ことに耐えられない人間。


 それが私――蓮花寺灰音という、つまらない個人だった。


 普通は嫌だ。でも、特別は怖い。



 そんな私が雑踏を眺めるということに、細かい説明はいらないと思う。


 雑踏。そう、雑踏だ。私もその中に入ってしまえば、たちまち風景の1ピースになってしまうだろう。



 私は特別に憧れている。だけど、普通じゃなくなるのは嫌だから――こうやって“普通”の群れを、少し外から眺めることで、満たされない欲求はなに水をやっている。





 これからずっと先――私には特別な友人たちができる。


 この話をするのは、とても勇気がいることだった。


 だって、この頃の私は、汚い人間だったから。


 自分に甘いだけじゃなく、すべてに対して甘い考えしか持っていなかった。


 端的な説明をするならば――蓮花寺灰音はこの頃、普通の人間ではあったけど。


 けっして、良い子だったわけではなかったのだ。



 高校三年間はあっという間、ということで予備校に通うことになって。


 でも目指す大学は結構な学力が必要であり。


 すっごく苦労すればなんとかなるかも知れないけど……そんな、すっごい苦労なんて、したくなかった。


 夢があったとして。それが命を懸けないと手に入らないとする。


 私は、命を懸けても手に入らなかったら全部無駄になっちゃうじゃん。なんて、命も懸けていないのに言ってるようなヤツだった。


 頑張ることをくだらないとは思わない。


 だけど、ひたすらにストイックに頑張る姿は嫌いだった。自分には無いモノだから、見ていられないと言ったほうが正しい。


 だけど、同じくらい――何かにつけて努力を放棄する、自分自身が嫌いだった。見ていられないと言ったほうが、正しい。



 だから、雑踏を見ている。



 ちゃんと詳しいことを知れば意味のある、個々人の歩みの集合。でも注視しなければ、溢れかえる無個性の大行進パレード


 きっと彼らの誰もがくだらないことをくだらないと思いながらやりくりしている。


 きっと誰よりくだらないのは、そんなことを思って見ている私自身だろう。


 六月二十八日。


 この日より三日、この街から雑踏が一時の間消え去る。



 その始まりだとは気づかずに――私は、雑踏の中で見つけた。


 すべてのはじまり。


 敷かれたレールの妄想をぶち壊す、あまりにも現実離れした現実を。


 との出会いは、それからの三日間は。今の私を作りだした――普通な私の、普通な語彙であらわすなら――


 まるで、奇跡だった。




 一瞬で目を奪われる。


 そらすことができない。




















「ごっ…………!?」


 思わず声に出してしまった。


 緑、白、ピンク、青、茶色の球体がスクランブル交差点を進んで来る。


 アイス屋の盛り付けスキルの限界に挑んだかのように高くそびえる五つのアイス。驚きと不安。


 やばいやばいそんなのマンガでしか見たこと無いって!


 危ない危ない崩れちゃう崩れちゃう!


 何でカップにしなかったの! 先に悲鳴を上げるのはワッフルコーンじゃないか!



 繰り返すけれど、この頃の私はけっして良い子ではなかった。


 危ない危ないと本気で思いながらも、そのアイスの塔が崩れてしまえば良いと、心のどこかで思っていた。


 たぶん、それは嫉妬だったんだろう。


 五段のアイスなんていう特別に対しての、とても幼稚な。


 でも。


“特別”は、“普通”の思惑なんか気にも留めないからこそ、特別なのだった。


 五段のアイスは崩れずに、それを持った人間は危なげもなく雑踏に紛れながら、雑踏から浮いて歩いている。


 そんな人物が、オープンカフェのテラスに座る私の前を横切っていく。


 私はそれを、目で追っていた――途端、心臓が跳ねるのを感じた。




 ――私を、見ている?



 次の一歩が踏み出される前に、現実の時間を置き去りに、私の時間が走り出す。


 アイスしか見ていなかった私の目は、それを持った人物を確認し始めた。


 私の高校も、夏服に変わったというのに、ロングのフードつき。生地はワイシャツみたいに真っ白で薄手なんだけど、フードを被っている。


 背は私よりもちょっとだけ高い程度。男の子の中では低い部類だろう。


 パーカーと対極に、真っ黒でだぼだぼなカーゴパンツは、アクセントというには若干多めに、各所に同じ色、素材のベルトが巻かれている。


 これだけ見るとロック基調なのかポップ基調なのかわからない。


 前髪はどうやら片目を隠すくらいに長く、オシャレな鬼太郎さんと言った感じ? ただし、銀のレイヤーが一気にV系度を高めている。


 ……さらに分類に困る。私を見ている左目の横……左の耳のピアスは、銀のチェーンを垂らし、そのまま左の下唇のピアスと繋がっている。


 しかもチェーンにはペンダントトップみたいなのが三つ。色ガラスなのだろうか。正四面体が赤、緑、紫とキラキラ光っている始末。


 五段アイスは圧巻だった。


 でも総評――私と目が合ったヒトは、そんなものどうでも良いくらいに派手だった。というか原宿行け。


 アイスのコーンを握る、指という指にリングをはめた彼が、こっちを見ている。


 現実と思考の時間が噛み合う。雑踏は進み続け――彼は、私の方に向かってきた。





 東京の放課後。止まない雑音が掻き消える。


 ある意味、マンガから飛び出てきたような彼と、自分の心臓の鼓動が、風景と音をどこかに追いやってしまっていた。



「あのさ」


「は、はい?」


 そうして、私は。




「――五段ってのはロマンだよな。それだけで夢がある……なら当然、好きなものを五つ積み上げるのは当然だ。それで、助けてほしいんだけど」




「……好きなもん順に積み上げたって事は、一番好きなやつがなんだよ。人助けと思って一緒に攻略してくれない? ヒマそうなJKちゃん」


 と、勧誘キャッチの類や女だったら無差別なものを入れたら人生数度目のナンパをされたのであった。

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