第5話

* 15 *

 連休明けの朝。

 改札口を通り、東口から外に出る。駅のロータリーを屋根のようにおおうデッキ通路を歩いていたら、前方を進む左右にねる長い髪が視界に入った。


 ――ポニーテール。

 馬の…尻尾。


 その表現に納得していると、その背中が停止して、空を見上げた。

 ポニーテールをゆさゆさ動かす、その後ろ姿は楽しそうで。その様子に興味が湧く。

 1人分のスペースを空けて立ち止まり、名本さんが気づくだろうかと、待ってみる。

 通勤通学の人波に飲まれることなく、人の流れがよけていく中、佇むのは邪魔な存在だ。

 通りすがりの人たちの視線が痛いし、名本さんが気づく気配すらない。

「おはよう」

 色々と待ち切れなくなって挨拶をすると、名本さんがぱっとオレの方へ顔を向ける。

「あっ、森井くん。おはようございます」

 びっくりした面差しを、のほほんとした笑みの奥に引っ込める。

「…何を見ていたの?」

 名本さんは、質問したオレから目線を頭上にずらしながら、右手で空を指す。

 その小さな手に誘われる形であおぐ。

「五月晴れ、です」


 視界一杯に広がる、さわやかな青空。

 突き抜けた、明るく鮮やかな、青。

 空の所々に浮かぶ、綿菓子みたいな白い雲。


 姉が好きだという、ラピスラズリのような――。

「ラピスラズリみたいな色…」

 声に出して言うと、また名本さんがこちらを見る。キラキラと輝く目を嬉しそうに細めて。

「そうですよねぇ」

 今朝の空と同じ、晴れやかな笑顔。

 ギュッ、と。

 心臓をわしづかみにされたみたいに胸が痛んだ。


 ――痛い……?


 名本さんの満面の笑みから、そらすみたいに目を腕時計に落とす。

「そろそろ学校に行かないと。ギリギリになるよ」

「本当ですかぁ?! もう少し見ていたかったのですが……」

 残念そうに話す名本さんは、顔を仰向けたまま歩き出す。

「前見て歩かないと、ぶつかるよ」

「はーい」

 忠告したオレを見て、素直に頷いた名本さんは、前を向いて歩を進める。

 駅前の道路を横切り、デッキ通路の階段を下りて、北にびる歩道を名本さんと並んで歩く。


「今日は珍しく遅いね。いつもなら、もう学校にいる時間だよね」

 高校に向かう道すがら、思いついたまま右隣を歩く名本さんに話しかけた。

「そうですねぇ。緑がキレイなので、遠回りして、のんびり歩いて来ちゃいました」

 にっこりと笑んで、名本さんが呟く。

「緑?」

「はい。朝日を浴びて、緑がキラキラ光ってるんです」

 彼女の言葉の意味が理解できなくて、名本さんの横顔に問いかけると、笑みを更に深くする。

「綺麗な緑を見るために、遠回りしたの?」

「はい」


 ――朝から元気だ。


 正門を通り抜けて道をまっすぐ進む。

 グラウンドの横を通る時、並んでいた名本さんが不意に立ち止まる。彼女の行動に首をかしげながら、オレも足を止める。

 名本さんを振り向き、じっと校庭を見つめる彼女に問いかける。

「どうしたの?」

 彼女の目線の先には、校庭にあるサッカーゴールのそばに集まるサッカー部の部員たち。練習が終わったのか、ボールの片づけを始めていた。

「…いえ。何でもないです」

 言葉を濁した名本さんの笑みが、何かを飲み込んだように感じた。いつでも自分の感情をストレートに出す名本さんらしくなくて、心に引っかかる。

「教室に行きましょう」

 屈託なく言って歩き出した名本さんの後を追いかける。

 横目でサッカー部員を見ると、その中に部員たちと談笑する山谷の姿もあった。




 昇降口で靴を履き替えると、名本さんは1階の廊下を突っ切る。西側の階段で2階に上がり、階段横の教室にするりと入り込んだ。

「おはようございますぅ」

 名本さんの後に続いて、オレも教室に入る。

「あっ! 森井」

 自分の席に着くと同時に、クラスメイトのほりが近寄ってきた。

「………何?」

 血気にはやる男子に、気が引ける。

 どうせ、ろくでもない内容だろうから、聞かないで拒否したい。

一昨日おととい、お前と一緒にいた女の人、誰?」

 堀の言葉で、室内が静まり返る。不自然な静けさを不可解に感じながらも、堀の質問に応じた。

「一昨日……ああ、姉だよ」

 その日は、姉の葉月の買い物に付き合っただけ。

 あの時、見られていたらしい。

「お姉さん? マジ? 森井のお姉さん、かわいいじゃん。紹介して!」

「うちの姉、彼氏いるよ」

 鼻息が荒くなる堀に水をかけた。

 姉に興味を持たれても、こっちが迷惑。

「彼氏いるのかぁ。……いいなぁ、かわいいお姉さんがいて」

「何、森井の姉貴って、カワイイの? じゃあ、あまり似てないカンジ?」

 うらやましげな堀の口調に、オレの右隣から冨永が割り込んできた。


 ――確かに、オレたち姉弟は似てない。

 母親そっくりな姉。オレは、父親に似ているらしい。


「…似てないかも」

「へぇ。森井の姉貴に会ってみたい。紹介して。何なら、お姉さんのお友だち誘って、合コンしようぜ」

「面倒臭い」

 葉月に俄然がぜん興味を持った冨永を突っぱねる。

「何でだよ。いいだろ、紹介くらい」

 冨永の台詞に、大げさに息を吐き出す。

 口を開けば「合コン。合コン」と。わずらわしい。

 無視を決め込んでも、何かと横から茶々を入れてくる。


 早く、先生が来ないだろうか――。


 冨永と堀の話を聞き流しながら、予鈴の音を聞いていた。

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