* 51 *

 ショートホームルームが終わった直後、担任の原先生と視線がぶつかる。

「森井、このプリントを職員室に持っていくの手伝ってくれ」

「…はい」

 目が合った後の担任教師のにんまりとした笑い顔を見て、こうなることは予見していた。今日ほぼ授業をサボっていた手前、文句を言える立場じゃない。

 クラスメイトたちが帰る準備をしている中、席を立って教壇に近寄る。

「これ、頼むよ」

 教壇の上にあるプリントの山を指し示すと、担任は自分の荷物を持って職員室に戻っていった。

 プリント用紙を持ってクラスを出て、教室に隣接する渡り廊下を進む。第1校舎の2階にある職員室に入る。

「失礼します」

 廊下側の島にいる担任を目指す。

「サンキュー。助かったよ、森井」

 軽いノリで感謝を伝える原先生の机上きじょうにプリントを置いて、

「じゃあ、先生」

 短く返して職員室を退散したその足で4階に向かう。


 ――久しぶりの美術室。


 階段を上がるにつれて、緊張が増していくよう。

 はなたれたドアの中に一歩足を踏み入れて、右側の方を見る。窓際の机の上に座って、外を眺めている後ろ姿が視界に入る。


 ストレートの、長くまっすぐな髪。

 高い位置でひとつに束ねているその髪が、全開の窓から入る風に揺れる。


 何を考えているのだろうか。

 その背中に声をかけることをためらった。

「原先生のお手伝い、お疲れ様でした」

 オレの視線を感じたのか、名本さんがこちらを振り向いて、屈託のない笑顔を見せた。

 その笑顔に釣られて歩き出す。

「ごめん。待たせたよね」


 ………?


 名本さんのいる窓辺まで歩きながら、ふと違和感をいだいた。

「全然待ってないですよ。名本の方こそ、急に呼び出して、すみませんです」

 おっとりとした口調で言った名本さんは言葉を続ける。

「約束の絵を見てほしいなぁ…と思いまして。名本の傑作けっさくなのですよ」

 照れたような笑顔で持っていたものをオレに差し出してきた。

 受け取って、それが風景画だと認知する。


 ……約束。

 名本さんと噂された日。

 5時限目の自習を抜け出したあの時の。


 目を引いたのは、画用紙の上半分以上をめる暗い青紫色。

 用紙の下部分は、ビルのような建物が黒い色で表現されて、青紫色と黒の間が夕色に染まっている。

 鮮やかなオレンジ色と、心寂うらさびしく感じる紫がかった紺色。


「前にお話しした名本が一番好きな空です」

「いつ頃の空?」

 今の時期に見る空と違う色合い。

「冬の空です。森井くんと一緒に見たかったです」

「名本さんの絵も、見られなくなるんだね」

 名本さんが転校するって、そういうこと。


 頭の隅に押しやった現実を一瞬で引き戻された。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る