* 50 *
『森井くんにお話ししたいことがあるので、放課後美術室でお待ちしてますね』
名本さんのその言葉が頭から離れない。
――覚悟はしていたけど…。
はけ口のない感情がとぐろを巻いて、胸の真ん中でつっかえている。どうにもならない気持ちを持て
いつもと変わらない様子で、米倉さんたちと面白そうに話をしている。
胸がひりつく。
自分の気持ちを落ち着かせるために、机にうつぶせになる。
無意識に名本さんを目で追わないように、周囲の音をシャットアウトしたかった。
頭をはたかれて、目を
「…………」
前にも同じことがあったなと思い返しながら、机から身体を起こす。
「何時間も寝っぱなしのお前が悪い」
右横に立つ人影に非難の目を向けると、がやがやとした中で仁王立ちの北上に一刀両断された。
今日の授業の内容が頭の中に何も入っていない。
――今、何時限目なんだろう。
ぐるりと室内を眺める。
わいわいと楽しそうに話すクラスメイト。我関せずに小説を読む生徒。
自分の席に座ったまま、大きな身体を小さく丸めて眠る小谷野の姿もあった。
いつもと変わらない、休み時間の光景。
ここから名本さんがいなくなる。
すとん、とその事実が心の奥に落ちてきた。
クラスにいる誰もが、同級生が1人いなくなるなんて思っていない。そんな中、名本さんと一緒にいる米倉さんに目が
米倉さんも知らないのだろうか?
名本さんが転校した後で知ることになったら、やはりショックに感じるのかな?
そう考えると複雑な感情になって、米倉さんから目線をそらす。
教室の時計を見ようと黒板の方を向くと、教壇の近くいる山谷の姿が視界に入った。
何も知らないまま、仲のいい男子たちと笑い合っている彼が、少しねたましい。
「調子悪いなら保健室に行ってこいよ」
呆れ気味の北上の言葉を、渡りに船と思うことにして静かに席を立つ。
「そうする」
北上に伝えてから廊下に出て、保健室を目指した。
名本さんとの噂が広まって1週間以上。
近頃では、噂のことを騒ぎ立てる人間がほとんどいない。思ったより早く、みんなの興味がなくなって助かった。
今は、こころにゆとりがない。
学生の
避難するように足早に教室棟を離れて、特別教室ばかりの第1校舎に立ち入る。第2校舎の
いつも上に向かっていた階段を下りる。
「失礼します」
保健室にたどり着いて扉を開けると、養護教諭の中年女性が椅子に腰かけたまま目線だけをこちらに向ける。
「どうしたの?」
「調子が悪いので、休ませて下さい」
「どうぞ」
短く答える先生に一礼して、部屋の奥まで行き、窓際のベッドに寝転がる。
まぶたを閉じると、ヒリヒリした固まりが胸の奥に居座っているのがわかる。
オレに話したいことがある。
それって、引っ越しが決まったということだろう。
――聞きたくない。
静かな室内に、紙をめくるかすかな音が聞こえる。
うっすらと目を開けて窓の外を見る。
灰白色の雲の隙間から、白に近い金色の光が降り注いでいた。
「………」
眩しさに目の奥が熱を帯びる。
『天使の
――この景色を一緒に見ることができなくなるんだ。
鮮やかに脳裏によみがえった名本さんの声で、
名本さんが転校するということは、そういうこと。
彼女と直に話すこともできなくなる。
――聞きたくないけど。多分これが最後。
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