* 44 *

 1人取り残された美術室を後にして、教室に戻ってきた。

 ちゅうぶらりんのままの気持ち。

 まるで消化不良のように、胸の奥に残ったままくすぶっている。


 へび生殺なまごろしって、こういう状態だろう。


 徐々に滅入る気分を抱えて教室に入った早々そうそう、米倉さんと北上の姿を見つけて声を失う。自分の席に座る北上と、彼の斜め前、冨永の前の椅子に米倉さんが座っている。他には誰もいない。

 明らかにオレを待ち構える、この構図。

「どうしたの?」

 回れ右して退散したい気持ちを隠して、どちらにともなく質問する。

「森井のことを待っていたのよ。君と、話がしたくて」

「それで?」

 自分の机の上に腰かけて、答えた米倉さんをまっすぐ見つめる。

「夕香のこと」

 オレの目を見据えて告げた米倉さんの一言に、鼓動が大きく鳴る。

「ちょっと変なのよね。のほほんとした所は前からなんだけど、最近ボーッとしていることが多いのよ。何か理由、知らない?」

 心配している米倉さんのその言葉で、さっきの名本さんの様子を思い返す。オレから見たら、名本さんはいつもと同じとしか思えなかった。

「知らないけど」

 考えても普段通りの名本さんしか浮かばないし、理由なんて知らないから、そう答える。

「そう……」

 小さく呟いて、米倉さんは考え込む。

「米倉女史の考え過ぎなんじゃないのか。いつもと同じ名本夕香にしか見えないけど」

 感情のない口調で、北上が告げる。

「それなら、いいんだけど。放課後になると、すぐ帰るようだし」

 まだ引っかかりが解けないような言い方だった。左肘を机の上に乗せ頬杖をついたまま、米倉さんは口を閉ざす。


 米倉さんは、他人のことに深入りしない人だと思っていた。

 ここまで気にかけるなんて……。


じかに聞いたら、答えてくれるんじゃないかな」

 オレの言葉に意外そうな表情を見せた米倉さんは、「そうね」と納得すると、がらりと面持ちを変えて艶然とほほえむ。


 ――こっちが、本題か。


「もうひとつ」

 その笑顔を見て察知した。

 米倉さんがこんな風に綺麗な笑みを見せる時はろくでもない時だと、彼女と親しくなって身にしみている。

「最近、イイ顔しているよね。他人に壁を作らなくなったし」

 身を乗り出すように顔を近づけて、米倉さんはオレの顔をまじまじと見つめて告げた。

「そうかな」

 態度を変えたつもりはない。今までと同じ、何も変わってないはずなのに。

「そうよ。表情も性格も、以前よりずっと柔らかくなっている。……これも夕香の影響かしら」

「な……」

 他人をからかう時の顔つきで呟いた米倉さんの言葉に、過剰に反応した。

「米倉女史が、名本夕香と仲がいいのは意外だった」

 米倉さんとのやりとりをずっと静観していた北上が口を挟む。


 ――確かに。

 性格も行動もあいれない2人なのに、よく一緒にいる。


「夕香って、価値観や先入観を持たずに、自分の目で見るのよ。こんな私に最初からびないし、卑屈な態度も取らなかった。夕香だけが、普通に接してくれたの」

 それが、とても嬉しかったの。

 そう付け足した米倉さんは、今まで見たことのない静かで優しい笑みを浮かべる。


 米倉さんの言う通り、名本さんはそういう人だ。

 噂や上辺うわべだけで決めつけない。他の女子たちとは違って、初めから普通に接してきた。

 それが、とても嬉しかった。


「自分の気持ちに素直に動くから、こっちが毒気を抜かれるわ」

 黒く長い髪を右手で払う米倉さんに、胸中で同意する。

 窓から入り込んだ風が、米倉さんの髪を乱す。その風に誘われて外に視線を向けると、山のように灰色がかった白いの雲がそびえ立っていた。


 ――名本さんなら、あの色をなんて言うんだろう。


「お前、名本夕香が好きだろ」

 確信めいた北上の口調で、意識を引き戻された。

 不意をつかれて、言葉に詰まった。


 ――どうして、気づくのだろう。


 山谷みたいに顔に出ているのだろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る