* 43 *
帰りのホームルームが終わり、担任が退室すると同時に、教室に高橋さんが入ってきた。ずかずかと歩き、オレの前で立ち止まる。
室内が瞬時に静まり返る。
「ねえ、ちょっと付き合ってよ」
しんとした室内に響く声。
クラス全員が彼女の迫力に驚いて、彼女のことを遠巻きに眺めている。
用件はわかっている。
名本さんとの噂を確かめに来たんだ。
「……」
関わり合いたくない、と渋っているオレの左腕を捕らえて、一気に引っ張る。
「いいから、ちょっと来て!」
どよめく室内で、高橋さんがよく通る声で告げると、オレの腕をつかんだまま教室を出る。不意打ちのような高橋さんの所業に
「いい加減、手を離して」
持たれた手を振り払う代わりに、つっけんどんに伝える。
「聞きたいことがあるから付き合ってよ」
そう言って、意思の固い瞳でこちらを見る高橋さんの態度に、挑まれているような気がしてきた。
「わかったから……」
高橋さんは渡り廊下を通り、黙々と階段を上っていく。第2校舎の最上階、東側を目指しているようだ。
……また、美術室。
ふと4月のことが思い浮かぶ。
めったに学生がいない、美術室。高橋さんに告白されて、初めて名本さんと会話をした。
あれから、まだ2ヶ月も経ってない。
美術室の扉を開けてそのまま室内に入る高橋さんを見ながら、誰かいたらどうするんだろう、と
高橋さんより少し遅れて美術室に入って、不愉快なことを早々に切り上げることにした。
「用件は、何?」
「名本夕香と付き合ってるの? どうして彼女なの? ボケッとしてて、全然キレイな子じゃないじゃない!」
愛想のない口調で問いかけたら、高橋さんにまくし立てられた。
こそこそと陰口を叩かないのは
「…………」
名本さんのことをそんな風に言われるのは、我慢ならない。
苛立ちが
「付き合ってないし、高橋さんには関係ない」
怒気を込めて否定する。
「…っ」
オレの態度に
少しの間、同じ姿勢のまま佇んでいた高橋さんが、とみに首を左右に振る。それまでの感情を消すかのように、顔にかかる明るい茶色の髪を払った。
彼女の
「森井くんはあの子を好きなんでしょ」
少し声のトーンを下げて、高橋さんが言う。疑問形ではなく、確認するような調子。
……だから、何?
「――」
オレが口を開いた時、割り込んできたのは、のほほんとした口調。
「高橋さんが美術室に来るのは、珍しいですねぇ」
振り返って声の主を確認しなくても、すぐわかる独特なしゃべり方。
眼前の高橋さんの表情が、すごく嫌そうに見える。もしかして、苦手なのか。
「名本に、会いに来てくれたのですかぁ」
嬉しそうな声にドアの方を見ると、名本さんが軽やかな足取りでこちらに向かってくる。
「名本夕香に会いたいなんて、ゼッタイに思わないわよ!」
断言した高橋さんは、すたすたと部屋から出ていった。逃げるウサギのように素早い。
「振られて、しまいました」
名本さんは落胆の色を隠さずに呟く。すげない高橋さんの態度に、しょげているらしい。
「名本さんって、高橋さんと仲がいいの?」
ドアの方を眺めている名本さんに確認してみる。
「今朝、初めて話をしました」
「何を話したの?」
嫌な予感がした。
「…森井くんと付き合っているのか、って聞かれました」
見上げる形で、オレの視線をまっすぐ捕らえて、名本さんが答える。
高橋さんがどんな風に詰め寄ったか、簡単に想像できる。あのきつい性情のまま、食ってかかっただろう。
――迷惑をかけてる。
「ごめん」
「どうして、森井くんが謝るのですかぁ?」
謝罪したオレを、名本さんは不可解げに見つめる。オレが何か言うより先に、名本さんがもう一度口を開く。
「森井くんが悪い訳ではないのですから、気にしないで下さい」
屈託のない笑顔。
「だけど、オレが名本さんを好きなのは本当だから」
静かに告げると、彼女は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
「ありがとうございますぅ。…でも、どうして名本なのですか?」
名本さんに首をかしげられて、ひょいと考え直す。
……どうして?
「男心と秋の空と言いますし。
オレの思考に
「…それなら、女心と秋の空だってそうじゃない?」
「そうも言いますよねぇ。…じゃあ、お互い様ってことですね」
――お互い様なのか……。
「…なので、もし数年後。お互い独り身でしたら、その時お付き合いしましょう」
ひと呼吸置いてから、楽しげに言い継ぐ。
「…………」
理解不能。からかわれているのか、本気なのか。
はぐらかされた…か。
言葉の意図に踏み込むか悩んでいると、震動音が耳に入る。
名本さんがバッグからスマホを取り出して、
「用ができたので、名本は帰ります」
そう言い切ると、出入り口へ歩き始めた。
――置いてきぼりな、この状況……。
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