* 34 *

 高校に到着し、人気ひとけのない敷地内を歩く。まだ運動部の練習も始まっていない校庭の脇を通り、昇降口を目指す。

 生徒のいない学校は物静かで、にぎやかさのない建物は無機質で冷たさを覚える。


 昇降口から校舎の中に入る。

 いつもなら生徒だらけの廊下。

 今日はひっそりとした廊下を進み、階段を上がる。

 2階の西端に位置する教室に近づいて、部屋のドアが開いているのに気づいた。何とはなしに室内を見て、ドキッと大きく心臓が鳴る。

 窓よりの席に座る、名本さんの姿。


 ――まさに、寝耳ねみみに水な、この状況。


 自分の席に腰かけた名本さんは、何か考え込んでいるのか、目線が机上に落としたまま動かない。その彼女の横顔が少し曇っているように思えた。

 名本さんらしくない顔色が気にかかる。

「おはよう」

 教室内に足を踏み入れて、いつも通りを装いながら声をかけると、ばっと顔が上がる。

「おはようございますぅ」

 普段と変わらない名本さんの笑みに、胸中が温かくなる。

「名本さん、早いね。こんなに早く来る日があるの?」

「そうですねぇ。家より学校の方が、集中して絵がけるので、早く来る時もあります」

 オレの問いかけに心安く答える名本さん。


 ――昨日。

 好きだと言った時、名本さんは驚いていたから。彼女がどういう態度を取るか、気になって仕方なかった。

 避けられるかも……そんなことも考えた。


「これから、絵をくの?」

 質問しながらも、頭の半分以上で思うのは、昨日のこと。


 ――名本さんは、どう思ったんだろう。


 避けられないということは、嫌われていないと思っていいんだろうか。

 少しは興味を持ってくれているのだろうか?

 それとも、全く気がないのだろうか。

 悶々もんもんと、無駄に自問自答を繰り返しそうだ。


「…そうですね。早く完成させないとですし……」

 名本さんの言葉で、意識が引き戻される。見ると、ちょっと逡巡しゅんじゅんしているようだ。

「頑張って。自販機に行ってくる」

「ありがとうございます。いってらっしゃ~い」

 どんな絵なのか気になったけど、邪魔するのは心苦しいので、教室を離れることを告げて廊下に出る。のどかわいて何か飲みたかったし、色々とちょうどよかった。

 名本さんと2人きりの状況に、嬉しさとは別に緊張もしていた。

 静かな廊下を歩きながら、窓の向こう側を見る。


 まばゆい青空。


 視線を下に動かすと、校舎と食堂の間にある空間が目に入る。自動販売機が並び、ベンチもある。


 ――そこで少し時間をつぶそうか。


 思いつき、1階に下りて食堂に通じる戸から外へ出る。自販機で冷たい缶コーヒーを買って、ベンチに腰かけて、清々すがすがしい空気を吸い込む。

 晴れ空を見上げて、流れる雲を目で追う。


 ――図書室で借りた本を持ってくればよかった。


 手持ちぶさたな思いを持ちつつも、まだ教室に戻る気にはなれない。

 スマホートフォンを操作して、めったにやらないゲームを始めた。




 遠くから聞こえる人の声を察知した。

 校庭で、どこかの部員が練習を始めたようだ。

 そろそろ教室に戻ろうか、と思った矢先やさき

「あの、森井先輩」

 突然、緊張した硬い口調で呼ばれた。聞いたことのない、女の子の声。

 ゆっくりと声の方を向くと、少し離れた位置に1人の女子生徒が佇んでいた。

 黒く短い髪が活発そうな顔立ちに似合っている、初めて見る生徒。高い鼻梁びりょうと、細い眉が印象的。

「何?」

 尋ねてから、気づく。柔らかい聞き方をした自分に。

 その子の用件は直感的にわかっているのに。

 少し前の自分とは違う。

「私、1年の宮下みやしたって言います。……森井先輩のことが好きです。付き合って下さい」

 緊張しきった、声と表情。


 どんな心境で、その言葉を伝えるのだろうか。

 どんな決意をして、自分の気持ちを告げるのだろうか。


 やっぱりと思う反面、「すごいな」と感じた。前なら、冷めた気持ちで彼女のことを見ていただろう。

 全く知らない人間を、本気で好きになる彼女を。

 どうして? とは思う。

 だけど、以前のように頭ごなしに否定する気になれなくなった。

「ごめん。君のこと、そんな風には思えないから」

 勇気を振り絞って告げた彼女に対して、自然に出た言葉。

「……そうですか」

 ぽつりと呟いた1年生はお辞儀して、足早にこの場から離れていく。

 飲みかけの缶コーヒーを飲みしてから、立ち上がる。空き缶を捨てて、教室に戻ることにした。

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