* 35 *

 朝の下級生から告白された以外、変わったことのない日だった。


 6時限の授業を終えて、図書委員会の会議に出席した。

 議題のメインは、秋の文化祭で図書委員として行う企画だが、一向に意見がまとまらない。

 何とか方針が決まったのは、5時過ぎ。次の会議の日にちを決めて、ようやく委員会が終わった。

 2時間近くも座っていたから、腰や背中が痛い。立ち上がって大きく伸びをして、図書室の壁掛け時計を確認する。


 5時25分。


 6時近くまでいると、前に名本さんから聞いたことがあるから、美術室に向かおうと決めた。

「森井くん」

 背後から、高橋さんが呼び止める。

「何?」

 鞄をつかみながら、言葉短く尋ねる。

「一緒に帰ろう」

「ごめん。用事があるから」

「じゃあ、待ってるから」

 高橋さんの誘いを躊躇ちゅうちょなく断ったのに、相変わらずの諦めの悪さだ。

 押しの強い高橋さんを面倒に思いながら、図書室のドアを開けた。


 ――高橋さんの呼び出し。関わり合いたくない。


 そんなことを考えていたから、目の前で壁に寄りかかる人物を一瞬見過ごした。

「おっせーよ。森井」

 低く呟く声に驚き、思考を止めて前方を見ると、サッカー部のユニフォーム姿の山谷をに気づく。


 ――何で、山谷がオレのことを待っているんだ。


 いぶかしく思いながらも、「これで、高橋さんから逃れられる」と胸をなで下ろす。

 渡りに船だから、山谷の言葉に乗ることにした。

「ごめん。高橋さん」

 すぐ後ろにいる高橋さんを振り返って、口早くちばやに告げる。彼女の返答を待たずに、先に歩き出した山谷を追って、その場を後にした。

「それで? 図書室の前で出待ちしてたのは、何?」

 特別棟の階段を上がる山谷の背中に投げかける。

「森井に、話があるから」

 オレの方を向かずにそれだけ告げて、先を歩く。


 ――どこに行くのだろう。


 そう思いながら、山谷の後に着いて行く。階段を上り、人気ひとけのない3階の渡り廊下で山谷は足を止めて、こちらに向き直る。

「それで、何?」

 単刀直入に尋ねると、山谷はひどく言いにくそうにしていた。

 言おうかどうしようか、踏ん切りがつかない感じだ。そういう状態なら、よく目にする。

 オレに告白してくる女の子たちが、見せる態度。

 それと、同じだ。

「俺、名本さんのことが好きだから」

 意を決した山谷の言葉に、オレは心のどこかで納得していた。


 ――そんなこと、前から知っていた。


 思っていることを顔に出すタイプだから、名本さんと一緒にいる時の山谷の表情を見ていれば、誰だってわかるだろう。

「それで?」

 そんなことをオレに言ってどうするのだろう。わざわざ、人のいない場所まで連行して。

 わからないから、本人に確認する。

「それだけ、言いたかったから」

 そう言うと、山谷は教室のある第2校舎に走っていった。


 ……それだけって、何だ?


「委員会、終わったのか」

 不可解な感情で山谷の背中を横目で見ていたら、反対側から声をかけられた。視線を向けて、こちらに歩いてくる北上を確認する。

「ああ」

「ライバル宣言だな」


 ――聞いていたのか。


 北上のタイミングのよさに、舌を巻く。

「何で、オレに言う?」

 山谷の言動が理解できないまま、オレが問い質すと、北上は感情の見えない眼差しを向けてきた。

「名本夕香と親しいから。森井が女子と親しいことなんて、今までなかったからな」

 北上の言葉に、「確かに」と思った。

 名本さんは、オレにとって特別な女子ひと

 味気ない世界を、色彩の溢れるモノに変えてくれた。何気なく見過ごしている景色がとても綺麗なのだと、教えてくれた。


 しっかりと自分を持っている人。

 独自の世界を持つ人。


「オレにはないモノを持っているから」

「…そう」

 オレが言った内容には触れずに、北上は「じゃあ、な」と素っ気なく告げると、第1校舎に戻って行った。

 他人のことを深く詮索せんさくしない北上を、オレは気に入っている。たまに、人の噂でからかうことはあるが、本気で嫌がることはしない。

 むしろ、この状況を見られたのが、北上でよかった。彼がみずから言い触らすことはない。


『俺、名本さんのことが好きだから』

 北上の背中を見送りながら、山谷の言葉がよみがえる。


 ――オレも名本さんが好きだ。


 山谷に打ち明けることができなかった。

 悔いが残る気持ちを振り切って、美術室に向かうために歩き始める。

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