* 9 *

 授業終了後のホームルームが終わり、2階の渡り廊下を通って、第1校舎に直行した。


 図書委員の仕事のひとつ、カウンター業務。

 昼休みと放課後、開放している図書室で、本の貸出し、返却の手続きをおこなうこの仕事は、2人一組の当番制。


 締め切った室内の状況は、廊下側からうかがうことがかなわない構造。

 だから、りガラスの入った扉を開けて図書室に入った瞬間、カウンターの中に高橋さんの姿を見つけて戸惑った。

 カウンターの前には学生が2人並んでいて、高橋さんは本の貸出し手続きを処理している。


 マジ……か。

 心の中で大仰おおぎょうに溜め息をついて、気持ちを切り替える。


「お疲れ様」

 カウンターの中に入り、どちらからともなくねぎらいの言葉をかける。

 先頭に立つ男子の学生証と小説を預かり、高橋さんは黙々と手続きを進める。

「お待たせしました」

 柔らかい声で伝えて、学生証と小説を返す高橋さんの脇で、オレは後ろに並ぶ男子生徒に声をかける。

「次の人、どうぞ」

 オレの前に来て、ハードカバーと学生証を無造作に差し出す。


 ちょっと態度にとげがあるような……。


 預かった学生証をちらっと見る。

 学生証に印字されていたのは、3年3組。上級生と認識しつつ、高橋さんにそのまま渡す。


 3年生なら、高慢こうまんでも仕方ないか。


 自分の中で納得しながら、隣を見る。手早く処理をする高橋さんの手元を眺めて、「手際いいよな」と賞賛する。

「お待たせしました」

 手続きが終わり、学生証と本を持ち上げて、高橋さんは明るく告げる。

 ふちなしの眼鏡越しに、神経質そうな瞳が嬉しげに細くなったのを見てしまった。


 高橋さんに気があるんだ。


 受け取った上級生は、少し顔をほころばせて、足早に図書室から退出した。

 しんと静まる室内。

 他に学生がいないと知ると、2人だけという事実を認識してしまう。

 こういう時は、よくないことを思い出す。

 脳裏をよぎったのは、頬を打たれた痛み。


 何で、こうなっている――――?

 そもそも、今日は別の人間が担当だったはずなのに。

 どうして、こういう事態になっているのか、事情を知る人間に詰問きつもんしたい。


 隣接する司書室のドアが開き、司書教諭の青木あおき先生が姿を見せた。

 優しい親戚のお姉さん、ってイメージを持つ30代後半の教諭。いつもほがらかで気さくで、話しかけやすさがある。


「あっ、森井くんもいたんだ。ごめんなさいね。当番の1年生コンビ、学年集会が入って、少し遅くなるのよ」

「……っていうことで、集会が終わるまでの代理」

 申し訳なさそうに話す青木先生の言葉尻に、高橋さんが言い加えた。

「2人が来てくれて、助かるわー。よろしくね、これから会議なのよ」

 顔の前で手を合わせた先生は、慌ただしく図書室から出ていく。


 図書室に2人っきり。

 正直、高橋さんと2人でいるのは、オレの精神衛生上よくない。


 カウンターに高橋さんを残して、オレは室内をぐるりと回る。

 利用する学生がいないから、室内をブラブラしていても平気だろう。

 普段なら、図書室で勉強している人がいるのに。

 今日に限って、誰もいない。


 書架しょかにある本を手に取って眺めたり、棚に整然と並べ直しながら、本棚をひとつずつ見ていく。




 どのくらい時間が経ったんだろう。


 図書室のドアがゆっくりと開く音がすると、見知った生徒が姿を見せた。

「お疲れ様です。お待たせしました」

 図書委員の男女2人の後輩を見て、オレは内心ホッとした。

「お疲れ様」

「森井先輩、高橋先輩。今日はすみませんでした」

「ありがとうございます。後は私たちがやりますので」

 同じクラスの1年生コンビは、深々とお辞儀をする。

「うん。じゃあ、よろしくね」

 遅れてきた後輩と交替をして、オレは図書室を後にした。


 ――肩がった。


 誰もいない図書室に高橋さんと一緒いて、気疲れをした。

 当の本人は、いつも通りに接してくるから、気にしている自分がアホらしく思えてきてしまう。


 だけど、びんたを食くらったし……。

 むしゃくしゃする。


「森井くん」

 高橋さんの声に、呼び止められた。

 気づかれないように、そっと息を吐き出してから、振り返る。

「何?」

 つっけんどんな言葉つきになる。

「この前は、ごめんなさい」

 彼女に似つかわしくない、弱々しい声に少し驚く。

 そんな風に謝る人だとは思わなかった。


 ――ごめんなさい。


 オレの中にあった高橋さんの印象と違う言葉遣い。

 目の前で俯く高橋さんをじっと見る。

 いつもの勝ち気な所はなく、しょげいるようだ。


 平静を装いながらも、本当は気にしていたのだろうか?

 ずっと謝る機会をさぐっていたのだろうか?


 そう思うと、いつまでも根に持つ気になれなくなりそうだ。

「わかったから。…もう、同じことしないでね」

 オレは自分の左頬を軽く叩きながら、高橋さんに伝える。

「本当に、ごめんなさい」

「うん。じゃあ、これで……」

 また謝る高橋さんを振り切るように言って、その場から離れた。

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