第4話

* 11 *

 どんどん。

 ドアを叩く音で目が覚めた。


 睡眠不足で、このままだとすぐまた寝入りそう。

 寝ぼけた頭で起き上がると、もう一度ノックする音が響く。

 叩き方でわかる。

 少し強めに、存在をていするみたいに叩くのは、4歳上の姉、葉月はづき


 ベッドから出て、部屋の扉を開ける。

 15センチ背が低い姉が、オレを見上げていた。

 母親によく似た顔。

 母の若い頃にそっくり――と、よく言われる姉はその度に愛想笑いを浮かべる。そう言われるのが、好きじゃないようだ。

 グレーのロングTシャツに、濃紺のスキニージーンズ姿。

 色素の薄い髪がふんわりとカールしている。


「おはよう。何?」

 真向かいに立つ姉に尋ねる。

「おはよう。ご飯、できてるよ」

「…うん、わかった」

 朝から元気な葉月にたじろいながら、答える。

 オレが頷いたのを見て、葉月は階段を下りていく。


 今年の夏で21歳になる、大学3年生。

 隣の市にある県立高校を出て、名の通った私立大学に通っている。

 両親自慢の長女。


 いつも楽しげに生活する姉。

 悩みなんてなさそう。

 どうして、姉弟きょうだいなのに、こんなに違うんだろう……。


 そう思案することが、多々ある。


 1階に下りて台所に入ると、姉が1人だけだった。

「あれ、母さんたちは?」

「親たちは、温泉に行くって、出かけたよ」

「…今日だったんだ」

 記憶していたのは明日だったから、内心首をかしげたが、両親がいない事実に喜んだ。

「昨日の夜、変わったみたいよ」

 意に介さない葉月。


 とつとして予定を変更するのは、母の得意技。


 3連休の初日だった昨日は、家に両親がそろっていた。

 だから、オレはほとんど部屋にいた。

 気が抜ける、唯一の場所。

 小言を食らいたくなくて、試験勉強をした。たまに息抜きで、小説を読む。

 食事や用がなければ、2階から離れなかった。

 無味むみ乾燥かんそうな1日。


 顔を合わせれば、「勉強は?」と尋ねてくる、母。

 家では、しかめっつらで、いつもテレビを見ている、父。

 一緒にいると、息が詰まる。

 同じ部屋に長くいると、母の娘自慢が始まる。

『あんたも見習いなさいよ』

 必ず最後に、この台詞。


 ―――もう、げんなりだ。


 自慢の姉。

 だけど、常に比べられて、劣等感をいだく存在。

 気軽に接してくる葉月に、卑屈ひくつになってしまう。

 そんな自分が嫌で、自分の部屋にのがれる。


「今日、何か予定ある?」

 テーブルの上に、おかずやご飯を並べながら、葉月が問いかける。

「別に、何もないけど」

「じゃあ、ちょっと付き合ってよ」

 親もいないし、まったりしよう。そう考えていたら、姉に誘われた。

「…別に、いいけど」

 断る理由もないから葉月の提案に乗ると、嬉しそうに姉の頬がゆるむ。

「じゃあ、ご飯食べたら出かけるよ」

 家族で食事をするテーブル。それぞれの定位置に座り、箸を持つ。

 食事中に話す話題がなくて、姉弟で黙々と食べる。

 厳格な両親は、食事中に会話をすることも、テレビを見ることもしない。2人して、その習性が身についているようだ。


 母に似て、せっかちな姉。

 それでも、母と違って、あれこれ言ってこない。オレのことに口出ししない。

 それは、とても助かる。


「ごちそうさま」

「一緒に片づけるから、着替えて行く準備してきなよ」

 箸を置くと、姉がそう言うので、甘えることにした。

「ありがとう。じゃあ、お願い」

 感謝を伝えて、台所から洗面所に移る。歯磨きと洗顔を済ませて、2階に上がる。

 タンスからダンガリーシャツとチノパンを取り出して、着替える。

 黒のボディバッグに財布とスマートフォンを入れて、1階に戻る。

「準備オッケー? よし、行こう」

 洋間のソファに座り、まったりする姉は、オレに気づいて声をかける。ショルダーバッグを手にして立ち上がると、玄関へと歩き出した。




 葉月の運転で向かったのは、郊外のショッピングモール。

 自宅から、車で40分。

 車の中では、姉の好きな音楽を聴きながら、自由気ままにしゃべる葉月の話し相手をした。

 姉が免許を取ってから、彼女の車で出かけることが多くなった。


 店舗から近い場所に駐車して、まず書店に向かう。

 エスカレーターに乗ったら、前に立つ葉月がオレの方へ向き直る。

「好きな子できた?」

 慮外りょがいな発言に、目が点になる。

「は?!」

「雰囲気、変わったから」

 まじまじとオレの顔を見て、葉月がつけ足す。


 名本さんの笑った顔が、思い浮かぶ。

 自分の思考回路に、動揺した。


 ――何で、名本さん?

 …っていうか、突拍子もないことを言い出して……。


 エスカレーターを降りて、書店へ足を運ぶ葉月に仕返しをする。

「姉さん、彼氏は?」

「知らな~い」

 声の低くして、ぶっきらぼうに答えた。

 姉は、思ったことがそのまま声や表情に出るたちで、わかりやすい。

「…ケンカしたんだ。原因は?」

 オレの問いかけに、姉は立ち止まり振り返ると不愉快そうに呟く。

「ウルサイ」

 その顔つきで、ケンカの原因が姉にあると悟った。


 謝ればいいのに。


 そう思った直後、葉月のスマホが鳴り出した。

 着信に気づいた姉が、慌てて操作をする。

 メールを受信したみたいで、画面を凝視ぎょうしした後、嬉しそうに笑みを浮かべる。


 本当に。わかりやすすぎ。


「よかったね、仲直りして」

「ウルサイよ。…ほら、本屋。入ろう」

 オレの言葉に嬉しさを隠すみたいに、足早に書店フロアに入っていく。

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