第3話

* 7 *

 左腕を持ち上げて、腕時計を見る。

 8時20分。


 高校の正門を抜けて、3棟並ぶ真ん中の第2校舎に続く舗装された道路をたどる。

「おはよう」

 後ろから追いついた小谷野が声をかけてきた。歩く速度をゆるめて、脇に並んだ彼に同じように挨拶をする。

「今度の3連休、どっか出かけるの?」

 小谷野の問いかけで、「あぁ」と意識を持つ。


 来週は、5月。3連休がある。

 ……その後は、中間試験が始まる。


「オレは行かないけど、両親は出かけるみたい」

 母親が前にそんな話をしていた、と思い返しながら、小谷野に答える。

「和哉は一緒に行かないんだ?!」

「面倒だから。脩は、連休中出かけるの?」

 本心を伝えてから問い返す。

 両親のことを話すのは苦手だから、あまり家族のことを聞かないでもらいたかった。

「俺は、勉強をしているよ。中間試験が近いから」

「そうだね」


 オレも家族と出かけるくらいなら、勉強をしていた方が気楽だ。


「おはよう」

 会話の切れ間に投げかけられて、

「おはよう」

 とっさに返した。相手も確認しないまま。

 オレの左横を通り越す高橋さんと目が合う。

 一瞬フリーズした。

 あまりにも自然で、こっちもいつものように応対していた。

 高橋さんがすんなりとしゃべってくるなんて、思ってもみなかった。

 こちらを見返ることなく昇降口へ進む高橋さんの後ろ姿は、昂然こうぜんとして見えた。

「ストレートな女子だね」

 暖気な声風こわぶりで、そう評価する小谷野。


 ――ストレートな、女子……?!

 彼がそう言い表したのか、意味がわからない。


「率直で、一直線。自分の気持ちに対しても、他人に接する時も」

 不可解な相好そうごうをしたオレに、小谷野が言い加えた。


 率直で、一直線。


 小谷野の言葉を反芻はんすうした。

 いかにも、彼女は自分の考えをストレートに表す。どんな時も。

「…確かに」

 これまでの高橋さんを思い出して納得すると、「そうだろう」と小谷野がしたり顔でこちらを見る。

 その表情に釈然としないから、口をつぐむ。

 そのまま話題もなく、無言で小谷野と肩を並べて歩く。

 事務室や職員室が入る第1校舎の玄関前を過ぎ去り、第2校舎の前まで来た時。


 目先を横切る男子に気を取られる。

「よう、おふたりさん」

 同じクラスの冨永とみなが裕太ゆうたが、フランクな調子で触れる。

「…腹減った」

 部活の朝練が終わったらしく、ジャージ姿で大きな野球部専用のバッグを肩に乗せたまま立ち止まり、だるそうな声を出す。

「そう」

 冨永の腹具合なんて興味ないから、適当に返す。

「ねみー」

 大きなあくびをしながら、だらだらと昇降口に向かう。

「大変だねぇ、朝練」

 しみじみと小谷野が言う。


 うちの高校の野球部は甲子園出場の常連校になりつつあり、学校もかなり力を入れている。校内外に知名度が高く、人気もある。

 練習がハードなのは、グランドで活動している彼らを見れば理解できる。


「おはようございます。冨永先輩」

 背中から聞こえた明るい声に、冨永が向き直る。

「おはよう」

 爽やかな笑みを浮かべる冨永は、さっきまでのやる気がない空気を綺麗に消し去っていた。

「朝練、お疲れ様です。おなかいてないですか? よかったら、どうぞっ」

 頬を赤くして1年生の女子生徒は、勢いよく冨永に小さな手提げ袋を差し出す。

「えっ!? くれるの? 中身何?」

「サンドイッチです。…朝から練習で、おなか空くだろうなぁ、って思って」

「マジで? 助かる。えっと……」

 明るい茶色の猫っ毛をき上げなから、目を丸くする。


 心持ち、声のボリュームが大きくなった。

 嬉しいのだろうか?


 ちらりと、後輩の子を見る。

 彼女は、冨永が興味を持ったことに、喜びを感じているみたいだ。

「1年6組の、石原いしはら真菜まなです」

 瞳をキラキラと輝かせて、気負きおい立って自分の名前を告げる。

「ありがとね、マナちゃん」

 白い紙袋を受け取り、冨永のほくほく顔を見ていると、どこか白々しさを感じる。

「はいっ! 部活頑張って下さい」

 石原さんと名乗った子は、破顔はがん一笑いっしょうして、昇降口へ走っていく。


 そんなに嬉しいのか。


 浮かれた年下の背中を、冷めた眼差しで見ていたらしい。

「和哉。目つきにトゲがある」

 横から小谷野に指摘され、溜め息をつく。

「オレ、着替えないとだから、先行くわ」

 冨永はヒラヒラと右手を振りながら、部室のある棟に歩き始めた。

「こんな所に突っ立ってたら目立つから、校舎に入ろう」

 小谷野の言葉で何げなく見渡すと、数人の女子生徒が静止した状態で、こちらを見つめていた。

「あぁ」

 小谷野に頷いて、彼女たちに気づいてないていで動き出した。

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