* 6 *

 放課後。

 授業が終わって早々、第1校舎の4階に来た。


 美術準備室のドアを2回ノックする。

「失礼します」

 入室の断りを告げてから、ドアに左手をかける。

 開けた直後、部屋中に充満していた煙草の煙と匂いが廊下に流れ出る。

「よう、森井和哉か。何の用だ?」

 紫煙しえんをくゆらせて、珍しいものを見たような顔つきで、男性教師が迎えた。

 生徒のことをフルネームで呼ぶのが、この教師の癖らしい。


「名本さんの絵を見せてもらえませんか?」

 身体ごとこちらを向いた坂上先生に、ここに来た用件を話す。

「名本夕香の絵ぇ!? 別に構わないが……また突然、どうしたんだ?」

 興味深そうに訊いてくる美術教師。

 まあ、そういう反応をするだろうな、と察知していた。自分の無関心な性格は、自他ともに認めるところだ。

「とても絵がうまいと、聞いたので」

 関心をいだいた。

「へえ、珍しいな。どんなことにも、無頓着そうだったのにな…色男くん」

 色男の単語に、苦々にがにがしく思う。


 この先生まで知っているのか。


「うるさい」

 人の悪い笑みを見せる教師に悪態あくたいをつく。

 更に口の端を吊り上げた坂上先生は、吸いかけの煙草の火をみ消しながら立ち上がる。壁際に備えつけの棚を開けて、中をあさり始める。

「とりあえず、1枚だけな」

「はいっ?!」

 1枚の絵をオレの前に差し出した相手の言葉に、目を見張る。

「一遍に見せたら、感動が半減するだろ」

 同意を求める教師の声。


 感動が、半減…って。


 納得いかないが口答えしたら、名本さんの絵を見せてもらえなくなりそうだから、渋々頷く。

「ありがとうございます」

 礼を述べて、坂上先生から絵を受け取る。

「この後、職員会議だから、見終わったら美術室の教壇の上に置いておけばいいから」

 棚の扉を閉めると、坂上先生は机の上を片づけ始めた。

「わかりました。じゃあ、お借りします」

 先生に一礼して、準備室から美術室に移動する。

 誰もいない室内を見て、胸をで下ろす。そのまま教壇まで歩いていき、机に絵を置いて眺めた。

 心置きなく、じっくり見れる。


 新聞紙の見開きと同じくらいの大きさだろうか。

 それに描かれた、闇の中に浮かぶ、満月。


 深い深い闇のような色。

 その中に、白い月。月の周りには、月光が輝くように白くにじむ。

 淡い光が反射するように、近くの雲が浮かび出す。


 日が陰って薄暗くなり、絵が見えづらくなる。だけど、ここから動く気になれずに、意地ずくな状況。

 しばらくそのままでいたが、いい加減電気をけようと思って顔を上げると、視界に白い色が飛び込んできた。

 きつけられるように、部屋の後ろの壁に歩み寄る。


 壁中央に貼ってある、夜桜の絵。


 青を含んだ闇の中、ほのかに浮かび上がる満開の桜の花。

 さっきの満月の絵の夜空と、また違う色彩。

 淡々あわあわしく、白っぽい桜。


 大きさに、圧倒されて。

 その鮮やかさに、リアルさに、息をむ。

 絵の下に貼ってある白い紙には、名本さんの名前と一緒にタイトルが記載してあった。


 はなかり……!?


 もう一度、真正面の絵に視線を戻す。

 パッと室内が明るくなった。

「あっ、森井くんがいますぅ。どうしたんですかぁ?」

 顔だけ向けると、扉の前に立っていた名本さんが無邪気な笑顔でこちらに歩いてくる。

「…名本の絵を見ていたのですか?」

「そう。名本さんの絵に興味があって。……すごく、綺麗な絵だね」

 夜桜の絵を指し示して、そう伝える。

 月並みな感想しか思いつかない。

「そうですかぁ?! そう言ってもらえると、嬉しいですぅ」

 本当に嬉しそうに笑って、名本さんはそう言う。

 その喜色満面の笑みに気圧けおされそうになって、絵に視線を戻した。


 彼女から目をそらしたことに気まずさをいだき、自分の心を取りつくろおうと苦慮くりょしていると、目前の夜の色に吸い寄せられる。

「この色、何色って言うの?」

「ミッドナイト・ブルーという色です。黒に近い、暗い灰みの青色ですぅ」

 夜の闇を指して質問すると、名本さんは丁寧に教えてくれる。

 楽しそうに。

 だから、もっと話してみたくなった。

「花明かりって、どういう意味?」

 聞きなれない、綺麗な響き。

「満開の桜で、闇の中でもほのかに明るいこと。そういう意味だった気がします」

 名本さんの言葉に、描かれた桜を観覧する。


 こういうのも……名はたいあらわす、というのだろうか。


 まさに、名本さんの絵そのもの。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る