第1話

* 1 *

「私。1年の時から、森井もりいくんのことが好きなの」

 放課後の美術室に呼び出され、そう打ち明けられた。

 前触れなく。


 高校2年に進級した、4月の中旬。


 相手は、5組の高橋たかはし千秋ちあき

 1年の時に同じクラスで、今年は同じ委員会になった、女子。

 高校に入学して早々、彼女から話しかけてきた。それは、クラスが別れても変わらずに続いている。

『キツい感じはするがカワイイ』

 男子の間で人気はあるが、全く興味がなかった。

 声をかけてくるから受け答えをする。

 その程度。


 前触れがなかったわけじゃ、ない。

 放課後、人気ひとけのまばらな第1校舎の最上階を指定してきたのが、予兆だ。


「だから、付き合おうよ」

 艶然えんぜんとした笑みを浮かべて、高橋さんはそう続けた。

 疑問形ではなく、言い切り型で。


 いつも女子が告げる、聞ききた台詞せりふ

 好きだから。

 付き合いたい。


 まじまじと眼前の人物を見る。

 明るい茶色い髪は、ふんわりと丸みのあるボブカット。大きな瞳はややつり目で、小さくて形のいい鼻と唇。


「ごめん。今、誰とも付き合う気ないから」

 今までと同じ断り文句を、高橋さんにも使う。

 同じことを言われて、同じ言葉を返す。

 この繰り返しに、辟易へきえきしていた。

「でも。付き合ってみないと、何もわからないわよ。付き合わないで断るのは失礼だし変よ」

 うんざりしていたから、めげずに自信ありげな彼女の言葉が、意外に思えた。


 これまでのパターンだと、ここで相手は戸惑うか、気落ちするかの、どちらか。

 たまに、泣かれるが……。


 顔つきも変えないで切り返してきた高橋さんに、こんな時だけど妙に感嘆する。

「それに、森井くんとならうまくやっていけると思う」

 わずかに興味が湧いた。

「オレのどこが、そんなに好きなの?」

「 見た目もイイし、頭もイイから」

 即答だった。彼女にたずねたことを後悔した。

 昔から自分の女顔が嫌いだったから、高橋さんの言葉に嫌気が差す。


 そんなに、見た目が重要なんだろうか。

 中身より、外見。

 結局、彼女も他の女の子たちと一緒のようだ。


 血の気が失せるみたいに、気持ちが冷える。

『他人を突き放した表情』

 よく、友人の北上きたがみに言われる、冷やかな笑みを浮かべる。

「高橋さんは、オレのタイプじゃない。だから、高橋さんと付き合うことは、絶対にないよ」

 意図的に言葉を区切って、強調させて言い捨てると、全てを言い終わるか終わらないかのところで、パンッと音がした。

 音と時間差で、じわじわと左頬に痛みと熱が沸き上がる。

 平手で叩かれたんだと、悟った。

「私、諦めが悪いから」

 挑戦的ににらんだ彼女は、きっぱり宣言すると足早に美術室から去っていった。


 …………。


「冗談じゃない」

 自分でもわかるほど、眉間にしわを寄せていた。いきどおる自分を抑えようとするが、感情が表に出る。


 ……フゥ。

 大きく息を吐き出す。


「すごかったですねぇ。まるで、ドラマを見ているようでしたよ」

 少し離れた場所から投げかけられた。

 唐突に。

「――っ!!」

 みっともなくうろたえる。


 誰――?


 目線を左へ動かすと、見知った顔がある。

 美術準備室につながる、開けっぱなしのドアの所でたたずむ1人の生徒。

「準備室にいたら、人の声が聞こえましたので……」

 すまなそうに発するのは、同じクラスの女子。

 今まで話したことはない。


 名前は、確か――――

 名本なもと夕香ゆうか


 まじまじとオレの顔を眺めたあと、何かを思いついたおも持ちで窓際の流しへ足を向ける。

 小柄な背中で、長くまっすぐなポニーテールがれるのを何げなしに見つめていた。

 名本さんが水道の蛇口をひねる。

 勢いよく流れる水音をただ聞いていた。

「よぉく冷やした方が、よいですよ。あとで、腫れてしまいますから」

 差し出された淡いブルーのハンカチ。

 名本さんは自分の左の頬を指で示しながら言う。


 屈託くったくなく笑う女子だなぁ。

 ――それが、彼女に持った初めての印象。


「ありがとう」

 名本さんにお礼を伝えてから、ハンカチを受け取って熱を持つ頬にあてる。

 ひんやりと気持ちよかった。

 ささくれだった胸中が、波がおさまるみたいに静まっていく。


 ひっそりとした校内。

 外からは、運動部の生徒たちの喧騒けんそう

 視線を動かすと、開放した窓の枠に寄りかかって外を眺める名本さんの姿。

 ゆるやかに空気が流れる。


 ふと気になって、「ねぇ…」と語りかける。

「ここで何をしていたの?」

「バッテリーの、充電ですぅ」

 そう言って、名本さんは窓の外を見る。彼女が指し示す方向に視線を移して、そこに広がる光景に引き寄せられた。


 夕日の色に染まった、雲。

 鮮やかな、朱色。

 目にしみるほど、まぶしい。


あかねぐも、と言うのですよ。キレーですよねぇ」

 その声に、そっと目を向ける。

 茜色の雲を見つめる名本さんの横顔は、とても幸せそうな満面の笑みを浮かべていた。

 その顔色に見入っている自分に気がついて、慌てて景色に目線を戻す。


 茜色。夕日の色。


 単調な世界に、彩りを添えた。


 ――本当に、綺麗だね。

 声に出さないで、うなずく。


「……名本は、帰ります。お先に、ですぅ」

 いきなり発したかと思うと、そのまま焦げ茶色の髪を左右に揺らしながら美術室をあとにした。


 ………………。




 終始、予想外。

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