第7話

* 24 *

 窓から入る涼やかな風で、体内にこもる熱を思い出す。

 風にたゆたう、小さな炎のように。


『人より頭がよいことも、ちゃんと取り柄ですよ』


 英文を読み解いていた頭の中に、ゆったとりした声が響く。

 その言葉に引き出される形で、名本さんの天真爛漫な笑みが浮かぶ。


 心臓が大きく脈打ち、体内に広がる熱気ねっきに、戸惑とまどう。

 集中できなくなって、持っていたシャープペンを教科書の上にほうり出して、立ち上がる。

 部屋の電気を消して、ベッドに寝転がった。


『勉強できるだけじゃあ、ないですよ』

 ふんわりと柔和にゅうわな名本さんのほほえみ。

 暗がりの中、鮮明に浮かぶ。


 美術室で、そう言われた後――。




「……」

 その言葉にどう答えたらいいかわからなくて、返答に詰まった。

「頭がよいのは、十分じゅうぶん、個性ですよぉ」

 なお一層笑みを深くする名本さんを見て、彼女に聞こえそうなほどの動悸どうきに困惑する。

「…オレ、ホームルーム終わってすぐ来たのに、名本さんの方が早かったね」

 この話題からそらそうとして、何を振ればいいのか判然はんぜんとしないことに、気づく。頭が真っ白な状態で出た脈絡のない内容に、名本さんは気にも留めていない感じだ。

じつはぁ……ここで課題をやってました」

 悪びれることなく、したり顔で名本さんは答える。

 くるくると変わる表情。

「へぇ。そうだったんだ」

 納得したら、続く言葉が出ない。

 話すことが見つからない。

 室内がひっそりとする中、周りの音や空気を感じるように、名本さんは耳を澄ますりを見せる。


 ――うまく会話が続かない。


「……そらそろ、帰るよ」

 そう切り出すと、名本さんは無言のまま、右手を振り始める。そうやって、オレの意見をそのまま受け入れる。

 退散するように、そそくさと美術室を出た。

 胸の奥に、じんわりとぬくもりが残ったまま。


 どんな感情を向けても、名本さんは受け止めてしまうんじゃないだろうか。


 苛立ちも、八つ当たりも。彼女には、さらけ出していた。

 情けないくらい。

 それでも、名本さんは変わらない。いつもと同じしゃべり方で、表情で、そこにいる。


 ねたみ心を持っていたのに……。

 毒気を抜かれた。




 肌寒い空気に、覚醒かくせいする。

 目を開けると薄暗い室内に、自分がどういう状況か、寝起きの頭を働かせる。


 学校から帰ると夕飯を食べて、お風呂に入って。それから、英語のテスト勉強をしていた。

 勉強に集中できなくて、休憩のつもりでベッドに横になった所までは、記憶にある。


 そのまま寝てしまったらしい。


 風の音が耳について外を見ると、雨が降ったらしく車もコンクリートも濡れている。

 道理どうりで寒いわけだ。

 起き上がり、開いたままの窓を閉めてから、机に置いたスマホを操作する。

 画面に表示されたのは、5時42分という時間。

 頭は、すっかり起きていた。

 二度寝する気もなく、今日も早く学校に行くことにした。

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