* 32 *

 校内に、時間終了のチャイムが鳴る。

「はい、そこまで。答案用紙を回収するよ」

 張りのある声で、試験監督の教員が試験終了を告げる。

「終わったー!!」

 教室内が一気に騒がしくなる。全テストが終わって、クラスメイトたちのテンションが急上昇したようだ。

「いいかー。テスト終わったからって、羽目はめを外すなよー」

 クラスの騒ぎように傍観ぼうかんできなくなったのか、教師は釘を刺してから教室を出ていった。


「カラオケ行かない?」

「いいね。行く行く」

 先生の刺した釘は短かったらしく、すぐさま室内にトークの花が咲く。

「名本も一緒にどう? カラオケ」

 名本さんの名前に、鼓動が跳ねる。

 名本さんと親しいメンバーなのか、気さくに誘っている。

「ごめんねぇ。名本は、この後美術室にこもりますぅ。また誘って下さい」

 顔の前で両手を合わせて申し訳なさそうに答えると、名本さんはバッグを持って、友人たちに手を振りながら席を離れる。

 名本さんがいなくなって、窓の外の景色がはっきりと見えた。


 薄曇りの空。


「なぁ、森井…」

「悪い。オレ、用事を思い出した」

 堀の呼びかけにかぶせて言い放ち、黒革の鞄をつかみ、飛び出すように廊下に出て足を進める。

 廊下の窓から見える景色が、明るく輝き出す。


 白黒モノクロみたいに味気のない視界が、写真のように色鮮やかに変化する。


 渡り廊下を通り、第1校舎の階段を駆け上がる。

 息を切らせながら、開放してある美術室に入ると、音に反応して振り返った名本さんのまっすぐな目とぶつかった。高い位置でひとつに束ねたストレートの長い髪が、反動で揺れている。

「いらっしゃいませぇ。」

 名本さんは破顔して言葉を続ける。

「…どうかしたんですか?」

「ちょっと、見たいものがあって」

奇遇きぐうですねぇ。名本も見たい景色が見られそうです」

 オレの返答に、名本さんは陽気に相槌あいづちを打つ。

 呼吸を整えながら部屋の中を横断して、名本さんが立つ窓辺に近づいていくと、彼女は窓の外へ目を向ける。

「あっ」と、名本さんが独りごちる。

「森井くん、見て下さい!!」

 無邪気にはしゃぐ声音に意識が引っ張られる。嬉しさと、慌ただしさが混じった、口調。

 それに釣られて、名本さんの指差す方を見た。


 雨がやんだ、低い灰色の雲の切れ間から光がこぼれ、周りをほのかにきらめかせている。

 斜めに、地上へと下りる光の筋。

『天使の梯子…って言うそうですよ』

 名本さんの声が、頭の中によみがえる。

 淡い黄みの太陽光が降り注ぐ。

 その神々しさに、心が震える。


 2回目なのに――。


「天使の梯子…ですねぇ」

 脳内で響いた声が、直接耳に届く。

 とても、穏やかな口調。

 その声音に引かれて、名本さんの方に視線を移す。

 まっすぐ前を見る、静かな横顔。その頬に、透明な雫が伝う。

 鼓動が、ひときわ大きく響く。


 ――なんて……。


 その横顔に、目を奪われた。

「キレーですよねぇ。この光景がとても好きです」

 震えた名本さんの声。


 ――オレも…。


「…名本さんが好き」

 するりと自然に出た言葉に、目が覚めたように頭がクリアになる。

「………あ」

 自分の発言を時間差で脳が認識した。


 ――名本さんが、好き。


 自分の内に沸き起こった気持ちに、動揺した。強く、まっすぐさに。

 羨ましい、と感じた。いつも彼女に心が動かされていた。

 初めてここでしゃべった時から、ずっと。

「…………」

 深く呼吸をして心を落ち着かせると、名本さんが黙ったままでいることに思い至る。気になって、彼女を観察する。

 大きな瞳をこれ以上無理だというくらい見開いて、名本さんがオレの顔を見つめる。驚きで固まってしまったのか、呼吸までも止めていそうな雰囲気に少し心配になる。

「名本さん、呼吸してる?」

「あっ、はい。…息吸ってます」

 しどろもどろに答える名本さんがかわいらしくて。


 ――やっぱり好きだ。

 改めて感じる。


 静かな室内に、振動音が響く。

「名本さんのスマホじゃない?」

 オレのスマートフォンじゃないから、名本さんに指摘すると、慌ててスカートのポケットからスマホを取り出す。

「……すみません。名本は先に帰ります」

 スマホの画面を眺めた名本さんはバッグをつかむと、がたなで去っていった。


 ……邪魔をされた。スマホに。

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