第6話 八十八か所巡り
智子は6時に目を覚ますと、身支度を整えて出発の準備をした。
夕方の松山空港から出発するフライトに間に合わせなければならない。
時計が7時を示すと、朝食をとるために1階に降りていった。
朝食は、バイキングで和洋種類も多く、おいしそうなものがそろっていたが、特段特色のあるものは無い。
パン、スクランブルエッグ、スープ、サラダ、フルーツ、コーヒーを取ると席に付いた。
夕べのことを思い返すと、思わず笑みがこぼれる。
「あの海兵隊のマークの入ったスキレットは、とても素敵だったわ。
そういえば健作さん、2回目にお会いしたときにはたしか海兵隊の中佐の制服を着てらっしゃったけど、いったいどういう方なんでしょう・・・
私は健作さんのこと、何も知らないんだなぁ」
ブラックでコーヒーの香りを楽しみながらゆっくり飲み干すと、身体は戦闘モードへと変わっていく。
チェックアウトして駐車場に向かうとレンタカーの助手席のドアを開けて荷物を置き、運転席に回ってエンジンをかけた。
8時を回ったばかりなのに、もう車内は日差しで暑くなっている。
カーナビに『仙遊寺』と入力すると、ここから25分と出た。
仙遊寺は、四国霊場八十八箇所巡りの五十八番だ。
車をナビの指し示す南へと進めると、まもなく市街を出て田園風景の中を走りぬけ、山道へと入る。
カーナビの指示に従い小さな路地を入ると、道は急にぐんぐんと登りだし道端にはいくつもの石仏が安置されている。
行きかう人々を見守っているようだ。
だいぶ登ってくると、今治市内が手に取るように見えてきた。
やがて仙遊寺に到着すると、駐車場に車を止めて本堂へと向かった。
境内は山の中腹にあり、そんなに広くない。
時間が早いせいか、本堂までは誰にも出会わなかった。
本堂に着くと親子連れだろうか、おばあさんの手を引いた息子さんが納経に来られていた。
息子は母親をいたわるように本堂にいざなうと、30歳前後の若い女性が赤ちゃんを抱いて奥から出てきて、納経を受け取った。
そして納経帳に御朱印を押してもらっている。
智子は、親子連れが出てくるのを待って本堂に入ると、静かに目を閉じて本尊千手観音に手を合わせた。
「ありがとうございます、今治で健作さんと素敵なひと時を過ごすことができました・・・」
智子は、健作との予想外の出会いに感謝するとともに、将来を祈った。
そして納経と納経帳をカバンから取り出すと、件の女性が待ち受けていた。
「お願いします。」
智子が差し出すと、五十八番を開いて、御朱印をポンポンとリズム良く押していく。
そして、筆をとると勢いよく一気に力強く書き上げた。
思わず智子は「お見事・・・」といいかけて、あわてて言葉を飲み込んだ。
「同世代なのに、ここまですばらしい文字を書くには、血のにじむような努力があったんだろうな。失礼なことを言ってはいけませんね。」
智子はそう思うと、その女性と目が合った。
智子の気持ちを理解したのだろうか、一瞬であったが気持ちが通い合うと、どちらからとも無く微笑んだ。
線香の香りが漂う中、蝉の鳴き声が本堂の中まで響いていて、まるで心が透明になったような気がした。
・・・と、突然赤ん坊のぐずる泣き声で現実の世界に引き込まれた。
「あ、ありがとうございました。」
「お気をつけて行ってらっしゃい。これをどうぞ。」
差し出されたものを手に取ると、本尊の千手観音のお札だ。
納経帳にはさんでカバンにしまうと、一礼をして本堂を後にした。
しばらく境内を散策すると車に戻った。
車のエンジンをかけると、時計を見て智子は驚いた。
「えっ、10分位しかいなかったつもりなのに、もう1時間も経ってる!!。」
時計はすでに10時になろうとしていた。
カーナビを『松山空港』にセットすると、さわやかな気持ちを車内に満たして一気に山道を下った。
松山空港でレンタカーを返すと、仲間と合流した。
「あれ、智子先輩、何かいいことでもあったんですか?
なんかとっても嬉しそうですよ!」
「あー、本当だ! 顔に、『ウレシイ』って書いてありますよ!」
智子は、思わず窓に映った顔を盗み見た。
「さぁ、仕事、仕事! 私たちの気持ちが楽しく無ければ、お客様にも空の旅を楽しんでもらえないわよ!」
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