第5話 今治の夜景
部屋に入って荷物を置くと、着ていたものを脱ぎ去ってバスルームに飛び込んだ。
やや熱めにしたシャワーを一番強くして、しばらく打たせるに任せる。
この3週間、簡易シャワーは浴びたものの、心行くまでゆっくりしたことはない。
3週間分の垢を洗い落として、無精ひげを剃るとさっぱりした。
シャワーから出て汗が引くまで待って、黒のジーンズに黒のTシャツ、黒のポロシャツを纏うと待ち合わせ時間まで10分を切るところだった。
ロビーに降りてソファーに座ると、ここ数週間の出来事が走馬灯のように頭の中を巡った。野営生活も楽しいものだが、文明の有難さもまた格別なものだなどと考えていると、智子がやってきた。
「ごめんなさい、お待ちになりました?」
「いえ、僕も今来たばかりです。さて、どこに行きましょうか?
僕は、今治が初めてなので、全くわかりません。」
「今治と言えば、焼き鳥ですよね。仕事仲間に焼き鳥の美味しいお店を聞いてきたんですけど、行ってみますか?」
「今治の名物は焼き鳥なんですか。お恥ずかしい限りですが、知りませんでした。どんな焼き鳥なのかな。そのお店に行ってみましょう。」
焼き鳥で意見が一致すると、ホテルから歩いて数分のところにある「五味鳥」というお店の暖簾をくぐった。
「いらっしゃい!!」
カウンターの奥から威勢のいい大将の声が中から響いてきた。店内はすでに満席に近い状態である。
ちょうど大将が焼き鳥を焼いている前のカウンター席が空いていたので、そこに通された。
「焼き鳥」といっても、炭火で焼くのではなく、鉄板で焼いている。
すぐに観光の一元客と見取った大将は、「皮はいくかね?」と声をかけてきた。
「健作さん、今治では、鳥皮が付け出し代わりのようなものだそうです。お嫌いではありませんか?」
「ええ、もちろん大好きです。」
「それじゃあ、皮もお願いします。」
ビールのほか、メニューを見ながら焼き鳥を何点か頼んでいくと、「ざんぎ」という文字が目に入り、何だかわからないままそれも頼んだ。
大将夫婦と、その息子夫婦だろうか、家族4人でカウンターの中外を切り回している。
大将はいかにも「頑固者」といった顔つきで、ひたすら鳥を焼いている。
それとは対照的に、年配の奥さんと、若奥さん二人は明るく愛想がいい。
「はい、お待ちどう様。鳥皮と焼き鳥だよ。」
「それじゃあ、乾杯しましょうか。」
「はい。」
「そうだ、沖縄風に乾杯しましょう。掛け声は「はな、はな、はな?」ですよ。
二人の健康を記念して、はな、はな、はな?」
健作はジョッキ半分ほど一気に飲み干すと、3週間ぶりに飲んだアルコールはかなりきつく、一気に酔いが回った。
智子は、どうやらお酒はそこそこ強いのか、ぐいぐいと飲んでいる。
「健作さん、この鳥皮って東京で食べる「皮」ではありませんね。
しっかり身がついていますよ。」
「あっ、本当だ。
たれはあっさりしているのに、こくがあってとても美味しいですね。」
「はい、ざんぎ!」といって、おかみさんがから揚げを出してきた。
独特の味付けのから揚げは、これまた絶品だった。
お互いの今までの旅の様子などで話が盛り上がると、時間は早回しの時計のようにあっという間に過ぎていく。
ふと時計を見ると、10時を過ぎようとしていた。
「それじゃあそろそろ引き揚げましょうか。」
「ええ、とても美味しかったです。
友達は、今治市内の焼き鳥屋さんの四天王のうちの一つだと言っていましたが、さすがそれだけのことはありましたね。」
「ええ、本当に美味しかったです。
そうだ、よかったら僕の部屋で夜景でも見ながらブランデーでもいかがですか?」
「もちろん、喜んで。」
店を出ると、暑かった昼間がうそのようで、風が心地よい。
18階の部屋に入ると、今治の街が一望できた。
「あら、綺麗な夜景。私の部屋よりとても素敵です。」
窓際のテーブルに氷と水を用意し、カバンから海兵隊のマークの付いたステンレス製のスキットルを取り出すとテーブルの上に置いた。
智子はスキットルを手に取った。
「とても素敵なスキットルですね。」
「ええ、昔から使っていたものですから、もう傷だらけなんですけどね。
でも愛着があって、今でも使っているんです。」
氷にスキットルからブランデーを注ぐと乾杯した。
何杯か杯を重ねると、健作はすっかり酔いが回っていった。
「ところで智子さん、なんで四国八十八か所の霊場巡りをされてるんですか?」
智子は、しばらく今治市街の先に広がる瀬戸内海に浮かぶ船の灯りを観ていたが、やがて口を開いた。
「実は、八十八か所巡りを始めたのは最近のことなんです。
健作さんが搭乗されたときに、瀬戸内海の島々を説明させて頂きましたね。
あの時、霊場巡りをしてみようと思い立ったんです。
もし健作さんとご縁があるなら・・・・とお願いしていたら、そのご利益はすぐに表れて、ここで健作さんとお会い・・・」
健作は、微かな寝息をたてて寝込んでいた。
智子は、微笑むと、
「健作さん、お疲れなんですね。ゆっくりお休みになってくださいな。」
智子は、ゆっくり立ち上がると、部屋をそっと出ていった。
数時間後健作はふと目を覚ますと、東の空が白んでいる。
「あっ、智子さん、ついつい居眠りをしてしまい・・・」
立ち上がって部屋を見まわしたが、智子はすでにいなかった。
ふとテープルに目をやると、智子の置手紙があった。
「健作さん、素敵な夜をありがとうございました。
ゆっくりお休みください。
東京までドライブ、お気をつけて!」
健作は、女性らしい、しかし力強い文字で書かれた手紙にしばらく見入っていた。
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