第2話 葛 藤

「Feels So Good はだいぶ形になってきたね。

今日の練習はこれくらいにしておこうか。」

健作は、椅子から立ち上がると、皆に告げた。


健作は楽器を片付けようとしていた早苗のところに歩み寄り、声をかけた。

「これからなんか用事あるのか? よかったら、もう少しボーカルと合わせたいんだけどいいかな?」

「はい、分かりました。」と早苗は軽くうなずいた。


いつしか部室には練習を続けている健作と早苗の二人だけになっていた。

「早苗、この曲はこのコンサートの開幕の大事な曲だ。

今回のコンサートは、いきなり爆発するんじゃなくて、静かに夜が明けると、だんだん太陽が高くなっていくように盛り上がっていくようにしたい。この夜明けの部分が一番大切なんだ。

もっと歌って欲しい。でも力が入っちゃいけないよ、静かに夜明けの静けさに自分の気持ちをシンクロさせて。

目を閉じてご覧、薄暮の空に黒々と見えている山々に、音が吸い込まれていくような感じを思い描いて!

さあ、もう一度やってみよう。肩の力を抜いて・・・そうそう、リラックス、リラックス。

ワン、ツー、スリー、フォー・・・」健作は、ささやくような声で合図を送った。

「澄み切った朝の清々しい空気を感じて! いいぞ、いいぞ、だんだん空が明るくなって、周りの風景がハッキリしてくるんだ。」


早苗は静かに目を閉じてフルューゲルを吹いている。

フリューゲルの優しい音色がメロディーを奏でると、そこに健作のボーカルが被さっていく。


「お疲れ様、だいぶ良くなってきたけど、もうちょっとだな。」

健作は、譜面から顔を上げると、そこには大粒の涙をためた早苗がいた。

涙声になった早苗は、

「先輩・・・」というのがやっとだった。

「ああ、分かってる。ごめんな、お前の気持ちは本当に嬉しいし、早苗には何でも応援してあげたい。でも、それは男女の仲ではなくて、このオーケストラの一員として、俺が部長として応援できることだけだ。」

「わ、分かりました・・・。 失礼します。」

そういい残すと、早苗は小走りにドアへと向かった。


早苗は部室を飛び出すと、扉の外にいた秀人の胸に飛び込むようにぶつかって、倒れるところを秀人に抱きかかえられた。


早苗は秀人の顔を見ると、びっくりしてグランドの方へと駆け出した。

秀人は早苗の走り去る後ろ姿を見送りながら躊躇したが、意を決すると後を追った。


グランドの隅の土手のところで漸く早苗に追いついた。

「早苗ちゃん!」

秀人は早苗の肩に手を置くと、声をかけた。

「早苗ちゃん、ちょっとそこのベンチで話さないか⁈」

走り去ろうとする早苗の肩を押さえてベンチに座らせると、早苗は、そのまま腕に顔を埋めて泣き崩れた。


早苗には、いつ果てるとも分からない位の時間が過ぎたように感じたが、やがて秀人は優しく語りかけた。

「早苗ちゃんごめんな。実は忘れ物を取りに戻ってきて、早苗ちゃんと部長の話しを聞いちゃったんだ。」

早苗はうつむいたまま泣いている。


秀人はポツリポツリと語った。

「早苗ちゃん実はね、僕も振られちゃったんだ。」

秀人は、早苗が一瞬肩をビクッと震わせたように感じた。


「僕さぁ、入学したときから一目ぼれって言うのかなぁ、とっても気になってる子がいたんだ。」

秀人は大きく深呼吸をすると続けた。

「その子のこと考えるとね、なんかこう・・・胸が切なくなってね。その子が、この前ある男の人と楽しそうに歩いているのを見て、このまま黙って見てられないと思ってさ、『付き合ってくれ』って告白しちゃったんだよな。」

走って息が切れたのか、泣いているせいなのか、最初は肩を大きく上下させていた早苗の肩は、動きが小さくなっている。


「・・・その結果は、あっさり振られちゃったよ。その瞬間『奈落の底に落ちる』っていうのはこのことかと思うくらい、目の前が真っ暗になっちゃった。」

秀人は空を見上げて大きく深呼吸した。この時季には珍しく満天の星空が広がっている。


「おっ、早苗ちゃんほらあれ!」といって、秀人は空の一角を指差した。

「ほらほら見てご覧!  空の真ん中を流れ星のように動いている光の点が見えるだろ!!」

漸く顔を上げた早苗は秀人の指差した空を見上げた。目は赤く腫れている。

秀人の指し示した先には、光の点が目で追えるくらいのスピードで動いていくのが見えた。


「あれ人工衛星だぜ! 宇宙って、果てしないよな。振られて途方にくれていたときに星空を見上げて、思ったんだ。

『こんなちっぽけな地球に70億の人間が住んでいて、その半分が女性なんだから、きっとその中にはもっと自分にお似合いの素晴らしい女性がいるんだ。』ってね。

きっと、今回は神様がお前の探している伴侶じゃないよって教えてくれたんだ。

そう思ったら少しは気が楽になったよ。」


秀人は一筋の涙が流れ落ちたのを腕で拭うと続けた。

「人工衛星が飛んでいるのを見つけると、願いがかなうんだ。さあ、向こうの山に消えちゃう前に、しっかりお願いしなくっちゃ!」

何時しか早苗は泣き止んで、ぼーっと遠く星空を眺めていた。

「なぁ早苗ちゃん、振られたもの同士、ヤケ酒でも飲みに行かないか!?」

というと、早苗は小さくうなずいた。


二人は立ち上がるとグランドを出て駅の方に向かって歩き出した。

しばらく無言で歩いていたが、秀人が口を開いた。

「早苗ちゃんは何を願ったのかな? 僕はね、『早苗ちゃんが早く元気になって、今度のコンサートで素晴らしい演奏してくれますように。』って願ったよ!」


早苗は、思わず歩みを止めて秀人を見るでもなく伏し目がちに呟いた。

「秀人さん、ありがとう・・・」

語尾はかろうじて聞き取れるか聞き取れないかくらいか細くなっていった。

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