第19話 縁・・・えにし
二人は車を降りると、杉木立の間を拝殿の方へと向かって歩き始めた。
「私が沖縄から出てきて最初に驚いたのは、4月から5月にかけての山々の新緑の鮮やかさでした。沖縄では、この清々しい新緑の季節感がありません。」
「俺は沖縄に行ったことないからよく判らないけど、新緑の季節は大好きだよ。この森の香りはなんとも言えないね。」
「沖縄は、季節感っていうと夏と冬の二つで、その中間の春と秋は内地に比べたら季節感は薄いかもしれませんが、暮らしているとそれなりに季節を感じます。・・・あっ、五重塔だ。」
「沖縄には五重塔は無いの?」
「沖縄には・・・神社はありますが、古いお寺は・・・そう、那覇市内に崇元寺っていう臨済宗のお寺さんの跡があります。たしか16世紀に建てられたものが沖縄戦で焼失して、城壁のような石を積み上げて出来た門が残ってるだけなんですよ。ちょっと内地のお寺さんとイメージとは違うかなぁ。」
「へー、そうなんだ。沖縄に行ってみたいところがまた増えちゃった!」
「是非いらしてくださいな。大歓迎します。」
「そうだね・・・あっ、ここ、ここ。ちょっとあそこ見てご覧!」
健作は、立ち止まると軒先を指差した。
典子は、見上げるとしばらく見回していたが、やがて一点を見つめると、嬉しそうな声をあげた。
「あっ、写真でみたことあります。『見ざる、言わざる、聞かざる。』ですね。」
「うん、三猿って言うんだ。これ日本が起源だと思っている人が多いけど、古代エジプトにもあって、シルクロードで中国を経由して日本に伝わったって言う説もあるんだよ。実際、世界各地にこの三猿の伝承があるんだ。」
「へー、そうなんですか。私はここ日光の三猿が起源だと思ってました。健作さん、何でも知ってるんですね。」
「付け焼き刃ついでに言うと、三猿以外にもお猿さんがいるだろ!
ここから観ると左から5枚観えるけど、右側に周ると3枚の額があるから、合計8枚の額に16匹のお猿さんが彫られているんだ。これは一生の出来事が描かれているんだよ。
1枚目は、母猿と小猿で『誕生』を表す。
母親が見ているのは、きっと子供の遠い将来なんだろうな。
2枚目は、三猿で、『幼少期』を表す。
悪に染まってはいけないと言ってるんだね。
3枚目は、座ったお猿さん1匹の『少年期』だ。
遠い将来を見据えているようで、これから独り立ちしようとしているんだ。
4枚目は、2匹の猿が口をへの字にした『青年期』を表している。
青い雲が描かれているのは、青雲の志を象徴しているのかな。
5枚目は、俯いた猿とそれを慰めている猿、そしてそして何かを飛び越えようとしている猿の3匹が『人生の岐路』を表している。
飛び越えようとするお猿さんの決意を秘めた表情は、実に生き生きとしているね。
6枚目は、座って何やら思い悩む猿と、去って行こうとしている猿が『恋の悩み』を表している。
7枚目は、仲睦まじい2匹の猿が描かれて『結婚』を表している。
青い波が描かれているのは、これから立ち向かう人生の荒波かな。
8枚目は、お腹の大きなお猿さんが『妊娠』を表している。子供が産まれると、1枚目に輪廻転生するんだろうね。
これらの猿達の作者は知ってる?」
「えっと、左甚五郎じゃないんですか?」
「これだけ見事な彫り物でありながら、作者は不明なんだよ。」
「そうなんですか。どんな方が彫られたのか、歴史のロマンですね。それにしても三猿だけではなくて、こんな深い意味があったなんてビックリ。ちょっと感動しちゃいました。」
健作は、付け焼刃の東照宮の由来など話すうちに、陽明門の前までやってきた。
「典子さん、ほらあそこ。あれが陽明門だよ。」
「うわー、すごいきらびやかですね。これが何百年も前につくられたなんて信じられない。」
「そうだ、陽明門の前で記念写真を撮ろうか!」
と健作は言うと、近くにいた老夫婦に話しかけた。
「あのー、すいませんシャッター押していただけますか?」
「ああ良いよ。」と夫の方がカメラを受け取った。
「シャッター押すだけで良いのかい?」
「はい、お願いします。それじゃ典子さんここが良いかな。」
二人は階段の前にならんだ。
「はい、チーズ。」といって夫はシャッターを押すと、妻はカメラを覗き込んだ。
「まー、仲良く取れてるわ。あなた達、どちらからいらしたの?」
「はい、私達は東京から来ました。おじさま、おばさまはどちらからいらっしゃったんですか?」
「あら、奇遇ね。私達も東京から来たのよ。」
と妻が答えると、夫が後を継いで答えた。
「私達は小学校の同級生でね。昔小学校の修学旅行で日光に来たのさ。」
「そうそう、もう60年も前のことでしたね、あなた。」
「ははは、その修学旅行を二人でやり直しているんだよ。修学旅行の時期がインフルエンザの流行った直後で、クラスでかからなかったのは私だけ。
ところが、修学旅行の朝からなんか調子が悪くなり始めて、無理して参加したんだけど結局宿に直行して、修学旅行中ずっと宿で寝て過ごすことになってね。その時宿に残って面倒見てくれたのが、学級委員だったこいつなんだ。」
「あなたは、39度近い熱をだしてうんうんうなっていたのに、修学旅行が終わって帰るときには、熱も平熱に戻って、いったい何しに日光に来たのか判りませんでしたね。」
老夫婦は、顔を見合わせると、にこやかに笑った。
「あら、とっても素敵な馴れ初めですね。」
典子は感動したように老夫婦をみつめた。
妻は典子のそんな視線を感じると微笑んだ。
「あなた達は、恋人同士なの?」
「あ、いや・・・」
健作は一瞬言いよどむと、典子を見た。典子の真っ直ぐに見つめる目を見ると、にっこり微笑んで老夫婦の方に向かい合った。
はい、僕達は恋人同士です。」
と健作は答えると、夫は言った。
「そうかい、お二人ともとてもよくお似合いだよ。これから山あり、谷あり、決して平坦じゃないだろうけど、自分の心にうそをつかずに真っ直ぐに生きていくんだよ。」
「あなた、ちょっと。」といって妻は夫の手を握った。
「おっと、説教じみたこと言って悪かったね。年寄りの悪い癖だ。それじゃあ、お二人さん、またどこかでお会いしましょう。」
「はい、ありがとうございました。」と健作は言うと、二人は深々と頭を下げた。
老夫婦は腕を組むと、ゆっくり去っていった。
老夫婦の後姿を見送った二人はどちらとも無く手を繋ぐと、陽明門に続く階段を上り始めた。
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