第8話 音 色
健作が体育館のフロアーに向かうと、授業が終わって間もないせいかまだ部活は始まっていないようで、フロアーには誰もいない。
周りを見渡すと、典子は二階のスタンドに座っていた。
「典子さ~ん!」健作が見上げて声をかけた。
典子は健作の方に顔を向けると、
「あっ、先輩!」と微笑みながら手を振った。
健作は体育館の外廊下に出ると、階段を駆け上がって二階のスタンドへと向かった。
「典子さん、こんにちは。待たせちゃったかな?」
「いいえ、私も今来たばかりです。今日はよろしくお願いします。」
「うん、こちらこそよろしく。どこで練習しようかなぁ・・・
今日はうちのバンドが練習お休みなんだけど、部室でもいいかな?」
「はい。」
静かな体育館に、典子の歯切れの良い返事が残響を残して響いた。
二人は、キャンパスを横切るとグランドの片隅にあるスターゲイザーオーケストラの部室へと向かった。
「俺さぁ、典子さんのことまだ何も知らないんだよなぁ・・・。典子さんはどこに住んでるの?」
「私は、梅が丘にアパート借りて住んでいるんですけど、実家は沖縄です。」
「へ~、典子さんウチナンチュウなんだ。でも『黒木さん』て苗字は沖縄では珍しいんじゃない?」
「ええ、母の実家が沖縄のコチンダで、父の実家が熊本なんです。父はダイビングのインストラクターで、宜野湾でショップやってます。」
「なるほどねぇ・・・。お父さんが日本人・・・あっ、いや失礼、九州男児なんだ。」
典子は屈託無く笑った。
「沖縄では、ヤマトからきたお婿さんのことを『ウチナームークー』っていうんですよ。『沖縄のお婿さん』という意味です。」
「へ~知らないことばかり。俺沖縄に行ったことないし、第一泳ぎは得意じゃないからダイビングは無理かな。典子さんは、潜ったりするの?」
「ええ、一応マスターダイバーです。機会があったら、今度は私がダイビングお教えしますよ。
カナヅチだって大丈夫。だってダイビングって海に沈んでいくんですから。水に対する恐怖心をコントロール出来る人であれば、誰でも潜れます。」
健作は、ポンと手を叩いて納得したように笑った。
「確かに。浮いている必要ない・・・っていうより沈まないとダイビングじゃないね。
そうそう、お母さんの実家の『ナンチャラ』って沖縄のどこら辺なの?」
典子は可笑しくて笑いをこらえながら答えた。
「『ナンチャラ』じゃなくて、『コチンダ』です。漢字で書くと、東(ヒガシ)の風(カゼ)の平(タイラ)と書くの。内地でも東風(ヒガシカゼ)のことを古い言葉で『コチ』って言うでしょう。
だから、沖縄独特の読み方というよりは、古い日本語って感じかな。
同じく南風(ミナミカゼ)のことを『ハエ』っていうことから、南(ミナミ)の風(カゼ)の原っぱ(ハラッパ)って書いて『ハエバル』と読む地名があるんですよ。」
健作は関心したようにうなづいた。
典子は、一呼吸おくと続けた。
「東風平は、沖縄本島南部の那覇市の東側にあります。
私の両親は戦後生まれですが、ファーフジは終戦のときは小学生で・・・」
「ちょっ、ちょっと待って。」
健作は典子の話をさえぎるように口を挟んだ。
「典子さん、『ファーフジが小学生』ってどういう意味?」
典子はクスッと笑うと続けた。
「ファーフジは、ウチナーグチで『祖父母』のことなんです。
終戦当時祖父母は小学生で、とても苦労したそうです。」
「へ~、ますます典子さんのことで知らないことが増えたみたい。
あ、着いたよ。ちょっと待って、今鍵あけるから。」
健作はキーホルダーを取り出して鍵を開けると、典子を中に招き入れた。
「さて、はじめようか。楽器はこれを使って。」
健作は、黒く細長いフルートの収まったケースを取り出すと、典子に手渡した。
典子はふたを開けると、
「こんな大切なものをお借りしてもいいんですか。」
と健作に言った。
「この楽器は、俺が小学校4年生のときに初めて買ってもらった楽器なんだ。今でもこの楽器が我が家にやってきたときのことを覚えてるよ。亡くなった親父が目を輝かせながら家に飛び込んできて、袋から取り出したのが段ボールに入ったこのケースだったのさ。でもね、今はまったく使っていないから、楽器がかわいそうなんだ。楽器って何でもそうだけど、使わないとダメになっていくんだよね。典子さんだったら、きっとこの楽器を生かしてくれるし、空の上で親父も微笑んでるよ。」
「え~、先輩にとって宝物じゃないですか。本当にお借りしちゃって良いんですか? 大切に使わせていただきます。」
典子は楽器を組み立てると、しげしげと眺めた。
「先輩、このフルート、新品みたいにぴかぴかですけど・・・」
「一応典子さんに使ってもらうために、自分でオーバーホールしたんだ。タンポも全部取り替えて新品同様。長年吹き込んであるから、新品より音が抜けてて使いやすいと思うよ。
じゃあ、まず好きに吹いてみて。」
典子は構えると、チューニングするときのB♭を鳴らした。
健作はそれを聴いて、注文をつけた。
「典子さん、それじゃあ今度は最低音から最高音まで吹いてみて。」
典子は、最低音のCから2オクターブを超えてGまで吹いて楽器をおろした。
高音域に行くと、顔をしかめて体中に力が入って吹いている。
「ごめんなさい、これ以上はちょっとつらいかな。」
「了解、典子さんなかなか良いよ。良い音させてるね。楽器をそこのテーブルの上にでも置いて真ん中に立って。」
典子は楽器をテーブルの上に置くと、部室の真ん中に立った。
「それじゃあ典子さん、軽くジャンプしてみようか。」
「えっ、これが練習なんですか?」
「うん、まずは立つ姿勢から見直してみよう。軽く飛び跳ねて、着地したときの姿勢が一番安定して良い姿勢なんだ。」
「へ~、そうなんですね。それじゃあやりま~す。」
典子はその場でジャンプした。
「そうそう、足が肩幅に開いて着地したでしょう。その肩幅の広さのスタンスを忘れずにね。
じゃあ、楽器の頭部管だけ外して、今のように立ってみようか。」
・・・
気がつくと、外はもう真っ暗になっていた。
「おや、もう19時を回ったね。そろそろ終わりにしようか。
それじゃあ、毎日10分でも20分でもいいから、さっき教えたロングトーンの練習しといてね。」
「はい先輩、ありがとうございました。」
「どう、もうこんな時間だし、どこかで晩御飯でも食べていこうか?」
「ありがとうございます。ご一緒させていただきます。」
典子は目を輝かせて答えた。
健作と典子は部室を出ると、キャンパスを抜けて駅へと向かった。
「俺さっき典子さんのこと色々聞いちゃったから、典子さん何か聞きたいことあったら聴いても良いよ。」
「はい、あ・・・う~ん・・・」と典子はうなると、困ったように顔をしかめた。
「あれ、典子さん何も聞くこと無いの?」
「あっ、いえ、聞くことがたくさんありすぎて、何から聞いていいのかわからなくて困っちゃったんです。」
典子は答えると、二人は大笑いした。
二人は、駅近くのファミレスに入ると、夕食をとりながら話しを続けた。
「ところでさ、修のやつ今日智子さんと映画を観に行ったって知ってた?」
「ええ、トモチャンから『今日は修さんと映画観に行くんだ。』って楽しそうに話してくれました。」
「そっかぁ、あの二人うまくいってくれるといいんだけとなぁ」
「ええ、私もお似合いのカップルだと思います。」
話は弾み、夜は更けていった。
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