第3話 強風

 天魔の塔の地下迷宮。その最下層。

 一人の少年が横たわっていた。その奥の壁には、巨大な穴がぽっかりと口を開けている。

 少年の名は、バーン・イーグニス。意気揚々とやってきた地下迷宮で、落とし穴の罠にはまり、最下層に落とされた。モンスターと一度の戦闘もせずに。

 最下層は、毒々しい空気で満ちていた。普通の人間ならば、数分で気分が悪くなるであろう。これが、強大な力を持つ魔物の住む世界なのだ。

 その邪気が充満する中に、一人の悪魔が鎮座していた。魔王の側近たちと同レベルの力を持ち、周囲から恐れられている存在。しかし、自由気ままな振る舞いから、その地位は決して高くはなかった。まさに、異端である。

 悪魔の名は、ゲイル・ヴァーティゴ。魔物たちが魔王に忠誠を誓う中で、ゲイルにはそれが欠如していた。

 ゲイルは、他の魔物が魔王に忠誠を誓う理由がさっぱり分からない。別に魔王に何かしてもらっているわけではない。魔王は、魔物の地下迷宮で生きるモンスターたちのシンボルではあるが、特に崇拝する理由にはならない。

 自分にもう少し力があれば、魔王を打ち倒し自分が次代の魔王として君臨することができると常々考えていた。魔王になったところで、他の魔物を支配するつもりなどさらさらなく、自由にやりたいだけなのだが。

 だが、それには力が足りない。今のままでは、魔王の側近たちに束になられては勝ち目がない。その後に魔王も控えているというのに。

 今のままでも十分に自由にやれている。無理して魔王を倒すこともない。ここ数十年は、そんな考えが頭をもたげているのも事実だった。

 そんなゲイルの前に、一人の人間が転がり落ちてきた。地下一階の落とし穴から落下してきた人間。その人間を殺すことがゲイルに与えられている役目だった。

 しかし、大抵その人間たちは、ろくな装備も身につけていない。恐らく大した戦闘経験もないのだろう。到底、戦士とは呼べない、ただの人間たちだ。

 ある程度、闘いが楽しめるならまだいい。しかし、赤子の手をひねるようなことを続けるのはゲイルの性には合っていない。最近は、自ら手を下さず、部下に任せるのが常となっていた。

 またか……。ゲイルは、大きくため息を吐いた。今日もゲイルの前に人間が転がり落ちてきた。

 うんざりしながら、部下を呼ぼうとしたときだった。ゲイルの目にあるものが飛び込んでくる。

 燃える炎のような紅。その人間は、炎のごとき髪をまとっていた。

 ……聞いたことがある。人間の中に、炎を自在に操れる一族がいると。

 数百年前の神との闘いの最後、神が残した予言。――炎は悪の王の身を焦がすであろう――。ケツの穴の小さいことに、魔王はその予言を恐れていた。

 つい最近行われた魔族幹部の会議で、その炎の一族を滅ぼそうということになったらしい。幹部の一人を脅して聞き出した会議の内容では、じきにその計画が実行されるという話だった。

 ゲイルはゆっくりと、転げ落ちてきて気を失っている人間に近づく。

 ……間違いない。確か、炎の一族と呼ばれる人間の特徴は、髪の毛が炎のように紅いということだったはずだ。

 転げ落ちてきた人間は、少年のようだ。しかし、魔王が恐れるあの一族の人間ならば、少年でも戦力になるかもしれない。成長著しい少年ならば、自分が鍛えることで立派な戦士へと成長を遂げる可能性もある。

 これは、思わぬ幸運を拾った。クソみたいな役目を押し付けられて、腐ること百年以上。それが報われる瞬間がやってきたようだ。ゲイルの顔が不気味に歪む。

 少年の側へと近づくと、ひざまずく。ゲイルは、少年の胸へと手を乗せる。

「小僧、お前の力を俺によこせ!」

 ゲイルが渦巻く風へと姿を変える。まるで小さな竜巻だ。その風は倒れている少年を覆いつくすと、少年の体へと吸い込まれるように消えていく。

 バーンの体がドクンと大きく波打つ。

「ぎゃああああああああぁぁぁぁぁ!」

 突然、バーンが苦しみの声を上げた。それは一瞬だったが、彼の全身を貫く痛みが走った証拠だった。

 主を失った部屋に静寂が訪れた。

 バーンは激しい痛みにより、再び気を失った。額を、全身をあぶら汗がつたうが、それを拭うこともできずに流れるままだ。

 その部屋の静寂が破られるのは、それからしばらく時間が経過してからのことだった。

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