―第三章 鳥籠――

3-1「酒場にて」



 職人アーシャン西大通り一層目と貴族ノーブル北西大通り一層目の間にある三番中通り、そこに赤煉瓦造りの建物がある。

 〈ペルシュ・ド・コルボ―〉という表札を掲げた建物だ。

 その建物こそおっさんの言っていた旅宿なんだが。

 来てみてなるほど、これは確かに客入りの悪そうな旅宿だと納得した。

 客足の多い市場マルシェ通りから、遠く離れているという立地の悪さもさることながら。本来、綺麗にしていれば美しいはずの赤煉瓦の外壁は、所々表面が崩れているうえに黒く煤けていて寧ろみっともなくなっちまっている。

 そのせいか、木材と漆喰壁で造られた建物が建ち並ぶ中では珍しい建物であるにも拘らず。異彩を放ちすぎて、人通りも灯りも少ない暗がりの中通りでは逆におどろおどろしく見えた。

 旅宿自体も玄関先に灯りを吊るしているわけでもなく、窓からもそれらしい光が漏れていないので人の気配が感じられず――実際は中に何人かいるのは分かっていたが――ここが旅宿だと知ってなければ、大体の人間は倉庫か幽霊屋敷とでも思って素通りするだろう。


 おっさんから場所を聞き及んでいた俺ですらそうしかけたんだから間違いない。


 中の内装も、盗人、山賊、ゴロツキといった連中が好んで住みそうな様式だった。

 内壁は外壁と同じくボロボロで、手持ちの角灯を入隅いりすみに向ければ蜘蛛が巣を張っている。木張りの床も場所によっては弛んでいて、そこに足を踏み置けば、なんとも気の抜け落ちそうな外れた音を見事に奏でた。

 まぁ、こういった場所をさっき言った連中が本当に好き好んで住みたいのかは俺は知らないしどうでもいいが。

 少なくとも俺は此処に一晩厄介になる必要があった。

 はっきり言って、おっさんの店とタメを張れるぐらいに酷い有様だったが、建物の大きさや元々の格式の高さがあるぶんこっちの方がいくらかマシに思える。

 と、散々けなしちゃいるが不満があるわけじゃない。

 この時間帯で宿が取れるのはありがたいし、路上で寝るよりかはそれこそずっとマシだ。

 おまけにこの旅宿は、素泊まりがたったの銅貨十枚という破格の料金。

 あの、昼に食ったグランムートンの串焼きより安い宿泊料だ。普通の旅宿ならこうはいかない。大体、素泊まりでも銀貨一枚は取られる。飯付きとなったら尚更高い。

 その点をよくよく踏まえてみれば、手持ちの少ない俺にはぴったりの旅宿だと言えた。


 そんなこんなで俺は、広間の奥の受付で鎮座しているこれまた怪しい店主に金を払い、めでたく本日の寝床を確保することが出来たわけだ。


 ただ、金を払う際に「泊まりだけか?」なんて聞かれたが「飯が出るのか?」と訊き返せば「いや、飯はない」と返され意味が分からなかったが、なんだか怪しさを感じたのでそれ以上追求するのはやめておいた。

 それから俺は、旅宿の大衆浴場で念願の湯浴みをじっくりと済ませては、旅宿近くにある酒場で腰を落ち着かせている。

 場所は二階の露台バルコニー。湯浴みで火照った身体を夜風に晒しつつ、心地よく今夜の晩飯が運ばれてくるのを今か今かと待ちわびていた。

 そしてその時はやって来る。


「お待たせしました!」


 ハツラツとした声を上げながら、酒場の女給仕が客商売特有の満面の笑みで俺の横に立つ。

 両手に持った銀の器にはご待望の晩飯が載っていた。


「ご注文の川魚のムニエルと、野菜と羊肉のラグー、バゲット、そして乳入りの林檎汁ラポーム・オ・レになります!」


 この地方では良く取れる特産物を使った伝統的な料理。その料理名を一つ一つ挙げながら、給仕は慣れた手つきで俺の眼の前の円卓に並べていく。

 料理から立ち上る美味しい香りに俺は鼻と舌が先にやられ、すぐにでもかぶりつきたい衝動に駆られたが――。


「お客さん?」


 と、横の給仕にニコニコと手を差し出されてそれは一旦抑えられた。

 何を求められているかはよくわかっている。

 俺は「手間かけさせた」と軽く笑って見せると、金銭袋から銅貨一枚取り出し親指で弾いた。

 給仕はこれを豪胆に腕を振っては伊達に掴む。

 それから料理を持ってきた時と変わらないハツラツさで、「ごゆっくりどうぞ!」と言っては次の料理を運びに一階へと駆け戻っていった。


 ――にしても、張り付いた笑顔ってのはあの給仕の事を言うんだろうな。


 終始変わらない笑顔で淡々と業務をこなす給仕の姿を見ていた俺は、漫然とそう思うとラポーム・オ・レをちびりと一口飲み込んだ。

 まぁ、酒場の盛況具合からしてそうなっちまうのは致し方ないのかもしれない。

 ここも市場通りから離れた場所に店を構えているとはいえ、多くの職人が住まう職人アーシャン通り。一階から二階まで血の気の多い漢どもが酒で顔を真っ赤にしてガヤガヤと騒ぎ立てている。歌う者、喧嘩する者、くだを巻く者、いろんな輩がいるがそいつら全員を相手に注文を聞き入れなければならないんだから骨が折れるのは傍目からでも分かる。

 なかには、ここぞとばかりに給仕の胸やら尻を揉みしだこうと手を伸ばす輩もいる始末な為、自然と給仕の態度が逞しいものになるのもうなずけた。

 だが、そんなことを馬鹿真面目に考察するよりももっと他に考えなければいけないことがある。


 今後の俺の予定についてだ。


 当たり前だが今日の残り一日のではなく、今後の目的についてな。

 つっても、殆どどうするかは俺の中では決まっている。

 それはかつて俺が過ごしていた街。そして今じゃ廃都となったという、学都オルドルへ向かおうと思う。

 おっさんが言うには、何故かそこにオルドル騎士学校の元・教官がいるらしいからな。

 その元・教官が誰なのかはわからないが、少なくとも八年前の事件に巻き込まれた同じ騎士学校の被害者の内、初めて知った俺以外の生存者であることは間違いない。

 なら、何が何でも会うべきだ。

 会えば、もしかしたら奴の詳しい情報が手に入るかもしれない。

 奴だけじゃない、フィリオとエレナが生きている証拠だって――。


「いや、だから過度な期待はよせって……」


 言いながら俺は軽く頭を振った。

 おっさんのを聞いて、未だ希望を抱こうとするなんてな。そう思うと、ことさら自分に呆れてきて今度は自嘲した。

 ただ、そう、あの話。それについても今一度、おさらいしておく必要があるかもしれない。

 自身の甘い考えを払拭するために。だが、二人のを知ることまで断念しないように。

 だが、まぁとりあえずだ。


「せっかくの晩飯が冷めちまうな」


 それは飯を食いながらでも出来る。

 俺はそうやって深まりそうな思考を一度現実に引き戻すと、手始めに川魚のムニエルを堪能することにした。


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