幕間「ヴァンとルルと……」
「お兄ちゃん、ばいば~い! 今度来た時は雑貨も何か買っててねぇ!」
雑貨屋《シンビオーセ》から去っていくリヒトの背中をルルが店先から手を振って見送る。
その傍らに立つおっさんことヴァン・ヴェトリーガも、四十二年という刻んだ歳と多大な経験によって培われたニヒルさを漂わせて、ルルと同じくリヒトを見送っていた。
「さて、じゃあルル。俺達もそろそろ店仕舞いにして飯でも喰いに行くか」
リヒトの姿が完全に道角へと消えると、ヴァンは娘に接する父親らしく相好を柔らかく崩してはルルに言う。
ルルも「うん! もうお腹ペコペコだよぅ」と、お腹に手を当てて実に成長期の子供らしい。
そんな二人の姿は誰からどう見ても仲睦まじい親子であり、血の繋がりという問題を超えた親子の絆が確かに存在していた。
だが、この二人の間柄が初めから仲の良いものだったかというと、そういうわけではない。
今に至るまで、幾つもの悲しみを乗り越えてきた結果があってのことだ。
それを今ここで筆舌に尽くすには些か都合が悪く割愛するが、二人もまたリヒト並みの波瀾に満ちた経緯があったことは間違いないと言っておく。いずれまた、触れる機会もあろう。
「ちなみに、ルルは今日何が食いたい?」
「ん~、お肉が食べたいかな!」
「そうか、肉か。じゃあ今日はヴィアンドのとこにでも顔を出すか。嫌そうな顔をするだろうがな」
「あはは、ヴィアンドさんヴァン君のこと苦手に思ってるもんね」
実に他愛ない、ごくありふれた会話をしながら二人が店内へと戻る。
ついでながらに――二人の会話に出てきたヴィアンドという人物とは、昼間リヒトにグランムートンの串焼きを売りつけた露店の店主のことだ。
昼間は露店で暴利の串焼きを観光客や旅人に売りつけて、夜は露店とは別に自身の持つ店で肉のメイン料理をそこそこお得な値段で振舞うそこそこ名のある料理人でもある。
そんな彼がヴァンを苦手とする理由は、過去に〈
「あれ? でもヴァン君、今日の夜は確かお仕事があったんじゃなかったっけ。時間は大丈夫なの?」
店仕舞いの最中、ルルに尋ねられたヴァンは角灯の蠟燭を取り出す手を止めて、あぁと今思い出したかと言わんばかりに気の抜けた声を上げた。
「ちょっとヴァン君、まさか忘れてたわけじゃないよね?」
「いやいや、大丈夫だルル。忘れてなんかねぇって、だからそんな目で睨まないでくれ」
自身の娘に咎められ思わずたじろいだヴァンは、顎をさすりながら咄嗟に誤魔化した。
実のところ、ちょっとだけ忘れていた。
「本当かなぁ? ヴァン君、なんか都合の悪い時や嘘吐いたりする時は顎を触る癖があるからなぁ」
「うっ――」
しかし、さすがヴァンの娘と言ったところか。
ヴァンの癖を熟知しているルルは親の虚言に誤魔化されず、それを指摘した。
先程までの天使のような可愛らしい笑顔が一転、小悪魔が面白いイタズラでも思いついたような微笑をヴァンに向けている。それでも随分と可愛らしいのは変わらないんだが。
「——たく、言うようになったじゃねぇかルル」
ヴァンはそんなルルのことを少しばかり嬉しく思っていた。
やはり〈時勢の使徒〉に身を置くものとしては、自身の娘にも相手の噓や魂胆を見抜けるようでいて欲しいのだろう。
ただ同時に、自身のように虚言や戯言を並び立てて人様をおちょくるようにはなってほしくはないとも思っていた。
いつまでも純真で、されど人に騙されない程度には頭が回る。そんな娘でいて欲しいというのがヴァンの親心であった。
「まぁ、つっても。依頼された仕事まで、ルルとゆっくりお喋りしながら晩飯にありつくだけの時間はあるから大丈夫だ」
「ん~……じゃあ大丈夫だね!」
「あぁ、大丈夫だ」
ヴァンはそう繰り返すと片付けの手を再び動かし、蠟燭を取り出してはフッと息を吹きかけ火を消した。
店の片付けもひとまず終えると、お洒落できらめいていた店内も闇に包まれ、今や灯りはヴァンとルルの手元に携える角灯のみとなる。
ヴァンはその角灯を掲げると、今一度店内を見回し不備がないか確認した。
「よし、まぁこんなもんだろ。あとは店の扉を忘れずに鍵掛りゃあ――っと、いかんいかん裏口の方を先に閉めとかねぇとな。危うく忘れるとこだった」
裏口とはリヒトが最初に入ってきた扉のことだ。
ただ、裏口には鍵はないのでヴァンの言う閉めるとはこの場合、リヒトが動かした木箱を元の位置に戻すことを意味する。
「もう、最近ヴァン君物忘れが多くない? そろそろ本格的におじいちゃん入ってきたんじゃあ……」
「ルル……その言葉は流石に俺も傷付くぜ」
ちなみにルルは天然だ。
天然ゆえに何気なく言葉を発する。
そこに悪意はない。寧ろ今回は心配しての発言だ。
しかし如何せん、まだまだ自身のことを若いと思っているヴァンにとって〝おじいちゃん〟という言葉はそれなりに彼の心を抉った。
ヴァンは自身の仕事部屋――リヒト曰く陰気で埃臭い部屋――へと戻る。
ここでまた一つ、ルルのおじいちゃん発言を否定出来ない事実を目の当たりにする事となる。
「いや、やっぱり本当におじいちゃん入ってきてるかもな」
ヴァンは後ろ髪をガシガシと掻きながら帳場を見やる。
帳場の上には青年――リヒトから請けた依頼内容が綴られた羊皮紙が転がっていた。
「人様から請けた依頼をこんな風に放置するなんてなぁ」
〈時勢の使徒〉として、情報屋として、それはあるまじき行為であった。
なんせ羊皮紙には個人情報が含まれる。万が一、盗まれたりでもされたら依頼者だけじゃなく組織の名も知られてしまう。そうなればヴァンは組織にその責を問われるだろう。そしてその責は、是非もなく命を以てして償わなければならない。
〈時勢の使徒〉の情報屋にとって依頼書とは正に自身の命そのものでもあるのだ。
「老いか……」
ヴァンは自身の失態を認めると、生物であるならば誰しもが抗えない現象を悲観した。
それから気を取り直し、依頼書を開いては綴った内容を再度確認する。
依頼内容は、リヒトの友人二人の捜索と件の男の居場所を突き止めることだ。
――あの青年も諦めが悪いというか、なかなか難題な依頼を押し付けてきやがる。ま、気持ちは分かるけどな。
ヴァンは心の内で呟き、依頼書の隅に書かれたリヒトの名前を人差し指で弾いた。
まさにその直後――。
頭の中で何かがカチリと噛み合ったような気がした。
うん? と、ヴァンは低く唸る。
それが何なのか分からないが、とにかく違和感を感じたヴァンはその原因であるリヒトという名前に注視する。
「リヒト……リヒト。そういえば何処かで聞いた気が……」
口元に手を当て青年の名を繰り返し、頭の奥底深くまで潜り込む。
リヒト、八年前、騎士学校、銀髪で紅眼。
次々に連想される青年の情報を辿りつつ古い記憶の断片を探った。
そして、
「あっ――」
思い出した。
ヴァンは慌てて背後の木棚、その下部の引き戸を開け放ち奥から古い木箱を引っ張り出す。
古いといえど立派な木箱だ。この世界にしか存在しない特殊な樹液を使って防虫処理も施されている。
正直、宝箱と表現した方が早いそれをヴァンは両腕で抱え上げると、帳場の上へと重々しく置いた。卓上の埃が宙に舞う。
「たしかこいつだったよな」
舞った埃は気にせず、長い年月を掛けて木箱に被った埃だけを払ってやり、ヴァンは木箱の
金属板には〝ラスタ暦2156〟と彫られている。
現在が〝ラスタ歴2164年〟なので、つまり今から八年前の木箱だと分かる。
ヴァンは自身の持っている鍵で解錠すると木箱の口をゆっくりと開いた。
中には少々古ぼけた羊皮紙の束が平積みにぎっしりと入っている。
「え~っと、どれだったかなぁ」
片手で角灯を持ち中を照らしながら、非常にやりづらそうに羊皮紙の束をかきわける。
なかなか目当ての物が見つからない。
「ヴァン君、まだ~?」
そこに丁度、空腹のまま待たされていたルルがしびれを切らしてやってきた。
「丁度よかった。悪いルル、少し手伝ってくれ」
「別にいいけど、なに探してるの?」
「ん? まぁ、ちょっとな」
ヴァンは明確に説明せず、ルルに角灯で木箱の中を照らすように頼んだ。
ルルはなんだかはぐらかされて若干むくれたが、「あとで食後のおやつに甘いお菓子を買ってやるから」とヴァンが言ってやるとパッと機嫌が良くなり言葉に従った。
そうして、ヴァンは紐で括られた羊皮紙の束を尋常じゃない速さで次々と捌いていく。
羊皮紙の束は全てラスタ歴2156年に完了、又は依頼者都合で破棄された依頼書だ。
ヴァンはその内の一つ、とある依頼者が出して途中で破棄された依頼書を探していた。
やがて、全部の依頼書の半分ほどを捌いたところでその手が止まる。
「あった……これだ」
落ち着いた口調で言うと、一枚の羊皮紙を紐の括りから解いては取り出した。
羊皮紙の依頼者名には〝レオポルド・グランツェア〟と書かれている。
そしてヴァンは依頼書の内容に目を通すと、ニヤリと非常に下卑た顔つきをした。
「まさかと思ったがやっぱりか、とんだ偶然があったというかなんというか……いやぁ面白いことになってきたもんだ」
「ああ、ヴァン君が悪い顔してるぅ」
ルルが無感情に言う。
すると、ヴァンはスッと表情を戻した。
だが、別にルルに指摘されたからそうしたわけではない。
裏口の向こうから〝誰か〟が近づいてくる気配を感じとったからだ。
一体こんな時間に誰が?
不審をあらわにヴァンが疑問を浮かべる。
それも当然。
それは〈時勢の使徒〉の仲間でも同じこと。
すなわち裏口からやって来る客人というのは、リヒトのような仲介人から紹介を受けてやってきた者か、たまたま迷い込んだ人間か、或いは組織の秘密を知る者でしかない。
そして、既に前述したとおり仲介人からの来客者ではないことは明白。
迷い人にしてもずんずんと真っ直ぐこちらに向かってくる気配がするあたり、違うなとヴァンは勘づいていた。
ということは?
「ルル、帳場の陰に隠れてろ」
ヴァンは緊張を孕んだ声音でルルを自身の右奥へと優しく押しやった。
状況を察したルルも、動揺することなく慣れた様子でちょこんと地べたに座る。
小柄なルルはそれだけで完全に隠れられ、帳場向こうから姿が見えることはない。
ひとまずルルの安全を確保したヴァンは、懐に忍ばせた
数秒後――。
吊るした鈴を打ち鳴らして、裏口の扉が開いた。
玲瓏たる音が響く中、来客者の姿がヴァンの目に飛び込む。そして、思わずその目を見張った。
何故なら、来客者の容姿含め風貌が自身の想像するようなものではなかったからだ。
では一体、どんな姿をしているというのか。
まず第一に、際立った印象を挙げるならばその者は〝白ずくめ〟だった。
白を基調とした
次に、遅れて気付くのがその背丈と図体。
この全身白ずくめの人物、誰がどう見ても間違いなく――
「……子ども?」だった。
ヴァンは殆ど聞こえないほどで呟くと、一瞬気が緩んでしまったことに気付いて直ちに気を引き締め直す。
子どもと言えど油断はするな。何より自身が言えたことではないが、どう見たって怪しい人物には変わりない。しかし、どうする? まずは
そんな自問自答をし終えるのと、白ずくめが動くのは同時だった。
コツコツと足音を二つ鳴らして白ずくめが店内へと入ってくる。
続いて扉が軋みを立ててゆっくりと閉まった。
「おいおいおい、どうした? こんな時間にこんな所に子どもが来ちまって……って、もしかして迷子か? 迷子なら住んでる場所か宿泊している宿の名前を教えてくれりゃあそこまで案内するぜ?」
リヒトの時でもそうだったであるように、ヴァンは身振り手振りを交えて大袈裟に反応して見せては人柄の良さを演出した。
これはヴァンの情報屋としての常套手段の一つで、相手の性格や考えを推し量ったり、騙して情報を盗んだり油断させたりと、とにかく相手を自身の流れに乗せ都合よく物事を進める為の技であった。
ところがだ。
「そんな猿芝居はしても無駄よ。だって私、あなたの正体知っているもの。あなたがそうなんでしょ? 〈
どうやら白ずくめは全てお見通しのようであった。
ほう、とヴァンは息を吐く。
「確かに正体を知られてちゃあこんな芝居に意味はねぇな。しかし――嬢ちゃん、俺の事を何処で誰から聞いた?」
「正直に話せば、私に向けたその短剣を納めてくれるのかしら?」
「それは嬢ちゃんの返答と今後の行動次第だな」
ヴァンの手元で、角灯の灯りを受けた
今さっきまでしていた人好きがする柔和な笑顔も、人を殺めることを厭わない冷血なものへと変わっていた。
しかし、冗談ではないはっきりとした殺気を向けられたにも拘わらず、白ずくめもまるで動じない。
そればかりか「ふーん」とつまらなさそうに鼻を鳴らして、
「話すのは別にいいけど。その前にあなたは私の正体に気が付かないのかしら? だとしたら正直、大陸一の情報屋と聞いて呆れちゃうのだけど」
ヴァンを煽るような発言をした。
なに? とヴァンは目を細める。
それは白ずくめの挑発に腹を立てたわけではない。白ずくめの発言の中に、まず〈時勢の使徒〉内部の者でしか知らない筈の事実が出てきて動揺してしまったからだ。
この嬢ちゃん、何処まで俺達のことを知ってやがる? それに、自分の正体に気が付かないのかって……いったい――。
ヴァンは繫々と白ずくめの外見を再び観察した。
勿論そうしたところでさっきと服装と背格好は一緒なので何の気付きにもならない。
ならないが、頭巾の奥で憮然と結ばれた唇。その横に視線を動かした時、頬にかかる朱に染まった髪を見てヴァンはようやく気付いた。
「まさか嬢ちゃん、今話題のお尋ね者か?」
問うと、憮然に結ばれた唇が微かに端を持ち上げて綻んだ。
「正解よ」
白ずくめはそう言うなり被った頭巾を後ろに脱ぎ、見事な朱一色の鮮やかな髪と少女というには少し大人びた顔をヴァンの目の前に晒した。
それから、外套に取り付けた小物入れから一通の手紙を取り出し、ヴァン目掛けて投げつけた。
「——うおっと」
言葉ほど驚いた様子もなく、空を切ってまっすぐ飛んできた手紙を片手でヴァンは掴み取る。
掴み取って「これは?」と少女に訊ねた。
「読めばわかるわ」
取り付く島もなく言い切られ、仕方ないといった具合でヴァンは手紙の封を切った。
まず最初に色々と訊ねたいことはたくさんあるんだがな。
胸中で一人ごちては手紙の内容を読む。
読んでから「なるほど」と納得がいった。さほど文章は長くはないが、少女の言うように読めば訊ねたい全ての答えが手紙には書き出されていた。
ヴァンは手紙を懐にしまい、はぁ……とため息をつくと少女に向けた短剣を下に降ろした。
「どうやら〝向こう〟で仲間が世話になったみたいだな」
「それはお互い様。あなた達の仲間のおかげで私はこうして〝こっち〟に来ることが出来たんだから」
「そう言ってもらえると助かる。でだ、はるばる遠方から
名前を告げると、少女――サラは好奇心と探求心に満ちた微笑をヴァンに向けた。
「決まってるでしょ? 情報を買いに来たのよ」
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