2-3「情報屋」
門をくぐり街に入った俺達は、まず最初に近くの
厩と言ってもそこは首都だ。規模が違う。何百の馬を抱えられるだけの小屋と人員が配置されている。
毎日何百と行商人がやって来るわけだから当たり前と言えばそうだ。
とにかくそこで俺は自分の馬を預け、おっちゃんは代わりの馬を一頭
ここで俺はおっちゃんに告げる。
「それじゃあ、おっちゃんともここでお別れだな」
「へ?」
突然そう言われたおっちゃんは、一瞬何の事だと固まったが――。
「かー、そうかそうだよな。あんちゃんともここでお別れだよな……」
理解すると、分かりやすく肩を落とした。
どうやら俺がこのまま一緒に付いて行くもんだと思っていたらしい。
おっちゃんには残念だが、俺には俺の都合がある。そういうわけにはいかない。
だが、落ち込まれたままで別れるのもあまり気持ちは良くない。
そう思った俺は元気付ける為におっちゃんの肩をポンと叩く。
「そう気落ちすんなって、おっちゃん。別に死に別れるわけじゃねぇんだ。旅してればまたどっかで会うだろ? つうか俺も明日の朝まではこの街にいるし、ちょくちょく顔を合わせると思うぜ」
俺の言葉を聞いたおっちゃんが目を瞬かせ、「そっか、そうだよな」と呟いた。
「そういうこと。ほら、おっちゃん笑顔笑顔。商人が暗い顔なんかしてたら客が寄り付かないだろ? しゃんと笑って商売繁盛大儲け! おっちゃんならそれが出来るはずだ」
「あんちゃん……」
俺からの励ましを受け取ったおっちゃんはそのつぶらな瞳をやっぱり潤ますが、自身の丸っこい顔をバシバシと叩いてはこれを耐える。
そして俺に言われた通り姿勢を正すと、二カッと笑ってはこう述べた。
「ありがとうなあんちゃん、俺としたことが商人としての心得を忘れてたぜ! ほんとに最後まであんちゃんの世話になりっぱなしだった!」
決してそんなことはない。俺もなんだかんだで馬車に乗せてもらえれて楽することができた。
特に一人旅ってのは常に気を張り続けるから、体力の消耗もそれなりだ。
だから俺もおっちゃんには感謝している。
「そんな事ねぇって、俺だっておっちゃんには世話になってんだからお互い様だろ?」
しかしそのことを伝えると、今度は「いやいや! 俺なんか命救ってもらってんだから!」と返された。
このまま俺がまた「いやいや!」と続けると、たぶんまた「いやいや!」とおっちゃんが返すだろう。
そうすると感謝の押し問答になって、埒が明かなくなりそうだ。
ここらで締めくくろう。
「……じゃあ、お別れだ。元気にやれよ、おっちゃん」
俺は手を差し伸べた。
おっちゃんがその手を強く掴む。
「本当に助かった! ありがとう! あんちゃんも色々大変だと思うが、元気でやってくれよ!」
じゃあな、そのたった一言の言葉を最後に俺達は別れ、それぞれの行く先へと足を進めていった。
「さて――」
どうすっかなと、俺は腰に手を当て周囲をぐるっと見回した。
時刻はとっくに昼を越えているのに、どこを見ても人、人、人だ。
店の前でも中でも、噴水周りだろうと、そこには必ず人だかりがある。
いま俺の横をすり抜けてった男も「邪魔だな」と顔を顰めていたが、それぐらい人の往来も激しかった。
それもそのはず――。
俺が今いるのは首都イデアルタの南門から中心の城まで延びる大通り、通称
詳しく言うなら二層目のど真ん中で突っ立っている。
「なんだよ二層目とか三層目とか、わけわかんねぇよ……」
と、この街について知らない近くの誰かが嘆いているが、親切に教えてやるなら俺はこう説明する。
この街はまず、中心に向かって八本の大通りが放射状に走っているんだが、北と南が
さらにこの街は、円の上に小さい円、その上にまた小さい円と言った具合に全部で五層の円が積み重なったような造りをしていて、一番低い円から一層目二層目と数えているわけだ。
遠くから見ると平皿のように街が広がって見えるのはそれが所以。
なんでそんな面倒な造りをしているかとさらに聞かれれば、それはこの街が大河の上に存在しているからと教えてやろう。
この街の下には東から西に向かって大河が流れているんだが、長雨によって氾濫した場合、街が沈まない為の策としてこの造りになった。
万が一沈んだとしても低い層のみなので、上層にいれば安心ということだ。
それと大河の流れる東西には幾つもの水門があり、西側の水門を閉じることによって自ら街を沈めることも出来る。
これは街が攻め込まれた場合。籠城、又は逃走する時間を稼ぐ為の苦肉の策としてあるらしい。
街の至る所で木製の小舟を見かけるのは、今言った二つの点を考慮した結果って事だ。
まぁ――。
俺はそれを説明することなく、肉の焼ける良い匂いに誘われては一つの露店の前で今度は立っているんだが。
「お、なんだ兄ちゃん。見てばっかじゃ腹は膨れないぜ?」
立ち寄るなり、俺にそう揺さぶって来る店主。
しかし値段を見る限り相場の三倍はする。良い肉を使っているんだろうが、腹を満たすだけなら安肉で十分だ。
流石に高い、と感じた俺は踵を返す。
「うちの串焼きは絶品だぞ~? なんせあのグランムートンの特上肉を使ってるからなぁ……他の街じゃあ、絶対に味わえないぜっと――ほらっ!」
だがこの店主、去ろうとする俺の背中越しにこう語りかけてきやがった。
そして、俺は振り返ってしまった。
目の前にはじゅうじゅうと美味しい音を奏で、脂を滴らせてるグランムートンの肉。特上肉。それを眼と耳で捉えてしまっては、瞬く間に口の中で涎が広がっていく。
ゴクリ――。喉が鳴った。
ここで俺は気付いちまう。そういえば俺、昨日から林檎しか食ってねぇなと。
「とりあえず買って喰ってよ、その閉じた口に堰き止めた涎を肉と一緒に流し込んじまいな!」
止めの一撃。
見事としか言いようがない店主の売り文句に食欲を嬲られた俺は、無意識に巾着袋から銅貨十二枚を取り出していた。
「毎度あり!」
店主の満面の笑みと共に手渡される特上肉の串焼き。
辛抱たまらず、その場でかぶりついた。
口の中で肉汁が広がる。嚙めば嚙むほど旨味が溢れる。
その絶品に思わず「美味い……!」と声を漏らさずにはいられない。
あの
――だけどだ。やっぱり余計な出費だったと俺は反省する。
そもそも俺は、あまり持ち合わせが少ない。
およそ、残り四日で銭無しになるぐらいには金がない。
だからどこかで一度、稼がなければいけないんだが……。つうかあの
「いや~、良い喰いっぷりだねぇ。もう一本いっとくか?」
そんな俺の金銭状況は露知らず、店主がほくそ笑んでぬかしてくる。いや、ただ笑っているだけなんだろうが、今の俺からしたらそういった風に見える。
このままじゃ俺が、店主にいいようにされただけで終わる。それじゃあ癪に障る。どうにかして、払った金以上の何かを得たい。
そう考えたところで俺は、一か八か一つの事を店主に尋ねてみた。
「おやっさん、この街で一番の情報屋がいる場所とか知らねぇか?」
串を焼く店主の手が、ピタリと止まる。
「なんだ兄ちゃん、旦那の客か?」
焼いている串を見詰めたまま、低く冷然と言い放った。
さっきまでの店主とは雰囲気がまるで違うことに俺は、これはまさかの大当たりか?
と、悦ばずにはいられない。
もし旦那って奴が街一番の情報屋なら、それは間違いなくこのイデアルタ共和国一の情報屋って事になる。
これは絶好の機会だ。旦那って奴の居場所を教えてもらうしかない。
「旦那って奴が誰かは知らねぇけど、そいつが街一番の情報屋ってんなら何処にいるか教えてくれ。訊きたいことが幾つかあるんだ」
あえて冷静に、だが表情は真剣に俺は言った。
店主が串焼きから視線を外し、俺の目を見据える。視線と視線がぶつかる。
そして、無言のまま数秒が経った。
――ジュウッ!
特上肉の脂が炭火に落ちたところで店主は視線を戻し、一度串焼きを火から遠ざけてから再びこちらに向く。
「なんか事情があるみてぇだな。いいぜ……教えてやるよ」
そう言っては、店主が怪しく笑った。
その大通りの道沿いにある家具屋《ル・ププリエ》の横道を真っ直ぐ進むと――途中、左に人ひとりが通り抜けられる路地がある。
路地は建物に囲まれているが、陽が中天にあるお陰で随分と明るい。気取った表現をするなら光の道に見えなくもないぐらいだ。まぁ、どうでもいいが。とにかくその道をひたすら突っ切っていくと、今度は十字路に差し掛かった。
それを今度は右に曲がって進んでいくと、最後は開けた場所に出る。
しかしそこはどん詰り、人知れず育った草木と数羽の小鳥が日向で休んでるだけで何もない。まるで平和と静寂を絵に描いたような場所だ。
と、思ったところでこの場に似つかわしくない物が俺の視線に入った。
「……あれか」
俺の視線の先には、壁沿いに置かれた不自然なまでに大きい木箱が一つ。
それに近づいては押し退けようと、俺は両腕にあらん限りの力を込めた。
「でぇら――って、なんだよ……意外に軽いな」
拍子抜けするほど軽い。
さほど力を入れなくても動くほどだ。
――ってことは、木箱の中は空なんだろう。よく見れば木も腐っている。見た目以上に軽いのも当然か。
そう考えながら俺は木箱を適当な場所まで移動させる。
すると――。
「でもまぁ、おやっさんの言った通りだ。ここが旦那って奴の店で間違いはなさそうだな」
木箱の裏の壁側には木製の扉があり、雑貨屋《シンビオーセ》と書かれた札が吊るされていた。
扉を少し開けばギィっと軋み、思い切って開けばチャリンチャリンと鈴が鳴った。
俺は気にせず上がり込み、目を凝らす。
薄暗い。周りの壁には窓が一切なく、僅かに光を取り込んでいるのは小さい天窓だけだ。あれじゃあ、部屋全体を照らすことは出来ないだろう。
それに埃くさい。差し込んでいる光に照らされて、塵が煌めいている。
「……なんてとこで商売してんだよ」
そう吐き捨てると、俺は辺りをうろついた。
どうやら雑貨屋というのは本当で、幾つか並べられた長い卓の上には生活に欠かせない日用品が置かれており、他にも装飾品や武具、何に使うのか良く分からない物まで幅広く、ぞんざいに並べられていた。
しかし、よく見ればどれもこれもが高級品ばかりだ。中には金銀や宝石等があしらってある物まである。値札を見ても、俺の手には
だが、埃を被っている。
俺は装飾品の一つを手に取り埃を払ってやると、天窓から注ぐ光に
くすみが酷く――特に装飾品の宝石部分は――翳したところで鈍くしか輝かない。
「旦那って奴は売る気あんのか? 商品が死んでんぞ」
嘆くように俺は言って、装飾品を元の位置に戻した。
——にしても。
入った時から気付いてはいたが、人の気配がしない。旦那って奴も見当たらない。
留守の時間に来ちまったかと思ったが、いくら埃を被っているとはいえ高級な品々を曝け出したまま出かけるような商人がいるとは思えない。
いや、この散々たる商品を見ると、あるいはそうなのかもしれないが――。
「人の店の売りもんにケチをつけるたぁ、随分な御身分じゃねぇの……青年?」
――突如、背後で男の声がした。
「——ッ⁉」
俺は慌てて振り返った。なんなら
「おっとっと……まぁ落ち着けって、ここでの荒事は禁止だ。ほら、剣から手を外せって」
卓を挟んで向こう側。天窓から差し込む陽光を受けて、
一体いつからそこに立っていたのか、気配らしい気配なんてものを全く感じなかった。
気配、殺気、気迫。これらを感じ取ることに自信のあった俺としては、驚愕を超えて笑うしかない。
だから俺はハッと乾いて嗤い、構えを解いては男を睨んだ。
「誰だよテメェは?」
「そんなこと訊いてぇ、本当は分かってんだろ?」
男は無造作に生え揃えた顎髭を撫でながら、へつらうように笑みを浮かべる。
「俺が青年の探している旦那だよ。つまりこの雑貨屋の店主であり、街一番の情報屋だ。どうも、お見知りおきを」
手を胸の前に持っていき、腰を深く屈めては大仰しく挨拶をしてみせた。
「あんたが……」
俺が呟くと、男が顔を上げる。
壮年と思わせる顔つきに、垂れた瞼と眠たげな眼。覇気も無ければ気力も無い。男はそんな面をしていた。
だがその実——男の黒い瞳は全てを見透かさんとばかりに、怪しく、ぬるりと、奥で光っている。
油断ならない男だと俺は思った。
「怪しそうに人の顔をジロジロと見んなって……俺は噓なんかついてねぇぞ?」
白髪交じりのぼさぼさな黒髪を搔きむしっては、また怪しく笑みを浮かべる。
「噓吐いているかどうかなんて、〝旦那を知らない〟俺には判断出来ねぇな」
冗談めいて言いつつも俺は、脅すように
だが男は、俺に脅されたところで怯む素振りも見せない。
むしろ手の平をパンと叩いては「おう、言われてみれば確かにそうだ」とあたかもいま気付いたような反応を示す。
「でもよ、青年? お前さんにここの場所を教えた奴は、旦那って奴がどんな風体をしてんのか言ってなかったか?」
男の言葉通り、確かに言っていた。顔はまぁ見ての通りで、身長体格は俺と変わらず、服装は黒の
照らし合わせてみると、うん、まぁこの胡散臭さを体現したような奴が旦那で間違いはなさそうだ。
俺は黙って機構弓剣から手を外し、それを肯定の意味合いとした。
「どうやら俺が旦那だって認めてくれたみたいだな。良かった良かった」
そう言って、男はさも安心したように笑う。
とても噓くさい笑顔だ。
人柄の良さを演出して、自身の胡散臭さを隠そうとしているのが見え見えだ。
まぁ俺も、あのロッシュとかいう副団長さんに同じことをかましていたわけだから人の事は言えないが。
それはともかく――この男が旦那と分かった以上、さっさと情報を貰うとしよう。
「んなことよりも、あんたには訊きたいことがあるんだ。まず――」
「ちょいと待った!」
男が手で制した。
「気が早すぎるぜ青年……そんなせかせかしてると
身振り手振りを交えて軽口を叩く男の姿は、いちいち芝居掛かっていて、若干とは程遠い苛つきを覚える俺。
「名前なんざどうでもいいだろ。アンタは情報を売り、俺が買う。それだけだ」
「ところがどっこい! これが重要なんよ。どうやら、青年は何か勘違いしてるみたいだな」
怒気を込めて言ったところで、男の態度は変わらない。
たぶん無駄だと理解すると、俺は早々に諦めて慣れることにした。おっちゃんみたいに、一人相撲になってしまっては無駄に疲れるだけだ。
「……勘違い?」
俺が聞くと男は頷いた。
「そう、勘違いだ。どうやら青年は、俺達から情報を手に入れるのにただ金を払えばいいと考えてるようだが……そうじゃねぇ。まず、情報が欲しいのなら俺達の組織〈
は? と俺は思った。
あまりにも突拍子もなく、組織だとか〈
「ちょっと待て、それはどういうことだ?」
だから俺は説明を求めて男に聞いた。
「どうもこうもねぇ、そのまんまの意味さ」
だが、男はこうだ。
どうやら俺の質問の意図を理解してくれなかったらしい。
「いや、そうじゃなくて……情報を買うのに組織に入らなきゃならねぇ理由とか、〈
再度、質問の仕方を変えて男に聞くと「あぁ、そういうことか!」と、またわざとらしく手を打っては声を上げた。
なんというか、緊張感のないやり取りだ。
「そいつは確かに説明しとかねぇと、青年も納得いかねぇわな。いいぜ、話してやんよ。でもまぁ、立ち話もなんだ……あっちで話そう」
男が親指で部屋の奥を指し示す。そこには帳場があり、細長い台と椅子が二つ置いてあった。
つまり腰を据えて話そうってことか、これは長話になりそうだな。
理解すると俺は「分かった」と頷き、男に促されるまま部屋の奥へと足を向けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます