第7話 7月28日
僕とカッちゃん、秀彦が再び顔を合わせたのは、あの衝撃の告白を受けてから、一日後のことだった。昨夜、カッちゃんから図書館に集合という電話があったからだ。
あの時、千葉刑務所にいる長岡直人宛に手紙を出したというカッちゃんからの告白を耳にしたとき、僕はその理由を追求することができなかった。
それはなぜか。理由は簡単だ。カッちゃんは、あの告白をして、そのまま走り去ってしまったからだ。その時、カッちゃんを追い掛けることはできたし、カッちゃんの家、武田雑貨店に乗り込むこともできた。電話をして問い詰めることもできたが、しなかった。もう出してしまった手紙を止めることはできないからだ。
ただ、なぜ長岡直人に手紙を送ったのか、理由は聞いておかなくては。
僕は気合を入れて、カッちゃんを待っていた。自分の自転車は駐輪場に停めて、ベンチに腰掛け、図書館への入口を睨むように見つめていた。
いくら無期懲役で刑務所に入っているとはいえ、相手は殺人犯だ。長岡直人宛の手紙に何を書いたのか分からないが、僕や秀彦に危険が及ばないとは言い切れない。それなのに、僕らの了承なしに殺人犯と接触を計ろうとするとは……。
空はぬけるように蒼く、雲一つなかった。今日も暑くなりそうだ。朝からセミがけたたましく鳴いている。
刑務所での生活は、どんなものだろうか。毎日、暑い日が続いているが、クーラーは効いているのだろうか。この暑い日々では、熱中症になってしまう。屋外と同じ、もしくは、それ以上に暑いということはないだろうが、二十四時間涼しく快適ということもないとは思うが。
小学生の僕には、暗くジメジメとしていて、薄ら寒いようなイメージしか持っていない。……我ながら、貧困な想像力だ。
その時、一台の自転車がやってくるのが見えた。僕はそれに身構える。
しかし、その自転車の主はカッちゃんではなかった。赤い自転車。遠山あかりだった。
遠山あかりは、ベンチに僕がいることを見つけると、笑顔を浮かべてくれた。
「おはよう、日下君」
「おはよう、遠山さん」
遠山あかりは駐輪場に赤い自転車を停めると、ベンチへと駆け寄る。
「遠山さんって、そんなにいつも本を借りているの?」
「うん。一日一冊ぐらいは読めるから。日下君も熱心だね。……自由研究のテーマ決まった?」
僕は迷ったが、思い切って真実を話すことにした。変な奴だと思われても構わない。遠山あかりに、また嘘をつきたくなかった。
「うん、決まったんだ。カッちゃん、秀彦と一緒にやることにしたんだけど……テーマは殺人事件なんだ。最近、月野市で白骨死体が見つかったでしょ?それを調べてるんだ」
遠山あかりは、少しだけ驚いた表情を覗かせた。だが、それはすぐに笑顔に戻った。
「殺人事件を調べてるって、探偵みたいでかっこいいね。私、推理物の小説も読んだりするから、探偵ってちょっと憧れちゃうな」
今度は僕が驚く番だった。遠山あかりが探偵に憧れているなんて、想像もつかないことだった。ひょっとしたら、彼女は僕が思っているよりも活発な子なのかもしれない。
「そっかー。じゃあ、日下君におすすめする本、推理小説も候補に入れて考えておくね」
「うん、ありがとう」
こんなにも、遠山あかりと話が合うとは思わなかった。彼女と会話するのが楽しかった。学校だけでは、到底知りえないことだっただろう。
「じゃあ、私、もう行くね。ごめんね、邪魔しちゃって」
「全然、大丈夫だよ。またね」
遠山あかりは、何度も振り返り、僕に手を振ってくれた。そうしながら、図書館の中へと入っていった。
僕は、遠山あかりが見えなくなっても、しばらくの間、彼女が消えた空間を眺めていた。
それから、秀彦が姿を現すまでの数分間、僕の頭の中では先ほどの遠山あかりとの会話がリピートされていた。
秀彦が図書館へやってくると、僕らはお互いの情報を交換した。
秀彦もカッちゃんが長岡直人へ手紙を出したことを、僕と同じタイミングで知ったらしい。こんなことなら、千葉刑務所の住所なんて教えなければ良かったと憤っていた。
そして、彼は僕とは違い、昨日カッちゃんに電話して、長岡直人に手紙を出した理由について問いただそうとしたらしい。しかし、カッちゃんに今度話すからと、あしらわれたとのことだった。
いったい、カッちゃんはどんな考えがあって、長岡直人に手紙を書いたのだろうか。
そこへ、カッちゃんが姿を現した。悠々と急ぐ素振りも見せずに。
カッちゃんは駐輪場に自転車を停め、ことさらゆっくりと僕らのところ、木々が影を作っているベンチへとやってきた。
「おう、早いね君たち」
僕らの顔を見回し、カッちゃんがそう口を開く。
「早いねじゃないよ、カッちゃん!長岡に……」
カッちゃんに噛み付かんばかりの剣幕の秀彦の顔の前に、カッちゃんは紙を突き出す。それは、一枚の封筒だった。
「封筒が何?そんなことよりも……」
「俺が書いた手紙に、長岡から返事があったんだ」
秀彦の言葉を遮り、カッちゃんは封筒をひらひらとさせる。まるで、獲物を自慢する猫のようだ。
「長岡から返事があった?」
僕と秀彦は、カッちゃんの言葉に目を丸くして、顔を見合わせた。
とても信じられることではなかった。突然送られてきた、縁もゆかりもない小学生からの手紙。それに返事をくれるとは……。刑務所での生活は、よほど暇なのだろうか。
「早速、みんなでこれを読んでみようぜ」
カッちゃんは、そう言って封筒を乱暴に開封する。
殺人犯からの手紙。……何が書いてあるのか分からないが、普通の小学生が目にしていいものではない気がする。
僕には、一度目にしてしまったら、もう普通の小学生には戻ることができない悪魔の世界へのチケットに見えた。
封筒から取り出された手紙は、何の変哲もない便箋だった。が、僕には禍々しいオーラが、熱湯から噴き出す水蒸気のように激しく立ち上っている気がする。
「ちょ、ちょっと待ってよ、カッちゃん。そもそも、長岡直人にどんな手紙を書いたのさ?」
カッちゃんがどんなことを書いたのか知っておかなくては、返事を読んでも意味が通じないだろう。だが、僕の本音は、少しでも長岡直人からの手紙を読むことを先送りにしたかった。
「どんな手紙って……、大したことは書いてないさ。月野市に住んでいる小学生だってこと、月野沼で白骨死体が見つかったこと、それに数年前に月野市で起きた殺人事件について調べていること。ああ、刑務所の暮らしは、どんな感じなのかは聞いたかな」
後頭部に力いっぱいに殴りつけられたような衝撃が走る。一瞬で目の前が真っ暗になった。
カッちゃんは、長岡直人に自分の情報を洗いざらい教えてしまったのだ。しかも、返事が来るということは、当然、カッちゃんの名前も住所も知っているということになる。
……、まさか、まさか、僕らの名前まで教えているのではないだろうか。
「カッちゃん、長岡直人に僕らの名前は教えた?」
「オウ、当然だろ!一緒に自由研究してるんだから」
二度目の衝撃。後頭部にガツンと。足元がおぼつかなくなり、めまいがするようだ。地面がひび割れ、その巨大な裂け目に落ちていく。僕が必死にもがいても、手は
殺人犯に自分の名前を知られてしまった。それは、普通の小学生である僕にとっては、死刑宣告も同然だった。
河童ヶ池の河童などの妖怪やお化けなど、得体の知れないものは確かに怖い。だが、妖怪やお化けは、本当に存在するのか分からない。殺人犯、長岡直人は間違いなくこの世に存在するのだ。千葉刑務所の中ではあるが。いや、手放しに怯えていても仕方がない。カッちゃんが長岡直人に手紙を書くのなら僕らに話してくれていれば、何かしら偽名を使うとか、やりようがあったとは思うが……。
まだ、長岡直人からの返事を読んでいないのだ。手紙を読んでからでも対応はできる……はずだ。秀彦の顔が青くなっているのを見ると、彼も僕と同じ思いなのだろう。
僕は励ますように秀彦の背中をポンと叩く。
「分かったよ、カッちゃん。じゃあ、長岡からの手紙を読もう。ただ、これからは勝手なことはしないでよ。みんなでやってる自由研究なんだからね」
恐らく、僕が釘を刺しても何も変わらないとは思うが、僕と秀彦のために言っておかなくてはならなかった。
「分かった、分かった。ほら、読むぞ!」
……僕が思っていた以上に、カッちゃんには伝わっていないかもしれない。
僕と秀彦は大きなため息を吐くと、カッちゃんが開いた手紙へと目を落とす。
手紙ありがとう、武田君。小学生から手紙をもらうことに関しては、いささか驚いた。私はこれでも一日に少なくとも数通の手紙をもらうのだが、小学五年生というのは私にとって最年少記録だ。普段、あまり返事を出すことはないのだが、特別に返事を書くことにした。
先日、月野沼で白骨死体が見つかったことは知っている。刑務所でもテレビはある程度、自由に見ることができる。ニュースや新聞で世間がどうなっているか、どんな事件が起こっているのか、しっかりと把握している。無期懲役で刑務所にいるのにおかしいかい?人間というのは、そう易々と自分の習慣を捨てられないものなんだ。私の場合、それだけが理由ではないがね。
君たちが思っているよりも刑務所の暮らしは悪いものではない。食事は三食出るし、適度に体も動かせる。自由な時間もある。以前の自分よりも健康的な毎日を送っているぐらいだ。
以前、月野市で起きた事件を調べているようだね。確かに、あの事件の犯人は私で間違いない。夏休みの自由研究のテーマに殺人事件を選ぶのは、非常にユニークだ。小学生には刺激が強すぎる気もするが……。退屈な刑務所暮らしだ。できる限りは協力しよう。二人の友人にもよろしく
言ってくれたまえ。
長岡直人
長岡直人からの手紙を読み終えると、僕ら三人は顔を見合わせた。拍子抜けするほど、普通の手紙だった。長岡直人は、紳士的で想像していた殺人犯像とはかけ離れていた。本当に本人が書いたものなのか、疑いたくなるほどに。
僕は殺人犯、それも連続殺人を犯すような犯人は、もっと人間離れした思想を持っているものだと思っていた。悪魔的というか……まったく会話にならないような。
それが……僕らと何も変わらないじゃないか。それなのに、あんな猟奇的な事件を起こしたのか。そう考えると、じわじわと恐ろしさがこみ上げてくる。
しかし、カッちゃんは違っていた。
「どうだ、やっぱり手紙を送って正解だっただろ?自由研究、協力してくれるってさ!」
カッちゃんは、今にも小躍りしそうだ。顔には満面の笑みを浮かべ、太陽の光の下でガッツポーズを決めていた。
「よーし、早速返事を書くぞ!今日はこれで解散な。また、何かあったら電話すっからさ」
最後まで言い終わらないうちに、カッちゃんの足は駐輪場へと向かっていた。
僕と秀彦が掛ける言葉を探しているうちに、カッちゃんは走り去ってしまった。
それからしばらく、僕ら二人は言葉を失ったままだった。耳にはセミの声が響いていた。
僕の中には、おそらく秀彦の中にもいろいろな感情が渦巻いていた。
殺人犯に自分のことを知られてしまった恐怖。勝手なことをしたカッちゃんへの腹ただしさ。長岡直人が僕らと何も変わらない人間だったという安心感と、それに伴う新たな恐怖。
頭の中はかき混ぜられたようにグチャグチャで、様々な感情を自分の中で処理するには時間が必要だった。
どれだけの時間、そうしていただろうか。十分?二十分?それとも一時間?僕らはずっと黙ったままだった。
ベンチの側にあるベンチに影を作っている木からセミが飛立つのを合図にしたように、秀彦が口を開いた。
「瞬、うちに来ないか?」
図書館を出てしばらくすると、ある交差点へと差し掛かった。先導する秀彦は、何の迷いもなく左へ曲がる。この交差点が僕らの家への分かれ道となっていた。
この交差点を右へ行くと、僕が住むマンションがある住宅街が広がっている。まっすぐ進むと、カッちゃんの家、武田雑貨店が軒を構える商店街だ。左の方は、僕のマンションがある住宅街よりも比較的新しい家が並んでいる。現に秀彦も小学校に入るタイミングで、引っ越ししてきたと聞いたことがある。
僕らは、そのまだ新しい家々の間をすり抜ける。少し進むと、秀彦の家に到着した。
左右両隣の家と比べても、すぐに分かるほど秀彦の家は大きかった。彼は、僕やカッちゃんと比べてお坊っちゃんなのだ。それは、家の大きさしかり、スマホを持たされていることでも分かることだったが。
そして、僕の家と違って共働きではない。いつもきれいなお母さんが、家で待っていた。
僕は適当な場所に自転車を停めると、秀彦の後を追った。秀彦はもう玄関のドアに手をかけるところだった。
「ただいまー。ママ、瞬を連れてきたよー!」
「おじゃましまーす」
秀彦に続いて玄関に入ると、ひんやりとした空気が僕らを出迎えてくれた。ジリジリと皮膚を焼くような日差しを受けた後の肌には、その冷たい空気がありがたかった。
「いらっしゃい、日下君。お昼まだよね?すぐに作るから食べていってね」
「すいません、ありがとうございます」
秀彦のお母さんに頭を下げる。
いつも昼食は、コンビニなどで適当に済ませていたので、ありがたかった。僕の家は、母親も働いているので、家に帰っても特に用意されてはいない。母さんが帰ってくるのは夕方だ。家にいると、それまでは一人だった。
秀彦のお母さんが作ってくれた昼食を食べ終えると、僕らは秀彦の部屋に移動した。
秀彦の部屋も冷房が効いていて、快適そのものだった。
彼の部屋は壁に備え付けられていた本棚があり、僕が持っていないマンガ本で溢れていた。本棚の側には、誕生日に買ってもらったと話していた天体望遠鏡が立っていた。
秀彦は、机の上に置かれたパソコンの電源を入れる。パソコンが立ち上がるとWebブラウザを開き、あるホームページを表示させた。
「ちょっと、これを見てもらいたいんだけどさ」
黒いバックに、赤く血が滴るような文字が書かれていた。一目で悪趣味だと分かるような画像だった。
「
「ブラッドブレイン」
アルファベットを読み始めた僕の言葉に重ねるように、秀彦が言った。
「ブラッドブレイン……。それって、あの長岡直人の?」
秀彦は、まるで授業中の先生にでもなったかのように説明を始めた。
「そう、ここ何日か僕もインターネットで長岡直人のことを調べてみたんだ。これは長岡直人の……正確には、長岡直人の熱狂的な信者が作ったホームページなんだよ」
「熱狂的な信者……長岡直人の?」
僕は思わず聞き返す。
「そうなんだ。長岡直人には彼を崇拝するいわゆるファンが全国に多数存在するらしい。連続殺人を犯した犯人には、少なからずそういったファンがいるらしいんだ。しかも、長岡直人は刑務所にいながら、何冊か本を出版しているからね。頭も良い。それを読んだ人間が、彼を崇めたり……があるみたいなんだ」
秀彦はそこで一旦言葉を止め、僕の顔色を
「ここを見てよ。長岡直人の刑務所での様子が、ほぼ毎日更新されているからね。何を考えてカッちゃんの手紙に返事を書いたのか分からないけど……。そうとうヤバい人間だと思うよ」
僕は絶句して、言葉が出てこなかった。秀彦に何と言えばいいのだろう。
自分が想像しているよりも、状況は悪かった。まさか、長岡直人にそんなファンがいるなんて思ってもみなかった。長岡直人が刑務所内で指示すれば、僕らを殺しに来る人間だっているかもしれない。今、この瞬間だって、窓の外で僕らを見張っているかもしれないのだ。
「どうかな、瞬。カッちゃんは、ああなったら止まらないよね?」
「……うん、たぶんね」
カッちゃんは、もうだいぶ一人で突っ走っている。おそらく誰が言っても止まらないだろう。それは、カッちゃんとの長い付き合いの中で分かっていたことだった。ひょっとしたら、カッちゃんの両親から言ってもらえれば止まるかもしれないが……。殺人事件を調べていて、刑務所にいる殺人犯と文通しているから、止めさせてくださいって。……信じてもらえるとは思えない。手紙を直接見せれば信じてもらえそうだが、肝心の手紙はカッちゃんが持っている。上手いこと言えば、貸してくれるだろうか。……強引に奪い取るか?
「僕もそう思う。だからさ……二人で別の自由研究をしないか?」
「……二人で?」
「ああ、別にカッちゃんをのけ者にしようって訳じゃないよ。たださ、やっぱり自由研究のテーマが殺人事件ってマズくない?ダメだって言われたときのために、もう一つ別のテーマで自由研究をしといた方がいいんじゃないかと思ってさ。カッちゃんがいいって言えば、カッちゃんも一緒にやったことにすればいい」
……なるほど、それは良いアイデアかもしれない。表向きは殺人事件をテーマに自由研究をしておいて、裏で別の自由研究を進めておけば、殺人事件を却下されたとしても困ることはない。……僕と秀彦の負担は増えるが。
「それで、自由研究のテーマはどうするの?」
「そりゃー、夏の星座に決まってるでしょ」
……まだ、諦めていなかったんだ。でも、自由研究のテーマが夏の星座ならば、普通で却下されることはないだろう。
「よし、やろう。カッちゃんには内緒で!」
こうして、僕と秀彦はもう一つ自由研究をすることにした。
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