第14話 8月6日

 その日は、朝から何かが違っていた。

 リビングに降りると、母さんは朝食も取らずにニュースにかじりついていた。

 それもそのはず、ニュースは月野沼で見つかった白骨死体の身元が判明したと報道していた。

 僕もリビングのテーブルに着くと、用意された朝食を取りながら、横目でニュースを確認する。自分は全く興味がないとでも言うように。

 月野沼で発見された白骨死体は、やはり長岡直人が関わっている可能性が高いようだ。長岡直人が事件を起こした時期の周辺で行方不明になった四十代の女性、中久喜初代なかくき はつよ。歯医者に保存されていた歯形が一致した。車の中で一酸化炭素中毒で亡くなっていたため、一旦は自殺を疑われたが車の助手席にあったバッグの中から『BB』と書かれた紙が入っていたので、長岡直人の関与が確定。しかし、長岡直人はすでに刑を執行されて、刑務所に入所しているため特に刑期が延びるなどはないようだ。

 僕はことさらゆっくりと朝食を食べて、事件の情報をあらかた頭に入れた。

 今日はどうしようか。図書館に行きたいところだが、白骨死体の身元が分かったのだから、カッちゃんたちと会った方がいいだろうか。しかし、会ったところで、特にできることはない気がするが。

 どっちにしろ図書館に行けばカッちゃんたちも集まってくるだろう。来ないなら、来るまで遠山あかりと一緒にいればいい。そう考えて、僕は家を出ようとしたときだった。

 家のチャイムが鳴った。

「こんな朝から誰かしら?」

 母さんは怪訝な顔を作りながら、玄関へと向かった。

 僕には関係ないだろうし、玄関をすり抜けてでかけてしまおうか。そう考えていると、母さんの声がした。

「瞬、ちょっと来て」

 僕はその声に従って、玄関に向かう。

 玄関には母さんと警察官が立っていた。

「やあ、日下瞬くさかしゅん君だね?」

「はい、そうですけど……」

「ニュースは見たかな?月野沼で見つかった白骨死体についてなんだけど」

 白骨死体の身元が判明したのはニュースで見た。しかし、それと僕に何の関係があると言うのだろう。

「はい、見ましたけど。身元が判明したんですよね」

「そうなんだ。それで、白骨死体を見つけた君たちに感謝状を出すことになってね。もう君の友達の所には寄ってきたんだ。警察署まで来てもらえないかな?」

 警察官が体を退かすと、外にはパトカーが停まっていた。パトカーの中、後部座席にはカッちゃんと秀彦が乗っているのが見えた。少し緊張しているのか、二人とも顔が強ばっている。

 しかし、それを聞いて黙っていないのがうちの母さんだった。

「ちょ、ちょっと待ってください。うちの瞬が月野沼の白骨死体を見つけたですって?何かの間違いじゃないんですか?」

 母さんがすごい剣幕で警察官に詰め寄る。そりゃあ、そうだろう。僕には月野沼に近付くなと散々言っていたのだから。

 それが、日頃から近付くなと言っていた月野沼で、今ニュースで話題になっている白骨死体を見つけた張本人が自分の息子だと言われたら——まさに青天の霹靂へきれきだろう。

「いえ、こちらの情報ですと、彼と武田克哉たけだかつや君、服部秀彦はっとりひでひこ君の三人が月野沼で白骨死体を発見したとなっています」

「……そんな」

 母さんは、それだけ言って絶句してしまった。

「とにかく息子さんはお手柄なんですから。息子さんをお借りしてもよろしいですか?」

 警察官が僕を外へと促す。

「ちょ、ちょっと待ってください。バッグ持ってきます」

 僕は急いでリビングに引き返すと、バッグを掴んで玄関に戻る。

 まだ、母さんは呆然としていた。それを横目で確認しながら、僕は玄関から出る。

 家の外は、今日もむせかえるような暑さだった。肺の中にまで熱い空気が入ってくるようだ。

 ……あぁ、帰ってきたら、質問責め&大目玉だろうなぁ。僕は心の中で大きなため息を吐いた。

 あぁ、そうか。カッちゃんと秀彦の顔が強ばっているのは、僕と同じで家に帰った後のことを想像しているからかもしれない。

 警察官は僕の前を歩き、パトカーの後部座席のドアを開けてくれた。まるで王様にでもなったかのようだ。今までそんなことしてもらったことなどない。

「おう、瞬!」

 パトカーの後部座席からカッちゃんが無理やり明るい声で僕に声を掛ける。秀彦も手を挙げて僕に挨拶をしてくれる。

「おはよう、二人とも」

 僕もパトカーの後部座席へと腰を掛けると、ドアを開けていた警察官がゆっくりとドアを閉めてくれた。

 パトカーの中は冷房が効いていて、外の暑さを忘れさせてくれた。

 すぐにドアを開けてくれた警察官もパトカーに乗り込む。

「感謝状だってよ、聞いたか?」

 カッちゃんが早速口を開く。

「うん、聞いたよ。その代わりに帰ったら地獄が待ってると思うけど……」

「……だよな」

 秀彦が僕に同意する。それに引き替え、カッちゃんはきょとんとした顔で答える。心の底から理由が分からないといった様子だ。

「どうして地獄なんだ?」

「逆に何で分からないの?」

 秀彦には納得がいかないようだ。そして、当然僕も秀彦に同意だった。

 近付くなと口を酸っぱくして言っている月野沼に近付いた上に、自分の息子たちが白骨死体を見つけた。それで怒らない親がどこにいるというのだ。考えにくいが、ひょっとしてカッちゃんの家では、感謝状だと大喜びで送り出したのだろうか?

 パトカーがゆっくりと動き出す。玄関から家の外へと出た母さんが今だ呆然としたまま、パトカーを目で追っていた。

 何も知らない人が見たら、パトカーの後部座席に座っている小学生三人をどう思うのだろう。やはり何かの犯罪を犯して捕まったと思うだろうか。

「すぐに警察署に着くからね」

 ドアを開けてくれた方の警察官が助手席から、僕らに振り返ってそう言ってくれた。パトカーに乗って緊張していると思い、緊張をほぐそうとしてくれているのか、相当に明るい声だった。

「そういえば、僕パトカー乗るの初めてだ」

「バカ、俺だってそうだよ」

「……僕も」

 普通の小学生がパトカーに乗る機会なんてそうはない。みんな当然、初めての経験だった。

 僕の家から警察署まで十分ほど。その間、僕はパトカーに入ってくる警察無線に耳を傾けながら、ボーッと外の景色を眺めていた。普段乗ることのないパトカーからの景色はいつもの風景とは少し違っている気さえした。

 そして、たった十分の道のりなのに、パトカーの中は寒かった。Tシャツ一枚の僕らに比べて、警察官は重装備なのだから当然かも知れないが、寒すぎて早く警察署に着いて欲しかった。

 カッちゃんと秀彦も鳥肌を立てていた。しゃべると口がガタガタなりそうだったので、僕らは黙ってパトカーに揺られていた。

 やっとパトカーが警察署の敷地内に入ると、警察署の入り口のすぐ側で停まった。

 乗ったときと同じように警察官が先に降りて、僕らが座っている後部座席のドアを開けてくれた。

 再び外気に触れる。パトカー内との温度差は相当で、外の空気が心地よく感じられるぐらいパトカーの中は寒かった。

 僕ら三人が外へと出ると、警察官はドアを閉める。そして、ついて来るようにと先頭に立って歩き出した。

 運転していた警察官も僕らに続く。僕らは警察官に前後を挟まれる形で警察署の中へと足を踏み入れた。

 警察署の中もパトカーの中ほどではないが、涼しかった。

 先導している警察官は、入り口からすぐに階段へと向かう。

「階段でごめんね」

 努めて明るい声で警察官は振り返りながら言うと、階段を上り始めた。僕らもそれに続く。二階、三階、四階。

 警察署にエレベーターはないのだろうか。造りが古いからひょっとしたらエレベーターはないのかも知れない。

 四階に着くと、先導する警察官はやっと廊下を歩きだした。

 最上階の突き当たり。そこが署長室だった。どうやら署長室で感謝状をもらえるようだ。

「あぁ、新聞記者もいるからね。後で写真を撮りたいって」

 先導していた警察官が振り返り、僕らにそう教えてくれた。……もっと早く言ってくれたら、もっとちゃんとした格好をしてきたのに。普段着で来てしまった。

 僕が服装を後悔している間に、先導していた警察官が署長室をノックする。そして、署長室のドアを開けると中へと入って行く。

「失礼します。月野沼白骨死体の発見者、三名をお連れしました!」

 僕らと後ろにいた警察官が部屋に入ると、先導した警察官が部屋の主に敬礼して言った。

「ご苦労」

 部屋の主の一声で、僕らを案内してくれた警察官二人は部屋を出て行く。そして、署長は僕らに向けてにんまりと笑いかける。

「君たちが白骨死体を発見したお手柄小学生だね。そんなところに立っていないで座って座って!」

 そう言って、署長は部屋の中央にあるソファーに座るようにと促す。僕らがソファーに座ると、ドアがノックされ婦人警官がお茶を運んできた。

署長も僕らの向かいのソファーに腰掛けると、婦人警官は署長と僕らの前にお茶を置いて部屋を出ていった。

「朝から悪かったね。外は暑かっただろう。ジュースでなくて申し訳ないが、遠慮しないでお茶を飲んで!」

 僕らは顔を見合わせると、お茶に口をつけた。冷たい麦茶だった。

「お手柄だったね。月野沼にあった放置自動車の中から白骨死体を見つけたんだって?」

 署長は五十代ぐらいだろうか。普段、話し相手がいないのか、もしくは、小学生と話す機会がないのか、やけに饒舌だった。

「はい、野球をやっていたときに偶然……」

 僕らを代表してカッちゃんが答える。

「そうだってね。おかげで君たちは知らないかも知れないが、数年前に起きた連続殺人事件の被害者が全員見つかったんだ。これで仏さんも浮かばれるよ」

 そこまで話すと、署長はお茶を飲む。

「警察もこれでなかなか忙しくてね。どうしても新しい事件に人を割かなきゃならない。昔の事件を捜査したくても時間が取れないっていうのが現状なんだ。他にも行方不明者は日々増加しているし……」

 署長が言葉を濁したところで、急に思い出したように手をポンッと打つ。

「おっと、話がそれてしまったね。感謝状を渡さなくてはね」

 署長は立って、自分の机に向かうと、机の上にある電話を取った。

「もしもし、私だ。新聞記者はもう来ているかね?……じゃあ、私の部屋に寄越してくれ。後、感謝状も頼む」

 署長が電話を切って、一分とかからずにノックする音が聞こえた。署長がそれに答えると、男が二人入ってきた。後から入ってきた男は胸にカメラを下げているところを見ると、この二人が新聞記者とカメラマンなのだろう。

 その後ろから、先ほどの婦人警官が大きな四角いお盆のようなものを持って部屋に入ってきた。

 そして、お盆を署長の机の上に置く。どうやら、この中に感謝状が入っているらしい。

「じゃあ、感謝状を授与しよう。カメラマンの君、しっかり写真を頼むよ」

 署長は、カッちゃんを呼ぶと、お盆から感謝状を取り出す。

「捜査の協力に感謝致します」

 そう言って署長はカッちゃんに感謝状を手渡した。そこへカメラのフラッシュが何度も光る。

 次は僕の番だった。署長は同じように感謝状を手に取ると

「今後も捜査に協力ください」

 そう言って、僕に手渡してくれた。また、同じようにカメラのフラッシュが何度も光った。

 最後は秀彦が呼ばれ、同じように感謝状を受け取った。カメラも僕ら二人と同じように写真が撮られた。

 感謝状の授与が終わると、署長と僕ら三人で並び、胸の前に感謝状を見せている記念写真も何枚か撮らされた。

「いやぁ、本当にありがとう。記事は明日には載るね?」

 署長は僕らと握手しながら、新聞記者に確認する。

「はい、明日の朝刊には確実に!」

 記者が答えると、署長は僕らに向き直り、

「そうしたら、しばらく君らはこの街のヒーローだ」

 と言って、ウインクしてみせた。

「新聞記者とカメラマン君はご苦労!いい記事を頼むよ」

 署長は記者とカメラマンとも握手を交わす。

「では、私たちはこれで」

 記者とカメラマンがそそくさと署長室を出て行く。

「さて、君らもパトカーで送ろう」

 署長は、そう言って感謝状を持ってきた婦人警官に目配せする。婦人警官が署長室を出て行くと、すぐに僕らを迎えに来てくれた警察官二人がやってきた。

「君たちと会えて良かったよ!」

 そう言って、署長は再び握手を求めてきた。僕らはそれに応じる。

 本当に感謝されているようで悪い気はしなかった。

「じゃあ、二人ともしっかり家まで送り届けてくれたまえ!」

 署長が敬礼すると、二人の警察官もそれに習って敬礼をする。

「さあ、行こうか」

 来たときと同じように助手席に座っていた警察官が先導し、パトカーを運転していた警察官が最後尾に着く。前後を警察官に守られるようにして署長室から出る。そのまま廊下を通り、階段を下る。四階、三階、二階、一階。

 出口へ向かうと、先導していた警察官が振り返った。

「今日は突然すまなかったね。でも、感謝状はすごいことだよ。うちの署でも年に何回も出ることないからね」

「そうなんですか?署長はこの街のヒーローだって言ってましたけど」

 カッちゃんが調子に乗って軽口を叩く。

「ああ、ヒーローだよ」

 最後尾にいた警察官がカッちゃんに合わせて口を開いた。

 外に出ると、熱気が体を包む。すぐに肌を焼かれているのが分かるほど腕がジリジリとした。

 先導した警察官が後部座席のドアを開いてくれた。

「また協力頼むよ!さあ、家まで送るから乗って」

 僕らがパトカーに乗り込む。中は来たときと違って外と変わらないか外よりも暑かった。

 運転席に乗り込んだ警察官は、パトカーのエンジンをかけるとすぐに冷房を入れてくれた。

 パトカー内はすぐに冷え始め、カッちゃんの家に着く頃には寒いぐらいに冷えていた。

「じゃあな」

 カッちゃんはそう言って、意気揚々と降りていった。次に向かったのは秀彦の家だった。

 秀彦の家に着く間、僕らは黙りこくっていた。月野沼に行った言い訳を考えるのでいっぱいいっぱいだったからだ。

 秀彦の家に着くと、「じゃあね」と秀彦は降りていった。どうやら、あの顔だと良い言い訳を考えつかなかったらしい。でも、それは僕も同じだった。

 最後に僕の家に向かう。もう母さんは仕事に行っている時間だ。仕事に行っていてくれれば、言い訳を考える時間が増える。

 パトカーはすぐに僕の家に着いてしまった。

「ありがとうございました」

 僕はそう言ってパトカーを降りると、助手席の窓が開いた。

「こちらこそ捜査に協力ありがとうございます。それじゃあ」

 助手席の警察官は、僕に敬礼するとそのままパトカーは走り去った。

 外は熱気で息苦しいほどだった。手にしている感謝状が持っているだけで、汗ですぐにしわしわになってしまいそうなほどの暑さだ。すぐにでも涼しい場所に避難したい。しかし、家には母さんが居るかも知れない。

 はぁ、と大きなため息を吐いて、僕は家へと向かった。

 ドアを開けようとするが鍵がかかっている。やった!母さんは仕事に行ったんだ。

 バッグから鍵を取り出し、ドアを開けた。

 朝、母さんが呆然と立ち尽くしていた玄関を通り、リビングへ入る。しかし、人の気配はなかった。テーブルにはいつものように昼食用のお金が置いてあるだけだった。

 僕はホッとして、感謝状をテーブルに放り投げた。そして、昼食用のお金を財布に押し込む。

 僕は言い訳を考えるのを後回しにして、図書館へ向かうことにした。遠山あかりに感謝状のことを話したい。……いや、明日新聞に載ってからの方がいいだろうか。……やっぱり、話したい。明日新聞で知るよりも僕の口から一日でも早く。

 そして、僕はむせかえるような熱気の中を自転車で、図書館へと向かった。

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