第11話 8月3日
僕が目を覚ますと、パジャマ代わりのTシャツが汗でぐっしょりと濡れていた。今朝は久しぶりにゆっくり寝たので、ずいぶんと気温が上がっていた。
顔を洗ってリビングへ行くと、母さんはすでに仕事に出かけていた。テーブルには朝食のパンと母さんからの簡単な手紙が置いてあった。手紙の下には、昼食用のお金が置いてある。
「母さんは仕事に行ってきますので、きちんと朝ごはんを食べなさい。昼ごはんは置いてあるお金で適当に食べてね」
僕はぼんやりとした頭で手紙を読むと、テーブルに放り投げてテレビを点ける。
一人が多い習慣からか、一人の時はテレビを点ける癖がついてしまっていた。どうも何も音がしない家というのは、寂しさを助長する気がする。
テレビはワイドショーをやっていた。普段、あまりワイドショーは見ないのだが——学校を休んだときぐらいしか見る機会がないので——夏休みは別だ。だが、当然ながら小学生が好むような内容はやってはいない。
しかし、今日は違っていた。
テレビに映っていたのは、月野沼だった。どうやら昨日の白骨死体のことをやっているようだ。
まだ、白骨死体の身元は判明してないらしい。
やはりというかテレビの中のキャスターは、月野沼の白骨死体なので、
僕はパンをかじりながら、テレビの内容に集中していた。ほとんど何を食べたのか分からないうちにパンは胃袋に収まっていった。
僕は着替えると、図書館に出掛けることにした。
今日は自由研究ではない。遠山あかりに教えてもらった本を借りて読んでみようと考えていた。
自由研究の方はというと……正直、行き詰まっていた。これ以上、調べようがないし、警察が白骨死体を調べて長岡直人との関係を明らかにしてくれない限りは、僕らが動きようがなかった。
昨日の帰り道、僕らの結論がそう決まり、しばらくは各々好きにすることにしていた。
カッちゃんは他の夏休みの宿題に全く手をつけていないようだし、正直僕も似たようなものだった。秀彦は、ドリルなどある程度終わりが見えているようなので、パソコンでこれまでの自由研究をまとめておいてくれることになっていた。それに彼は両親共働きではないので、家族での旅行だって行くこともあるだろう。
僕だって夏休みだ。少しは遊びたい。夏休みの全てを自由研究に捧げることはないはずだ。……とはいえ、宿題が溜まっているのは事実である。
僕は支度を整えると、家を出た。バッグには遠山あかりにもらったリストが入っている。
空は今日もどこまでも青く、遠くに入道雲が浮かんでいた。太陽の日差しは今日も強烈で、外に出ただけでジリジリと肌を焼く。日差しで目の奥が痛くなるようだった。
自転車を飛ばし、図書館に着いた時にはTシャツが汗だくになっていた。
駐輪場に自転車を停めて、図書館へと入る。
図書館に一歩足を踏み入れると、冷房が効いていて一気に汗が引く感じがした。思わず「涼しい」と声が出てしまう。「静かに!」と怒られるかと思ったが、そのぐらいでは問題ないようだ。
図書館の中は静かではあるが、全くの無音と言うわけではない。図書館に涼みに来ている大人、勉強しに来ている受験生などがいる。中にはヘッドフォンをしてアニメのDVDを見ている子どももいる。日によっては受験生による席の争奪戦があると聞いたが、今日はテーブル席はいくつかの空きがあった。
僕はバッグから遠山あかりが書いてくれたリストを取り出すと、早速リストの一番上の本を探し始めた。おそらくリストの一番上が一番面白いおすすめの本ということだろう。
図書館の子どもエリアに足を踏み入れる。どうやら、小説や伝記、絵本などジャンル別に本棚が分かれていて、そこから作者名ごとに本が並んでいるようだ。
「えーっと……」
つい、声が出てしまう。僕は図書館には向いていないのだろうか。思わず大きいため息が出る。
突然、肩をトントンと叩かれた。
僕が振り向くと、そこには遠山あかりが立っていた。
「うわっ!」
驚いて大きな声を出してしまった。慌てて口を押さえるが、すでに遅かった。近くにいた小学生にジロジロと見られしまった。
「おはよう、遠山さん」
僕は必死に取り繕う。ただし、小声で。
「おはよう、日下君。驚かせちゃった?」
遠山あかりも小声で返してくれる。僕はブンブン音が出そうなほどに首を振る。
「全然、大丈夫だよ。遠山さんは今日も本を読んでるの?」
遠山あかりはニッコリと微笑むと頷く。
「日下君は、今日はどうしたの?」
僕は手にしていたリストをヒラヒラとさせる。
「今日は自由研究やらないから、遠山さんに教えてもらった本を読んでみようと思ってね」
「そうなんだ!本当に読んでくれるんだね」
そう言って、遠山あかりは目を輝かせる。
「じゃあ、探すの手伝ってあげるね!」
「本当?ちょうど本を探してて、困ってたんだ」
「慣れないと本を探すのも大変だもんね」
言いながら、遠山あかりは僕が持っているリストを覗き込む。
遠山あかりの顔が近付いて、僕はドキリとした。嫌な感じではない。しかし、今まで感じたことのない不思議な感覚だった。
「上からおすすめの順に書いたの」
遠山あかりは歩き出す。着いてこいと言うことだろう。遠山あかりに着いていくと、すぐに隣の本棚の前で止まる。
「結構、人気があるからあってよかった」
遠山あかりは、本棚から一冊の本を抜き取ると、僕に手渡してくれた。
「一冊だけでいい?他にも何冊か探す?」
「そうだな……、三冊ぐらいあった方がいいかな?」
「分かったわ」
遠山あかりは、再び僕が持っているリストを覗き込む。また、遠山あかりの顔が僕の顔に近付いて、僕は再びドキリとした。なぜ、遠山あかりの顔が近付くだけで心臓がバクバクいうのだろうか。
リストを見て頷いた遠山あかりは歩き出す。そして、振り返り僕を手招きした。
毎回リストを覗くのなら、リストを遠山あかりに渡した方が良かったのではないかと思いながら、僕は遠山あかりに着いて行く。
遠山あかりは、時折僕の方を振り返りながら、スタスタと歩いていく。もう、目的の場所が分かっている感じだ。
目的の本棚に着くと、一冊の本を抜き取る。そして、それも僕に手渡してくれた。
「もう一冊だね」
また、遠山あかりは僕が手にしているリストを覗き込む。さっきの心臓のバクバクがまだ治まっていないのに、そんなことはお構いなしで遠山あかりの顔が僕の顔に近付く。
「うん、あっちね」
そう言って、遠山あかりは歩き出す。僕もそれに従う。
迷うことなく彼女は目的の本棚まで行くと、また一冊の本を本棚から引き抜いた。そして、僕に渡してくれる。
「すぐに借りる?それとも、図書館で少し読んでからにする?」
どうしようか?すぐに借りて僕に合わなくても困る。それに、どうせ家に帰っても誰もいないのだ。涼しい図書館で読んでよく吟味してもいい気がする。
「図書館で少し読んでからにしようかな?家に帰っても誰もいないし……」
僕がそう言うと、遠山あかりは再び顔を輝かせた。
「じゃあ、こっち」
遠山あかりはそう言って、僕をテーブル席へと呼び寄せた。そこは彼女が席を取って本を読んでいた向かい側だった。
僕は早速リストの一番上にあった本を開く。
それにしても彼女はいつもこうして図書館で本を読んで過ごしているのだろうか。
「そういえば、遠山さんはドリルとか終わった?」
僕は小声で彼女に質問する。
「うん、ドリルはだいたい終わったよ」
「はー……、すごいね」
ため息を吐きながら、僕は心から尊敬の念を抱いた。いつも図書館で本を読んでいるはずなのに、いつドリルとかやる時間があるのだろうか。
「いつも図書館で本読んでるのに、いつドリルやってるの?」
「帰ってからよ。集中してやればそんなに時間掛からないよ」
そう言って、彼女は自分が途中まで読んでいた本を開いた。
それにしても、彼女はどうしてここまでしてくれるのだろうか。僕はそう思いながら、向かいにいる彼女の顔を盗み見た。
遠山あかりは、僕の視線に気付いたのか開いた本から顔を上げて、僕に微笑みかける。
僕は途端に恥ずかしくなり、本で顔を隠してしまった。自分で顔が熱を帯びているのが分かる。再び、心臓も鼓動を速めていた。頭の中にも心臓があるかのように。まるで、全力疾走をした後のようだった。顔を隠せる物があって良かったと、僕は心から思った。
開いた本の文字を目で追うが、全然頭に入ってこなかった。
しばらくして、心臓の鼓動が落ち着いてくると、やっと本の内容が頭に入ってくるようになった。
遠山あかりが一番おすすめするだけあって、確かに面白い本だった。僕は、いつの間にか本に集中していた。普段、僕は本を読むスピードがあまり早くなかったが、面白いせいか一日で読破できそうなほどだった。
「日下君」
僕がその声で顔を上げると、遠山あかりが本をテーブルに置いて僕の方を見ていた。
「ん?どうしたの?」
僕が答える。しばらく本に集中していたせいか、思いの外大きい声が出てしまった。
「日下君って、お昼どうするの?」
気がつくと、とっくに正午を過ぎていた。
「この本が面白くて、全然時間を気にしてなかったよ。お昼は、コンビニで買うかな?一応、親からは昼食代貰ってるし」
「そうなんだ。じゃ、買いに行って外で食べる?私もお昼はコンビニなんだ。荷物は置いておいても大丈夫だよ」
「うん」
僕は読んでいた本をテーブルに置くと、バッグの中から財布を取り出す。
「じゃ、コンビニ行こうか」
確か、図書館の向かいにコンビニがあったはずだ。時間的にあまりたいしたものは残っていないかもしれないが。
僕らは連れ立って、コンビニに向かった。
思ったようにコンビニに食べる物はたいしてなかった。僕はおにぎりを二つとお茶を、遠山あかりはサンドイッチとお茶を買って、図書館の外にあるテーブルに向かった。外は暑かったが、テーブル席の上に屋根があったので思ったよりも暑さはひどくはなかった。
「いつもお昼ってどうしてるの?コンビニ?」
イスに座ると、遠山あかりに聞いてみた。
「うん、お母さん仕事だから。うちもいつも昼食代置いてあるの」
「そうなんだ。うちも母さん仕事だから、いつも昼食は適当に食べてるよ」
「一緒だね」
遠山あかりはそう言ってアハハと笑った。
「いつも図書館で本読んでるの?」
僕はおにぎりを頬張りながら、聞く。友達と遊んだり、どこかに出かけたりはしてないのだろうか。
「たまに友達と遊んだりもしているよ。でも、図書館で本を読んでいることが多いかな。……今日は一人じゃないから、嬉しいな」
遠山あかりはそう言って、サンドイッチをかじる。
図書館で本を読んでいるだけなら一人でも良さそうな気もするが、今のように昼食時などは確かに誰かと一緒の方がいいのかも知れない。一日誰とも喋らないのは辛いことだ。
それに、最近はカッちゃんや秀彦と一緒のことが多かったから、あまり気にしていなかったが、一人で食事をするよりは誰かと一緒に食事をした方が美味しい。それは、遠山あかりと一緒で一人で食事をすることが多い僕にはよく分かることだった。現に今食べているコンビニのおにぎりだって一人で食べたら、味気ないに決まっている。遠山あかりと一緒に食べているから美味しく感じられているのだ。
その後も僕らはあまり学校ではしないような話をしながら、楽しく食事を済ませた。
「日下君はまだ読んでいくの?」
「うん、どうせなら図書館終わるまでいようかなって。ここって五時までだよね?」
「そう、五時まで。じゃ、午後も一緒ね」
僕らが席に戻ると、本や荷物はそのままだった。
早速、本を開く。残り三分の二ほどだろうか。頑張れば、今日のうちに読み終わってしまいそうだ。
僕らは、午後も向かい合って本を読んだ。時折、小声で冗談を言い合ったりしながら。
図書館が閉まる午後五時近くには、僕は本当に一冊読み終わってしまった。一日で一冊読破するなんて初めての経験だ。面白かったからというのもあるだろうし、図書館で集中できたからというものあるだろう。とにかく、僕は、この結果に満足していた。後は、読書感想文を書かなくては。
「私はまだ読み終わってないから本を借りに行くけど、日下君はどうする?」
「僕も借りていくよ。読書感想文書くのにまだ持っておきたいし」
僕らは二人で受付に行くと、貸し出しの処理をしてもらった。あまり使ったことはないが、以前来た際に貸し出し用のカードを作っておいて良かった。
「じゃあ、帰ろう。日下君、明日はどうするの?」
図書館を出たところで、遠山あかりは僕に振り返る。
「明日は、読書感想文を書きに図書館に来ようかなって思ってるよ」
今日、すごく楽しかったから——というのは、気恥ずかしくて、なんとか言葉を飲み込んだ。
「じゃ、明日も一緒に読めるといいね」
駐輪場に向かいながら、僕が言いにくいことを遠山あかりはサラッと言ってのけた。僕はそれを聞いて耳まで真っ赤になっていたというのに。
外はまだ明るかったが、僕らは途中まで一緒に帰ることにした。家まで送っていこうかとずっと口にできないまま、別れるところまで来てしまった。
「じゃあ、また明日ね」
「……う、うん。また明日」
一日すごく楽しかったのに、最後に思ったことが口にできなくて、僕は自分が不甲斐なくて仕方なかった。あとちょっとだけ僕に勇気があれば、送って行くと言えたのに。
不思議と胸の奥が締め付けられるような感じがした。僕には、まだこの感情が何なのか言葉にすることができず、ボーッと遠山あかりの姿が見えなくなるまで見送ることしかできなかった。
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