第10話 8月2日
月野沼の河童像の対岸での捜索が無駄足に終わった翌日、僕らは約束通りグローブを持って図書館に集まった。カッちゃんはそれに木製バットに硬球も追加でだ。
僕らの祈りも虚しく、今日も太陽の日差しは容赦がなかった。これでは自由研究をしているはずなのに、どんどん日に焼けて黒くなってしまう。
親にも本当に自由研究をしているのか怪しまれる日もそう遠くないかもしれない。
図書館に集合すると、僕らは挨拶もそこそこに月野沼へ向けて出発した。僕ら月野市周辺の小学生からしたら河童ヶ池と言った方が通じやすいかもしれない。学校の屋上からも望むことができるその沼は、親たちから「河童が出るから近寄らないように」と耳にたこができるほど言われている場所に他ならない。
できれば近寄りたくない場所ではあるが、ここ数日のうちに何度か足を運んだからか、以前に比べて恐怖心は薄れていた。いや、正直なところ、もう恐怖心はないに等しかった。——初めは、行くことを拒んだぐらいだったのに。
月野沼までの道中、僕らは長岡直人からのプレゼントがなんであるかを話し合った。
数年前に月野市で起こった連続殺人事件。その犯人であると自首した男、長岡直人にカッちゃんはあろうことか手紙を書き、僕らが自由研究で事件を調べていることを教えてしまった。
返事がきたことも驚きだったが、カッちゃんは臆せず、再び長岡直人に手紙を書いた。その返事は暗号になっていた。「つきのぬま かっぱぞうのたいがん くるまのなか」と。どうやら月野沼にある河童像の対岸に放置された車の中に長岡直人から僕らに向けたプレゼントがあるというのだ。
昨日は準備不足で無駄足になってしまったが、今日は車の窓を壊す道具を持参している。大人に見られても、野球をしていたと言い訳できるように野球道具だが。準備は完璧だった。
「車の中には大金があるんじゃないか?」
「大金?」
僕と秀彦がカッちゃんの言葉を繰り返す。
「だって、プレゼントだろ?長岡直人が自分用に用意していた逃走資金がもう必要なくなったとかさ。刑務所に入ってるんだから。あぁ、何億とかあったらどうしよう?」
僕と秀彦は顔を見合わせ、お互いの疑問をぶつけ合った。
「長岡直人に殺された人たちって、金品取られてなかったよね?」
「取られてなかった。銀行強盗でもやったわけじゃないのに、長岡直人がそんなにお金持ってると思う?」
秀彦の言葉に僕は首を横に振る。しかし、カッちゃんは僕らのやり取りに興味がないらしい。ずっと大金に目を輝かせている。
僕らはしばらく自転車を走らせ、月野沼へ向かった。
いつものように、月野沼の河童像の側の木陰で少しの間休憩を取ると、僕らはすぐに対岸へ出発した。
河童像の対岸に到着すると、僕らは手頃な場所に自転車を停めた。月野沼の周囲のランニングコースを塞がないような位置へ。
「よーし、やっつけちまおうぜ!」
カッちゃんは言いながら、木製バットと硬球を取り出す。僕と秀彦も念のためにグローブを取り出した。
カッちゃんは硬球を僕へと放り投げると、手近な放置自動車へと近付く。それは、かろうじて元が白の車だと分かる程度に汚れていた。そして、カッちゃんは僕と秀彦に目で合図を送る。
僕は頷き、秀彦はランニングコースから人がやってこないことを確認すると同じように頷いた。
そして、ほとんど中を確認することができない運転席の窓へ振り上げたバットを勢いよく振り下ろした。
しかし、木製バットを持ってしても小学生の力では、窓を割ることはできなかった。
……四発、五発とバットを振り下ろして、やっとのことで放置自動車の窓を叩き割ることができた。
窓が割れる音は、僕が想像していたよりも大きかった。対岸の河童像まで聞こえてしまうのではないかと思うほどに。
僕はカッちゃんから秀彦に視線を移す。
ん?というような顔をしている秀彦を見ると、今の音でやってくる人間は今のところはいないらしい。再び、カッちゃんに視線を戻す。
すぐにカッちゃんは窓から車の中に首を突っ込んで、車内を確認する。
カッちゃんの辞書に
「何にもないぜー!」
運転席から車内を覗き込み、頭を出すとカッちゃんは僕らにそう振り返った。
僕と秀彦は顔を見合わせて、肩をすくめる。
「じゃあ、違う車なんじゃない?」
僕が言うと、カッちゃんは近くにある別の放置自動車へと近付いて行く。文句を言いながら。
「長岡直人も、もっと詳しく書いとけばいいのに……。何色の車とかさ」
今回の車は、黒っぽい色をしていた。もう一台の放置自動車は、薄汚れた白い軽トラックだ。
黒っぽい車の方が中に何か入れるにしてもスペースが取れそうだ。……おそらくカッちゃんはそんなこと考えずに、単純にさっきの白い車から近いから選んだのだろうけど。
黒っぽい車もやはり汚れがひどく、外から中を確認することはできなかった。
「次いくぞ!」
カッちゃんがバットを振り上げる。僕は頷き、秀彦は人が来ないことを再度確認して頷いた。
黒っぽい車の運転席側の窓にバットが振り下ろされる。一発、二発、三発。
やはり簡単に窓を割ることはできなかったが、二発目で大きくひびが入り、三発目で窓は粉々に砕けて、車内に降り注いだ。
草むらにも窓ガラスは少しではあるが飛び散った。端から眺めている分には太陽の光を反射し、綺麗な光景だった。自分たちがいけないことをしていると忘れさせてくれるには十分なほどに。
すぐさま車内を覗くだろうと思っていたカッちゃんだったが、一歩、二歩と後ずさりしている。そして、足を振るわせながらその場にへたり込んでしまった。
「カッちゃん、どうしたの?」
僕が駆け寄ると、カッちゃんは真っ青な顔をしていた。
「……こ、後部座席」
まるでお化けか幽霊でも見たような顔と震える声で、カッちゃんはそれだけやっと絞り出した。
放置自動車の運転席の窓から中を覗き込もうとすると、ひどい悪臭が鼻をついた。
助手席にはバッグが一つ。そして、後部座席には、白骨化した死体が横たわっていた。
「うわっ!」
自分の意志とは関係なく、声が出ていた。そして、カッちゃんが真っ青な顔をしてへたり込んでいた理由がよく分かった。
僕も思わず後ずさりをするが、足がもつれてカッちゃんの隣へとへたり込む。正直なところ、僕が死体を見たのはこれが初めてだった。
「……見たか?」
「……うん」
僕らの様子を見て、秀彦もやってきた。
「二人ともどうし……」
僕ら二人の真っ青な顔を見て、途中で秀彦は言葉を飲み込んだ。そして、僕と同じように運転席の窓から車の中を覗き込む。
「……うおっ!」
そして、秀彦も僕らと同じように後ずさり、カッちゃんの足に引っかかってへたり込んだ。結果、僕らは全員放置自動車の側にへたり込む形になった。
「あれって……死体だよね?」
「あぁ、白骨死体って奴だよな?」
秀彦、カッちゃんが思い思いに問い掛ける。突然、僕の頭にある考えが降ってきた。
「そうか!そうだったんだ!」
「何がだよ、瞬」
怪訝な顔でカッちゃんは僕を見る。
「長岡直人のプレゼントだよ!」
「……はぁ?何でプレゼントが白骨死体なんだよ!」
カッちゃんは、ますます怪訝な顔を作る。
「秀彦、長岡直人の犠牲者って全員見つかってなかったよね?」
「うん、確か……」
秀彦の顔も曇っている。まだ、僕の言いたいことは伝わりきっていない。
「僕らが警察に偶然死体を発見したって電話するんだよ!それが発見されてない長岡直人の犠牲者だって分かったらどうなると思う?」
秀彦の顔がみるみる晴れていく。早くも僕の考えを理解してくれたらしい。
「僕らのことが新聞に載る!」
「そうだよ!僕らは有名人だ!これが長岡直人のプレゼントなんだよ」
カッちゃんだけはまだ怪訝な顔を崩さない。
「それがプレゼント?……それに新聞に載るかも分からないだろ。助手席にあるバッグの中身を覗いて見ようぜ。大金が入ってるかもしれないし……それか、もう一台窓をぶち破ってみるか?」
カッちゃんは、まだ大金を諦めていないらしい。
「絶対、これがプレゼントだって!……早速、警察に電話しなきゃ。どっかに電話なかったっけ?」
僕は立ち上がって、周囲を見回すがこんな場所に公衆電話なんてある訳がない。
「瞬、俺スマホ持ってるって」
秀彦も立ち上がってスマホを取り出すと、早速警察へと電話を掛ける。
「もしもし……はい。月野沼で放置自動車の中に白骨死体を見つけたのでお電話したんですが。……はい。住所まではちょっと分からないんですが、河童の像がある対岸ぐらいです。……はい、分かりました」
電話を切ると、秀彦は僕らに報告する。
「十分ぐらいで警察官が来てくれるって」
「……何、勝手に電話してんだよ。まだ、バッグももう一台も調べてないのに」
秀彦の報告を受けて、カッちゃんがムクれる。
「どっちにしろ、警察に電話は必要だよ。白骨死体が出てきちゃったんだから。放置して帰れないでしょ。どうしても調べたいなら、今のうちに調べちゃってよ」
僕は秀彦に助け船を出す。
カッちゃんはスッと立ち上がると、再び白骨死体が横になっている放置自動車へと近付く。運転席の窓から体を入れて、助手席のバッグへと手を伸ばす。
バッグを開けてみたが何も入ってはいなかったようだ。
カッちゃんはそれで諦めがついたようで、もう一台の窓をぶち破ることはしなかった。
しばらくするとパトカーが回転灯だけ点けて、サイレンを鳴らさない状態でやってきた。
僕らの近くにパトカーが停車すると、中からは二人の警官が出てきた。
「君らが電話した子かな?」
非常時に犯人を追い掛けることができないのではないかと思われるほど恰幅のいい——簡単に言うと、かなり太ってお腹の出た——おじさん警察官が僕らに声を掛けてきた。
「そうです」
電話をした秀彦が代表して答える。
「白骨死体を見つけたって?……何かの見間違いじゃないの?」
でっぷりとしたおじさん警察官は、僕らでも分かるほど小馬鹿にした態度でそう言った。一方、もう一人の警察官はでっぷりとした警察官よりもだいぶ若そうだ。がっしりとした体つきをしているが、全く口を開かない。
「あの車の中を見てくださいよ!すぐに分かりますから」
カッちゃんが噛みつきそうな勢いで言いながら、黒っぽい色の放置自動車を指さす。
「この手の電話はよくあるんだよねぇ……ほとんど見間違いなんだけど」
僕らに聞こえるか聞こえないかぐらいの大きさでグチりながら、でっぷりとした警察官はのっそのっそと放置自動車に近付いていく。まるで、像が水浴びにでもしに行くようだ。その後をがっしりとした警察官が続く。彼はまるでテレビで見た軍人のようだ。足音もザッザッと軽快だ。
やっとのことで放置自動車に近付くと、でっぷりした警察官は僕らと同じように運転席の窓から中を覗き込んだ。
「ありゃ!」
と声を上げるなり、でっぷりした警察官の動きが少しだけ俊敏に変わった。がっしりとした警察官に向けて、指示を出す
「周囲を封鎖!その子たちの連絡先を聞いておけ。俺は署に連絡する」
「了解です!」
がっしりとした警察官は、移動しながら無線連絡を始めたでっぷりした警察官の後ろ姿を少し眺めた後、放置自動車の運転席の窓から中を確認した。
そして、放置自動車から顔を出すと
「なるほど」
と一言だけ発した。どうやら喋れないことはないらしい。
すぐに僕らの側にやってくると、紙とペンを取り出す。
「まず、君たちの名前を聞いていいかな?」
「
「
「
「じゃあ、次は住所を聞いてもいいかな?」
がっしりとした警察官は僕らの名前をメモしていく。漢字の上にはしっかりとふりがなまでふっていた。警官の胸には名札があった。このがっしりとした警察官は
僕らが住所を答えると、彼はそれもメモしていく。
「電話で警察に連絡したのは服部君だね?」
住所のメモが終わると、綾瀬警官は秀彦に視線を向けた。
「はい、僕しかスマホを持っていないので」
「あぁ、そうか。なるほど。スマホの番号も聞いていいかな?」
なるほどが口癖なのだろうか。僕は綾瀬警官が秀彦のスマホの番号をメモしている間そんなことをぼんやりと考えていた。
「あの白骨死体を見つけた時のことを教えてもらえるかな」
その質問には、カッちゃんが答える。
「僕ら、ここで野球をしていて。うっかり硬球が車の窓に当たっちゃったんです。それで中を覗いてみたら……」
「なるほど、なるほど」
綾瀬警官はそれもメモする。
「状況は分かった。ありがとう。じゃあ、もう帰りなさい。聞こえただろうけど、ここら辺はしばらく封鎖されることになるだろうからね」
「……分かりました」
僕らの嘘をあっさりと信じてくれたのか、すぐに解放されることに僕は少しホッとした。
「あぁ、ちょっと待って」
自転車の方に向かおうとしていた僕らを綾瀬警官が引き留める。僕らが振り返ると彼はポケットに手を突っ込み、ゴソゴソと何かを探していた。
取り出したのは、財布だった。
「今日も暑いんだ。これで飲み物でも買いなさい。この近くに自動販売機でもあれば好きな物を買ってあげるところだが……悪いね」
綾瀬警官はそう言って、僕らに五百円玉を差し出した。
僕らは顔を見合わせたが、遠慮して出した物をひっこまさせるのも悪い気がして、ありがたく受け取ることにした。
綾瀬警官にお礼をして、僕らは自転車に向かう。振り返ると、彼は辺りを封鎖しようとしているのか、周りをキョロキョロと見渡していた。
そういえば彼に言われるまで、死体を見つけた興奮で今日も暑いことを、いや、暑さを忘れていた。気付けば、Tシャツは汗で肌に不快に張り付いていた。
僕らはその場を後にし、河童像の所まで戻った。
河童像の側の近くにある休憩所で休憩した。休憩所には自動販売機もあったので、綾瀬警官がくれた五百円で僕らは一本ずつジュースを買うことができた。嫌な警察官がいれば、良い警察官もいるものだ。
休憩中、数台のパトカーが対岸に向かっていった。やはり閉鎖されてしまうのだろう。
僕らは休憩後、綾瀬警官の指示通り帰宅することにした。結果的に指示に従って、よかった。家に着く頃には天気は急変し、雨が降ってきたからだ。
この雨の中、警察は現場検証をしているのだろうか。そして、長岡直人のプレゼントである、あの白骨死体は誰でいつからあそこに放置されていたのだろうか。
僕はどんよりした暗い雲を眺めながら考えたが、答えは出なかった。
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