第9話 8月1日

 長岡直人から二通目の手紙が来た翌日、僕らはいつものように図書館に集合した。

 手紙の暗号を解析した直後、カッちゃんはすぐに河童ヶ池へ向かおうと言い出した。しかし、今にも雨が降り出しそうな天候だったために、僕と秀彦が必死で説得し、今日に延期することにしたのだ。いくら僕たちだってずぶ濡れにはなりたくない。

 小学生が出掛けるのに、雨は天敵だ。何しろ、移動手段が徒歩か自転車しかないのだから。

 今日は、昨日の曇天どんてんが嘘のような、すっきり晴れたいい天気だった。……ひどく暑くなりそうな気配を漂わせているが。

 僕と秀彦は、心の底から今日に延期して良かったと思っていた。何しろ、昨日は僕らが解散して数十分後には、空からぽつり、ぽつりとしずくが落ち始めたのだ。昨日、強行していたら、河童ヶ池に着いた頃にはずぶ濡れになっていたことだろう。とても長岡からのプレゼントを探すどころではなくなってしまう。

 そして、雨は夜遅くまで降り続いた。僕が布団へ滑り込んだ後も、外からは雨の音が聞こえていたぐらいだ。

 それに引き替え、今日は気持ちがいいほどの快晴だ。僕らの頭上には雲一つない。遠くで入道雲が馬鹿にしたような顔を浮かべているようだ。

 今日も図書館へは、僕が一番乗りだった。

 いつものように自転車を停めると、木陰になっているベンチへと向かおうとした時だった。

「おはよう、日下君」

 振り返るとそこには、遠山あかりが赤い自転車の側に立っていた。

「おはよう、遠山さん」

 僕の声に遠山あかりは笑顔を浮かべてくれた。

 そして、駐輪場に自転車を停めると、僕の側までやってきた。

「……あの、これ」

 と、遠山あかりは一枚の紙を僕に差し出す。

「私が読んだ本で面白かったものをリストにしてみたの。良かったら読んでみて」

 僕は小刻みに震える手に気付かれないように必死で受け取り、紙を開く。確かにそこには数冊の本のタイトルと著者名が綺麗な字で書かれていた。

「ありがとう!」

「……ううん。その代わり、読んだら面白かったかどうか聞かせてね」

「うん。良かったら、この中から読書感想文を書く本を決めてもいいかな?」

 少しだけ不安気ふあんげだった彼女の表情が、ぱっと明るくなった。ここまでしてくれているのに、迷惑だったとでも思っていたのだろうか。

「もちろん!」

 学校では気付くことがなかったが、彼女はこんなにもコロコロと表情の変わる子だったのか。

「じゃあ、私は中に行くね!自由研究がんばってね」

 そう言って、遠山あかりは僕に手を振ると図書館の中へと入っていった。

 僕は再び、遠山あかりが書いてくれた紙に目を落とす。……僕のためにわざわざリストを作ってくれるとは思わなかった。

 壊れ物をしまうようにゆっくりと閉じると、僕は紙を鞄の中へとしまい込んだ。

 視線を上げると、遠くから秀彦とカッちゃんが自転車で向かってくるのが見えた。僕は心底ほっとした。もし、後数十秒でも二人が来るのが早かったら、慌ててポケットに突っ込んで、遠山あかりがくれた紙がグシャグシャになるのは目に見えている。後でゆっくり確認して、図書館で本を探すとしよう。

「おっす、瞬!」

 言いながら、カッちゃんと秀彦が図書館の駐輪場へと滑り込んでくる。

「おっす!秀彦と一緒って珍しいね」

 僕が言い終わるか言い終わらないうちに、カッちゃんは答える。

「ちょうどそこで、秀彦に会ってさ。今日は天気もいいし、すぐに河童ヶ池に行くか?」

「そうだね。ダラダラしてたらどんどん暑くなってくるだろうし」

 カッちゃんは自転車から降りるつもりもないらしい。自転車から降りて、自転車を停めようとしていた秀彦の動きが止まる。

 秀彦は自転車ごと回れ右をして、僕も駐輪場から自転車を出す。

 すぐに月野沼に向かって出発した。

 やはり今日も三十分ほど掛かって月野沼に到着した。

 月野沼のほとりにある河童の像の側の木陰で少し休憩すると、秀彦がスマホで河童像を地点登録して、対岸を目指して再び自転車を漕ぎ始めた。

 月野沼の周囲をぐるっと回る形で対岸を目指す。月野沼の周囲は十五キロ弱。単純に対岸というと、七キロは自転車で走る必要がある。

「こうして見ると、河童ヶ池って結構広いんだな」

 河童の像を出発してしばらくすると、カッちゃんが弱音を吐くようにつぶやいた。

 僕らもそれに同意する。

 三十分ほど自転車を漕いだ後にまた、七キロだ。しかも、背中に照りつける日差しが徐々に強くなっていっているのが分かる。河童の像の側の木陰で乾いたTシャツもすでに汗で濡れていた。

 二十分から二十五分ほど走っただろうか。目的地の河童像の対岸に到着した。

 対岸の月野沼の周囲は鬱蒼うっそうとしていて、河童の像側と比べて人の手が入っていないのが明らかだった。背丈の高い草が生い茂っていて今、僕たちがいる位置からでは、月野沼はほとんど確認することができない。

 そして、確かに数台の車が放置されている。放置された車は相当の年月が経っているらしく、薄汚れて苔のような物が浮かんでいた。

 この位置はほとんど人の目がなさそうな場所だった。月野沼の向かいは空き地が多く、住宅もない。たまに、月野沼の周囲をランニングしている大人が通過する程度だ。

 僕らはランニングの人たちに邪魔にならないような場所に自転車を停めると、車に近付いてみた。

 どの車も窓も汚れていて、中の様子をうかがい知ることはできなかった。

「河童像の対岸の車たって、何台もあるじゃねえかよ」

 カッちゃんが早速、毒づく。

「しかも、中も見えないね」

 僕もカッちゃんに乗っかってみる。

「これって、不法投棄された車ってことかな?」

 秀彦も思ったことを口にした。

「たぶんね……どうしようか?」

 僕が秀彦の疑問に答えて、カッちゃんにうながす。

「どうしようかって……どうしよっか?」

 どうやらカッちゃんに特に考えはないらしい。

「ダメ元で、全部ドア開けてみる?鍵が掛かってない車もあるかもしれないよ」

 中が見えない車のドアを開けるのはそうとう勇気が必要ではあるが。

「長岡直人からのメッセージは車の中だったよな?」

 僕の言葉にカッちゃんが聞き返す。

「つきのぬま かっぱぞうのたいがん くるまのなか だよ」

 秀彦が改めて、長岡直人の手紙の暗号のメモを読む。

「うーん、ここら辺が河童像の対岸に間違いないんだよな?」

 カッちゃんが秀彦に確認する。

「うん、ちょうどここら辺だよ」

 秀彦はスマホで再度、河童像と今の位置を確認する。

「車の中……車の中かぁ」

 カッちゃんはぶつぶつと呟く。いくらカッちゃんでもこの放置自動車のドアを気軽に開けることはできないようだ。

 手頃な車を覗き込んでみるものの、窓からはほとんど中が確認できない。

「全然、中見えないや」

 どう汚れたらこんなに窓が見えなくなるのだろうか。そんなに年月が経過しているということか?

「……ドア、開けてみるか」

 カッちゃんの呟きは、自分に言い聞かせているように聞こえた。

「そうだね、長岡直人もプレゼントって言ってたし」

 プレゼントなら怖いことはないはずだ。僕の一言で皆の不安をなんとか払拭できないだろうか。ただ、殺人犯からのプレゼントなのが、自分で言っていても不安ではあるが……。

 河童像の対岸は背丈の高い草が生えているだけで、特に影を作ってくれる場所にはない。直接、夏の日差しが僕らの背中を容赦なく照りつける。汗で張り付いたTシャツが気持ち悪い。

 僕らはたっぷり十分は悩んだ後、諦めて放置された車のドアを開けることにした。

「よしっ!開けるぞ」

 カッちゃんが代表してドアを開ける。

 だいぶ薄汚れたドアの取っ手を握ると、思い切り引っ張った。……しかし、ドアはびくともしない。

「ダメだ、鍵が掛かってる」

 カッちゃんが汚れた手をはらいながら、別の車に近付く。

「こっちはどうだ?」

 やはり、ドアは開かなかった。

 ここ、河童像の対岸の鬱蒼とした草むらに放置されている車はもう一台。これが開かなかったら、僕らは無駄足ということになる。

 三度、カッちゃんがドアの取っ手に手を伸ばす。

「これは開いてくれよ!」

 カッちゃんが腕に力を入れるが、ドアは開かない。

「マジかよー!」

 言いながら、カッちゃんは手をはらう。

「どうしようか?」

「全部、鍵が掛かってるんじゃどうしようもないよな」

 僕の問いに、カッちゃんと秀彦は肩をすくめる。

「そうだ!そこら辺にでかい石とか落ちてないか?」

 急にカッちゃんが何かをひらめいたようだ。

「でかい石?何するの?」

 僕と秀彦が声を合わせる。それにカッちゃんはニヤリと笑う。

「でかい石で車の窓をぶち破るんだよ!」

 あぁ!と僕と秀彦は手をポンと打つ。すぐに僕ら三人は汗を拭いながら、草むらに大きい石が落ちていないかを探し始めた。しかし、河童像の対岸であるこの周辺には草以外は見あたらない。

 捜索範囲を広げようとしたところで、僕はあることに気付いた。

「ちょっと待って。長岡直人のプレゼントがなんだか分からないけどさ、でかい石で車の窓を割ったとして、それを誰かに見られたらなんて説明するの?」

 車の窓を割ったりしたら、結構な音がするに違いない。対岸まで届くわけはないが、月野沼周辺をランニングしている大人は少なからずいる。その大人たちに音が聞こえないとは限らない。

「……説明いるか?」

 カッちゃんが鳩が豆鉄砲を食らったような、きょとんとした顔で疑問を投げかけてくる。

「いるでしょ。放置自動車を破壊している小学生だよ。下手したら警察に通報されるんじゃない?」

 秀彦も僕の意見に賛成する。

「マジかよ。めんどくせえなぁ」

 カッちゃんが頭をかきむしり、その場に座り込んだ。僕の背中を汗が伝っていく。

「とりあえず、河童像まで戻らない?あそこなら日陰もあるし、少し休憩したらいい考えが浮かぶかもしれないよ」

 僕は河童像への移動を提案した。本音は、とにかくこの場所から逃げ出したかった。ろくに日陰もないこんな場所にしかもむっとする草むらにずっといたら、いつ倒れてもおかしくない。

 僕は今にも草むらに寝っ転がりかねないカッちゃんに手を差し出し、立ち上がるのを手伝う。

「そうだな。確かにここにずっといたら、暑さでぶっ倒れそうだしな」

 秀彦の顔を見ると、彼もホッとした顔を隠さないでいた。

 僕らは、すぐに側を立ち去り、河童像の側で休憩を取った。水分補給をして頭が冷えてくると、カッちゃんにいいアイデアが浮かんできた。

「今日は出直してさ、明日また来るか」

「それはいいけど……」

「皆、グローブぐらいはもってるよな?」

 僕と秀彦が顔を合わせて、頷く。

「俺、家に木製バットと硬球があるんだ」

 カッちゃんが自信満々にニヤリとする。

「硬球?」

 僕と秀彦には耳慣れない代物だった。

「そう、高校野球とかプロ野球で使うような、かったい石みたいな野球のボールだよ。それで野球やってたことにすれば、車の窓をぶち破ったって説明つくだろ?」

 軟式のボールしか使ったことのない僕からしたら、小学生が高校生やプロが使うような硬球で野球を、しかもすぐにボールが沼に入ってなくなりそうな月野沼でやるのには違和感がある気はするが……暑さのせいか、それを上回るようないい案は浮かんでこなかった。

「……うん、悪くないアイデアなんじゃない」

 僕がカッちゃんの意見に賛同すると、秀彦もそれに同意した。

「……チッ、じゃあ、今日は無駄足ってことか」

「まぁ、今日は河童像の対岸に車があったことを確認できただけでも良しとしようよ」

 まだ、太陽は高く、正午を過ぎてもいなかったが、もう一度家まで戻って今日のうちにまた来ようとは誰も言い出さなかった。皆、口には出さないが、家から月野沼経由で河童像の対岸までの道のりを考えると、とてもこの暑さの中では体力が持たないだろう。

 僕らは明日が少しでも涼しくなるようにと祈りながら、帰宅した。

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