雪月花。

 出席番号2番 綾瀬みう

 出席番号17番 都築桐花


 ◆◆◆


 始業のベルとHRが迫りくる中、私は方向転換を迫られていた。

 こんなに朝早く学校に来たのは、日本史の小テスト勉強を頑張るため。残念ながら、いや案の定それはまったくはかどってないんだけど、そんな私を非情な現実が責め立てる。

 一時間目の古典。なんと。課題が出ていたのをすっかり忘れていたのでした……。今さらあがいたところでしょうがない。……とも言えない。これが授業5分前なら諦められた。でも、今からなら何とかならないこともない。ただ、そうしてしまうと小テストの勉強をする時間が……。ああ、私はどうしたらよいのでしょう!!

 うんうんうなっていると、都築桐花が教室に入ってきた。


「あれ……綾瀬さん、おはようございます。今日は早いんですね。」


 都築さんは控えめににっこり笑う。とっても上品な笑顔……。やっぱり優等生は朝早いんだなということをしみじみと感じながら、ついつい改まった挨拶を返してしまう。


「都築さんおはようございます。本日はお日柄もよく!」

「はぁ……。たしかに、とてもいい天気ですね。よい一日になりそうです。」


 もう一度にっこり笑うと、都築さんはこれまた上品に席に着いた。斜め後ろから眺める都築さんの背中は、小さいけれどぴんと伸びて、育ちのよさをにじませている。都築さんのお家は、たしか有名なお花の家元で、彼女も修行していると聞いたことがある。やっぱりお家は厳しいのかな……なんて考えながらぼんやりその背中を眺めているうちに、自分が現実逃避していることに思い至る。良家の美少女に見とれていても課題やテストはクリアできないのである!

 そうは言っても、どうしたものか……。私には決められない。今この時間をどう有効活用するべきなのか!


「……あの、綾瀬さん。今日の古典の課題、やってきましたか?」


 私の苦悩がダダ漏れになっていたのか……! と思ってしまうほどのタイミングで、都築さんはこちらに体を向けて訪ねてきた。


「いえ……。それが目下最大の懸案なのであります……。」

「あはは……やっぱりそうでしたか。

 古典と日本史の教科書を並べてにらめっこしていたので、

 もしかして……と思って。」

「はははは……。

 日本史のテスト勉強してたんだけど、ついさっき古典の課題思い出してね……。

 どっちやろうかと思って……。」


 気の毒そうに笑う都築さん。ひたすら苦笑いするしかない私。とってもいたたまれない空気が流れる。ああ、仏道を極めんとした僧たちのストイックさをほんの少しだけ私に分けてほしい。もうちょっとだけきちんとできる子になりたかった!


「私の……写します?」

「……え。」


 意外な提案に目が点になる私。都築さんの課題を写す……。真面目で曲がったことなど一切しなそうな彼女からそんな言葉が出たことが信じられなくて、一瞬思考停止する。

 しかしすぐさまそんな気持ちは押しやられ、ご厚意に甘えたいもう一人の私がしゃしゃり出てくる。


「え、ええ……っと、いいのかな……? すっごく助かるけど……。」

「いいんじゃないですかね。

 日本史の小テストのほうが大事なんじゃないかなって思うし。」


 たしかに、今の私にとってはそっちのほうが深刻だ。二兎を追う者は一兎をも得ず。評価が数値化してしまうテストのほうにやはり重きを置くべきでは……。都築さんもそう言ってるし!


「綾瀬さんだったら私、気になりませんから。

 真面目だし。今回は写すだけでも、きっと後からきちんと勉強すると思うし。」

「お、おう……。都築さん的には私ってそういう評価なのね……?」


 買いかぶりすぎだと思う……。そんな真面目な顔を彼女に見せたことがあっただろうか。いやない。思いつかない……。それとも都筑さんは、まずは何ごとも褒めるところから始める方針なのだろうか。それはとても効果的だ。そんな言われたら勉強しないといけない感じになる!

 とにかく私は、都筑さんの期待を裏切れない気持ちになり、後日勉強をするという確約付きで課題を写させてもらうことにする。


「お言葉に甘えつつ、今日のところは厚く復習すると誓います……。」

「ふふ……。綾瀬さんはやっぱり、誠実で真面目な方ですね。」


 鳥が鳴くような涼やかさで、都筑さんは笑った。理由はどうあれ、本気でそんなふうに思ってくれているのならば、それはとても喜ばしいことだと思う。本当に復習頑張ります、都筑さん。


「……今年は雪、降りますかね。」


 都筑さんは、窓の外を眺めて急にそんなことをつぶやいた。


「そうだね……。最近やけに寒いし、2月になったらもしかしたら……。」

「雪月花の時、最も君を憶う……。」

「へ……?」

「はい、ノートです。使って下さい。」


 都筑さんは私にノートを手渡して、にこりと笑うと、自分の机に向き直ってしまった。それ以上、声をかけるのも悪い気がして、おとなしく受け取ったノートを開く。

 課題は、枕草子という清少納言が書いたとされる書についてだった。

 都筑さんがきれいな字で綴った口語訳を読みながら、さっきの言葉についてわかったような気になる。

 昔の人たちの風流さは、今の私たちには理解しがたい。娯楽の多さも、その追求の仕方も今のほうがえげつなくて、進化しているようでいて、たまに退化しているような気がすることもある。

 どちらがより素敵かなんてはかれないのだろうけれど。朝日を見るのが好きだったり、山に登るのが好きだったり、雪が降るのを心待ちにするような、私の周りの子たちの感覚がなんだかとても愛おしかった。

 お母さんの実家に思いを馳せる。お正月の帰郷が延期になってしまったことを愚痴って、どこかの土日か連休で連れて行ってもらおう。雪があるうちに。

 東北の真っ白な風景に思いを馳せながら、都筑さんのノートを私は丁寧に写経し始めた。

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