第一話(2)

 他の誰にも邪魔されない、一人きりの世界。

 そこにひたりきるにはどんな方法があるだろう。

 部屋で好きな音楽を聴く。じっと温かな湯船につかる。静かな図書館で本を読む。

 どれも好きなことだけど、今の私は最上級の独りぼっち感覚を求め、急ぎ足で人の多い道を進んでいた。

 私の住む街は日本有数の観光都市で、ここはその中でも一番大きな繁華街にあるアーケード通り。大学からバスに乗って十分ほどでたどりつくこのアーケード通りに、強く求める「一人きりの世界への入り口」があるのだ。

 一人が好きだからこそ、私は雑然としたこの通りが好きだ。

 歩行者天国になった通りを、奇抜な服装の人が歩き、観光で訪れた外国人が行き、修学旅行生たちが騒ぎながら走り去る。人影のまばらな通りを歩くよりも、群衆の中にまぎれこむほうが、よっぽど孤独で心地いい。

 独りでいるのが好きなのは、物心ついてからずっとだ。

 そんな孤独好きの私がこよなく愛するのは、一見つながりがないように思えるだろうが、響く音楽と流れる映像に合わせてリズムを刻むゲーム、いわゆる音楽ゲームと呼ばれるもの。

 それらは私に、孤独なひとときを与えてくれる至福の存在なのだ。

 小学生になるかならないかのころ、五歳年上の従姉いとこが私にプレゼントしてくれてからハマって、今までずっとプレイし続けてきた。

 視覚は次々に移り変わる画面に集中させ、聴覚はヘッドホンから流れる曲に集中させる。そうしてなにも考えず夢中でリズムを刻んでいくと、やがてふっと、世界には私とゲームしかないような孤独な感覚に飲みこまれる。その瞬間がたまらなく好きなのだ。

 そんな瞬間を味わえる場所が、繁華街を進む私の前にようやく見えてきた。

 私が求める一人きりの世界への入り口、そう、ゲームセンターである――

 あるんだけど、おや?

「絶対コイツ、中身オッサンだよ」

「うそ、マジでー。それキモくない?」

 ゲーセンの入り口の前で、化粧の濃い女子高生にクマの着ぐるみがからまれていた。

 このクマはゲームセンターのマスコットキャラ。女子高生二人組はうるさく笑いながら着ぐるみの頭をつかみ、クマは顔が出てしまわないよう必死で抵抗している。

 放っておけばよかったのだと思う。

「かっわいいー! すみません、写真を撮ってもいいですか?」

 思考をぐるぐると回した後、私はスマホを取り出してクマに声を掛けた。女子高生二人はあえて無視し、声はできるだけ女の子っぽいものに。かわいらしい笑顔も見せたかったが、私の硬い表情筋には不可能なのであきらめた。

 クマは頭を手で押さえたまま、はげしく首を縦に振って「肯定」を示す。

「やった、私、クマ大好きなんですー!」

 そう言ってカメラ部分をクマと女子高生たちに向けると、着ぐるみに手を伸ばしていた女子高生二人はおずおずと離れていった。そりゃ、乱暴しているところは撮られたくないよね。

「ごめんなさい、ちょっと待ってくださいね。操作が分からなくて……」

 カメラを向けたままスマホをいじっていると、二人の女子高生は面白くなさそうな表情で目を合わせ、「行こう」と歩き去って行く。

「はぁ、やっと行ったなぅうぇッ!?」

 言い終わらないうちに飛びかかってきたクマ。

 私を抱きしめようとするその手を間一髪でよける。

「……やめてもらえるかな。ネネねえ

「さっきの、『私、クマ大好きなんですー!』って、かわいかったわあー」

 着ぐるみからかすかに聞こえてくるのはひどくおっとりした声。ただし、クマ大好きとかっていう私のモノマネ部分は殺意がわくほど似ていた。

「助けるんじゃなかった」

「えー、なんでー、かわいかったよー」

 そう言ってクマは自分の身体を抱きしめるように両手を回し、身もだえするように気味悪く震えた。

「でも、あのままかわいい女子高生に責められ続けるのも悪くなかったかなー」

「……やっぱり助けるんじゃなかった」

「ああー、その冷たいハルちゃんの視線、いいわー!」

 この気持ち悪い発言をするクマの中身は、我が従姉でこのゲーセンの店員であるなな音々ねね。美少女からいたぶられることが至上のよろこびだと言い張る変態ドM従姉だ。

「でも、ありがとうねー。ハルちゃんは本当に自慢の優しい子だわー」

「ちょ、ちょっとやめてよね」

 繁華街の真ん中でクマから頭をなでられるのは気恥ずかしい。

 こんなところ知り合いにでも見られたらたまらないと思いつつ手を振り払うと、ネネ姉はクマのかぎ爪を私の背後に向けた。

「そのハルちゃん好みの女の子って、お友達ー?」

「お友達?」

 振り返ると、十歩ほど離れた看板のかげで、自転車に手を掛けた少女がエビを思わす動きでビクッと跳ねた。

 発見されたことが予想外だったんだろう。ぷるぷる震える全身とぽかーんと開いた大口に、驚愕の感情がはっきり伝わってくる。

「なんでここにいるのよ、瀬川」

 離れた瀬川に届くよう、そして不快感がハッキリ伝わるよう、強く声を発する。

「…………」

「私、言ったよね、もう話しかけないでって」

 表情をかき消して言葉を投げつけると、何かを応えようとした瀬川は、すぐに口に手を当てる。

 そして、あわただしくスタンドを立てて自転車を置き、唐突になぜか胸の前で両手で輪を作った。

 それも二回連続で。

 いったいなにをしたいのだろう。

 両手で作った輪。いや、丸、円、ボール、球……。

「……たまたま?」

 私の言葉に、無言で歓喜の叫びをあげ、星が出そうなほど瞳をキラキラさせてはげしくうなずく。

 いや待て違う、話しかけないでってのはそうじゃない。

 ジェスチャーが理解されたことがよほどうれしかったのか、瀬川は興奮した様子で今度は、人であふれたアーケードの街並みをぐるっと指さしてから、なんだろう、ペンを握って何かを書いてはうなずく、なんて動きを繰り返していた。

「……街の様子を、勉強しに来た。とか?」

 瀬川の目が丸々と見開かれる。

 思わず声が出そうになるのを押さえたのか、口に手を当てて「んー、んー、んー!」とうなりをあげた。たぶんだけど、「大、正、解!」だな、これ。

「すごいわねー。よく分かるのねー、ジェスチャーゲーム」

「違うから。……はぁ、もういいよ。しゃべっても」

 ため息をついて投げやりに言うと、その声音に瀬川はまたしょんぼりと目線を落としながら、自転車を押して近づいてくる。

「……ごめんなさい。本当にたまたま、帰りに寄り道してただけなんです。人がたくさんいるところ、あんまり慣れていないから勉強しようって思って。そしたら、ハル君がクマさんを助けてるところを見て」

 たまたま、じゃなくて、あとをつけて来たのでは?

 そう一瞬疑ったが、瀬川の横の自転車を見れば違うと分かった。

 私がここまで来たのはバスだ。それを追いかけるような暴走自転車があったらさすがに気づく。バスは繁華街の渋滞した道を通ってきたから、瀬川は渋滞のない道を最短ルートで通ってここまで来たのだろう。それでもバスで来た私に追いつくって、異常な速度だけど。

 私が思考を巡らしていると、ぬいぐるみのネネ姉が瀬川に声の届く距離まで歩み寄っていく。

「ちっちゃくてかわいくてお人形さんみたいな子ねー!」

「クっ! クマがしゃべ、しゃべった。い、いや、しゃべりますよね、クマですから」

 近くにきて聞き取れたネネ姉の声に、瀬川は意味不明な発言をする。クマはしゃべらない。

 ネネ姉は瀬川を観察するように上から下まで眺めて、なぜかついでにこっちも眺めてくる。

「うんうん、かわいい子だねー。ハルちゃんが好きそうだねー」

「べつに! ただの大学での知り合いってだけ」

「えっ、この子、大学生っ!?」

 ネネ姉が本気の驚愕の声をこぼし、瀬川の手をがっちりつかむ。

「ねっ、ねっ、よかったら、上でゲームしていかない?」

「ゲーム! それはまさか、都会で言うところの、ゲームセンターってやつですか」

「そうだよ、都会だよ。裏に自転車も停められるしねー。ほら、行こう行こうー」

 うながすように瀬川の背中をポンポンと叩くネネ姉。

「ゲ、ゲ、ゲームセンター! わたし、それ、はじめてですっ!」

「よし、決まりー!」

 瀬川が大喜びで飛び跳ねると、その手をネネ姉が引いて歩き出す。

「ほら、ハルちゃんも行くよー」

 その言葉に瀬川は「あっ」と小さく声を挙げる。

「わたしが行ったら、迷惑ですよね……」

 そう悲しげにつぶやいて、ゲーセンの入り口と私の顔を交互に見る瀬川。

 それはまるで、お説教されている最中だというのに、大好きなおもちゃを視界に入れてしまった子犬みたいで――

「……もう、いいよ」

 私が「帰る」なんて言い出したら、瀬川も遠慮して帰ろうとするだろう。

「ああ、もういいや。一緒に行くよ」

「は、はいっ! ハル君、ありがとう!」

 瀬川にしっぽがついてたら、きっと今ぐるんぐるん回っているんだろう。


   *


 ゲーセンの一階はパチンコ屋になっていて、ゲームのスペースがあるのは二階と三階。

 自転車置き場のある裏口から二階にあがった私は、「ちょっとだけ我慢してね」と瀬川に声を掛け、防音処理がされた扉を押し開けた。

 その瞬間、けんそうが全身を包みこんでくる。

 あふれ出す音と光が、世界を埋め尽くしていくような感覚。

 私はこの雰囲気が好きだ。

 何十台も並ぶゲーム機がなんの統一感もなく音声と映像を流し、そこにあつまる人たちは思い思いのゲームに向き合っている。

 にぎやかなのだけれど、孤独。

 ここなら一人でも仲間と一緒でも、好き勝手に遊んでいい。

「うるさいけど、大丈夫。すぐ慣れるから」

 呆然とした瞳をあたりに向けていた瀬川に声を掛ける。

 ゲーセンというものはやたらにうるさいもの――その認識は必ずしも正しくない。

 ここみたいな規模の大きなゲーセンだと音量調整が徹底されているのが普通だ。さっき店内に入った瞬間は音に飲まれてしまったが、ものの十秒もかからないうちに耳がなじんでくる。

「あ、はい。大丈夫です……」

 瀬川はそう答えたが、その顔からはまだ驚きが消えてないように見えた。

 ここはこの街でも有数の広さを持つゲーセンで、普通サイズの教室二個分よりもまだ大きなスペースにずらりとゲーム機が並んでいる。

「うん、大丈夫だからね。ほら、行こう」

「えっと、ハル君が行きたいのは、三階でしたよね」

 瀬川はぼんやりつぶやいて、そして不意に、私の上着の端をちょんと指でつまんでくる。振り払おうかと思ったが、視線を頼りなく泳がせている瀬川を見て、どうにでもなれとあきらめた。

 どうにでもなれ。それが今の私の気持ちだ。

 瀬川がついてくると私の癒やしの時間はどうなるのか。

 瀬川と二人、ゲームセンターでいったいなにをしようというのか。

 瀬川と一緒にいれば私の平穏な大学生活は失われてしまうのではないか。

 浮かぶ不安にキリはないけれど、こんな瀬川を「独りで勝手に遊んでくれば?」と突き放すのも、罪悪感があってできない。

 じゃあ、どうすればと言われると、なにも思いつかない。

 とりあえず今は……もう、どうにでもなれ、だ。

 そんな気持ちで瀬川に服をつかまれたまま、三階へと続く階段を目指す。

 二階には、半分が格闘ゲームやシューティングゲームといったビデオゲーム、もう半分がプリクラとクレーンゲームが埋めている。

 音ゲー専門の私はそれらに目もくれず、間を通り抜けていく。格ゲーで対戦する男の子たちはこちらを気にもせず、自分たちのゲームに夢中になって興奮の声をあげていた。

 三階へ向かう階段についたところで瀬川はようやく手を離し、口を開く。

「これ、デパートの屋上のゲーム広場とは、ぜんぜん違いますね! あと雰囲気が明るくて驚きです。わたし、ゲームセンターってちょっとこわいイメージがあったんです!」

 ようやく調子が出てきたのか、声に本来の瀬川らしい明るさが戻っている。

「……油断はしないほうがいいかな」

 三階フロアへの最後の段を上りきった私は軽くあたりを警戒しながら言う。

「え、油断って、そんなまさか、いきなり襲われたりとかしちゃって」

 しちゃっての「て」の直後、瀬川は襲われた。

 階段を上ってすぐのスタッフ用の休憩室から飛び出した人物が野獣のごとき勢いで瀬川を抱きしめたのである。

 なお、休憩室は外部から目立たないよう、ドアの前についたてが置かれている。おそらく瀬川は瞬間までなにも気づいていなかっただろう。

「ほ、ほほあ、ほあッ!」

「やーやー、よく来たねー」

 襲撃者の正体は着ぐるみをぬいだネネ姉だ。上半身はブラウスの上に黒のベスト、下半身は黒のタイトなスカートという、カジノで見かけそうな制服姿になっている。

「やめたげてよ。瀬川が驚きでおかしくなってる」

 抱きしめられた腕の中でなぜか両手をホールドアップした瀬川は、目を点にして「ほあ、ほあ」と不可解な言語を発している。これは方言なんだろうか。いや、瀬川が変なだけだな。

「あー、ビックリさせちゃったかなー。ごめんね、もう大丈夫だよー」

 そう言いながらネネ姉は、瀬川の頭をポンとなでてもう一度優しく抱きしめた。

 瀬川はたぶん一五〇センチもないぐらいの身長なので、ネネ姉の胸に顔を埋もれさせてしまう。

「だ、だ、大丈夫です。おつちゅきましたから……」

 身体を離した瀬川は大きく深呼吸してから、言葉を続ける。

「こちらこそ、驚いてしまいまして、ごめんなさい」

 悪いのはネネ姉なのに申し訳なさそうに頭を下げる瀬川。

「えっ、ええー! 謝らなくていいのいいのー!」

 瀬川の反応に、今度はネネ姉が動揺を見せる。

「悪いのはこっちだし、謝るんじゃなくて、むしろとうしてー。そのために驚かしたのにー」

 ため息が出る。私のまわりには変人しかいないのか。

「ば、罵倒、ですか?」

「いや、しなくていい」

「ののしって。ののしって」

「え、えっと、なんだろう。この……おっぱいお化け、ですかね。ね?」

 こっちを見て同意を求められても困る。まあ、制服のベストがぱつんぱつんになっているネネ姉はおっぱいお化け以外の何者でもないけど。

「うーん、すっごく優しい子だねー、残念ー。でも、ハルちゃんには合ってるかな」

 そう言ってネネ姉はだらしなくにやけた顔を私たち二人に向け、ポンと手を叩いた。

「あ、そうだ。自己紹介がまだだったねー」

「さっきハル君からおうかがいしました。従姉の、七尾音々さんですよね。で、えっと、わたしの自己紹介ですが、わたしはハル君の大学のとも――」

 言葉を切った瀬川が、一瞬だけ口を閉ざし、その姿に私は視線をそらしてしまう。

「ハル君の大学の知り合いで、瀬川うららと言います」

「ふーん、なるほどなるほどー。うららちゃんか」

 そう言いながら、ネネ姉は少しまゆを上げて私を見る。

「……なに?」

「べつにー。二人とも、今日はいっぱい遊んできてねー」

 ゆるんだ笑顔を見せるネネ姉からは本心が見て取れない。たぶん、瀬川の言葉と私の態度になにかを察したのだろう。変態な従姉だがカンはおそろしくいい。

「ハルちゃん、最低でもプレイ五回分は売上に貢献してね。じゃあ、仕事のつづきー」

 手をひらひらと振って去って行くネネ姉。

「五回分、売上に貢献……? それってけっこう高いですか?」

「一回百円だから、五百円」

「あ、よかった。三千円ぐらい使うかなって思ってました。じゃ、いっぱい遊べますね」

 その言葉で気づく。これで、「一通り案内して一回だけゲームして終わり」ってわけにはいかなくなったわけだ。

 ゲーム一回につき五分以上ははかかる。だから、確実に半時間近くは二人で一緒。

 まあ、ネネ姉の発言なんて守る義務はないんだけど、両手でガッツポーズを決めながらゲーム機を眺めている瀬川の姿に、どうせずるずると遊んでしまうんだろうなと未来が予測できてしまう。

 時間を確かめると午後三時半を少し過ぎたところ。

 さすがに晩ご飯までには帰るが、今日はなんの用事もないから、そこまでは切り上げるタイミングも見つかりそうにない。

 思い返せば、こうやって瀬川とゲーセンにいること自体、ネネ姉が「ゲームしていかない?」と誘ったせいだ。もしかして、あの段階からうまくコントロールされていたのだろうか。

「ハル君、いっぱい教えてくださいね。わたし、すごく楽しみです!」

 こちらの気も知らず、くつたくのない笑みを向ける瀬川に改めて思う。

 ああ、もう、どうにでもなれ!


   ***

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