第一話(1)

第一話 ハル×うらら


 入学してまだ半月ほどしか経っていないが、私の中には確信が一つ芽生えていた。

 大学生活は最高である、と。

 なんといっても男っぽい服装がし放題なのだ。

 私、ななハルがこの四月から通い始めたのは、全国有数の大きさを誇る私立大学。

 三万人を超えるほどの多数の生徒が通っているため、一年生と二年生の間は、ほとんどの講義を百人以上も入れる大教室で受けることになる。講義は、教壇に立つ教授がただひたすらに話し、生徒は集団で聴いているだけ、というスタイルで行われる。

 小中高であったようなクラス単位で行う講義もあることにはあるが、それは週にそれぞれ二度ある英語と中国語の語学講座だけ。希望者は体育も受けられるが、これは大教室で受ける保健の講義で代用できる。

 私立大学で文系学部だと、講義内容がゆるいというのはうわさに聞いていたが、この大学の講義は本当にゆるかった。

 レベルは平均よりも高い大学なのだけれど、大教室の講義ではそこかしこで小声の私語が聞こえ、それを注意されることもない。講義の途中で出ていく生徒だって数え切れないほどにいる。そんな状況だから、人混みに溶けこんだ男装の私を誰も気にすることがないのだ。

 ああ、なんとすばらしい環境だろうか。

 私が一番イヤなのは、「なんで男のかつこうをしているの?」と聞かれることである。

 高校時代は制服の指定があったから通学中は好きでもないスカート姿をしていたけれど、私服は男の格好で、そこを同級生なんかに見つかると最悪なのだ。好奇心に満ちた目で「なんでなんで?」の質問責め。思い出すだけでイヤになる。

 なぜ女の私が男装をしているかと言えば、それはまあ、簡単に説明できる理由でもないから、いちいち聞かれると非常にうっとうしい。

 だから人混みに溶けこめる大学生活は最高――だったのだ、つい昨日まで。

「では、七尾君。次の一文を訳してね」

 教壇に立つ女性教師が名簿を見ながら私の名を呼んだ。

 三十名あまりと人数も少ないこの語学クラスは、他の講義と違って少しやつかいな時間である。出席を取ったり指名をしたりと、高校までと同じようなスタイルで講義が進むのだ。

 私は心持ち低めの声で英訳を応えると、先生は訳文の誤りを少し指摘して講義を進めていく。なにも気づいていないようだ。

 女性だと気づかれないコツは、ムリに野太い声を出そうとするのではなく、地味を心がけてよくようをつけずにしやべることだ。人づきあいの苦手な私が何年もきたえてきた、男装しながらも目立たず空気キャラになる技である。

 この先生の講義は二回目だが、どちらも他の女の子のように「さん」づけでなく「くん」で呼ばれているから、私のことは男子として認識しているらしい。

 完璧である。

 好きな服装をしながら、地味に目立たず孤独に過ごす。

 そんな高校までの学校生活ではできなかった理想的な生活を、ついに手にした――手にしていたのだ。

 語学講義は一コマにつき一時間半、それが週に英語二回と中国語二回の、計四回ある。私の大学では、この語学クラスのメンバーは固定されているため、そこで友人たちを作るのが一般的なのだと学校案内に書いてあった。

 厄介な時間ではあるが、私はすぐに回避方法を見つけていた。「講義開始間際に教室に入る」と「講義終了後即座に教室を出る」のれんけいコンボを繰り返せば余計な人間関係が発生することすらないのだ。

 九十分の講義は問題なく進み、ドアにもっとも近い席についていた私は、「これで終わります」という先生の声とともに、気配を消しながらも軽くフライング気味に部屋を出る。

「ハルくーん! 一緒に帰り――」

 後ろを見ずにドアを閉める。

 なにか聞こえたのは気のせい。そう自分に言い聞かせ、私は一目散に出口へ全力ダッシュする、と見せかけて近くの階段から二階へけ上がり、ろうのかげに身を隠した。

「ハルくーん! ハルくーーん!」

 階下から響く声で、あの異常少女、がわうららが出口に向かって爆走していったのが分かる。

 昨日、校舎裏で私にフラれた瀬川は、路線を変更して迫ってきた。

「ちょっとだけ、ちょっとだけ、ちょっとだけでいいですから、お試しで友達からどうです?」

 などという、あやしげなセールスマンのような口調で近づいてきたのである。においをぎながらだ。もちろん全力で逃げた。

 付き合うなんて理解のはるか外だが、友達ってのでさえ絶対にイヤだ。

 この大学生活を孤独に暮らしたいのである。

 入学前までの私は、ひとりぼっちの大学生活が可能なのか不安だった。

 だがその心配は不要だった。大規模な大学だとぼっちの学生なんて目立たない。食堂にも教室にも単独行動の学生があふれている。

 三年生になれば少人数のゼミ講義が始まるのだが、単位の取り方によってはそれに参加することなく、ずっと大人数の講義を受けて卒業していくという裏技もあるらしい。学生センターのお姉さんにそれを聞いたとき、幸福感のあまりこぶしそうてんへ突き上げてしまったほど、私は孤独を渇望しているのだ。

 なのに、どうしてこうなった……!

 逃げこんだ二階はどこも講義をやっていないのか、静かな空気が漂っていた。

 廊下のかげに隠れたまま、私は憂鬱な気持ちで冷たい壁に背中を預ける。

 本気で誰かと友達になんてなりたくない。

 瀬川うららとは、とくに。

 彼女は私と対極にいる人間なのだ。

 思い浮かぶのは、初回の英語の講義。あのとき私は開始時間より五分も早く来てしまうという痛恨のミスをしでかしてしまった。

 そこがはじめての語学クラスだったから、教室にはぎこちないながらも仲良くなろうとする初対面の生徒たちであふれていた。私は気配を薄くして扉近くの席に座り、「ひどく重要なメールの着信があったかのようにスマホを確認する」などの高度なぼっち技能を駆使し、話しかけられない雰囲気作りに努めていた。

 そんな教室で、ためらうことなく次々と声を掛けていたのが、あの瀬川である。

 どこか必死さを感じるほどに積極的に動き回り、あっちこっちに声を掛けては周囲に笑顔を広げていた。

 初対面のときは受け身でいるよりも、自分からコミュニケーションを取っていく方が好まれるものだ。しかも、瀬川は中学生にも見えるほど小柄で可憐な少女だから、元気に明るく話して回るだけで好意を持たれるだろう。なにより、あのときは変人的なリアクションも見せてなかったし。

 正直に言えば、はじめて瀬川を見た私は、顔にはけっして出さなかったが、その姿に見とれてしまっていた。

 そして同時に、激しい拒否感を覚えた。

 瀬川うららが、というよりも、彼女を取り巻く人間関係の広がりがイヤでたまらなかった。

 もしも瀬川と友達になったら、あのまわりの人間たちとも関係を持たなくてはならないのだ。そんな状況、考えるだけで寒気が走る。

「瀬川だけなら……って、瀬川だけでも絶対にイヤだな」

 無意識にこぼれた独り言に、全力で首を振る。

 みんな無邪気だった小学校時代をのぞけば、私には友達の一人もまともにいなかった。いや、正しく言うなら、小学校の高学年からもう友達はいなかった。そんな私に、瀬川という人間は規格外すぎて手に負えない。

 面倒なことになってしまった。

 思わずため息をこぼした私は、ゆっくりと下の階の気配を探る。

 音は何も聞こえない。ぼんやりと考えている間にかなり時間が経っていたらしい。

 スマホで確認すると、時刻は午後三時前だった。

 今日の講義はこれで終わり。瀬川も、瀬川以外の生徒も帰ったのだろう。

 私も帰ろう。

 念のために足音を押さえながら階段を降り、一階の廊下へ足を進める。

 そこで私は、ミスを犯した。

 ふと何の気なしに、さっきまでいた教室に目を向けてしまったのだ。

 開けられた扉から見えた教室。私の座っていた席の横。小声でつぶやく瀬川がそこにいた。

「ハルくーん。ハルくーん、くんくん……くんッ!」

 瞬間、異常な速度でこちらを向く瀬川。

 瀬川が反応したのは私の声。

 耐えきれなかったのだ。目を閉じながら鼻をひくひく動かして私の残り香をかぐ姿に、理性が働くよりも早く本能的に「ひッ」と声がもれてしまっていた。

「ハル君いた!」

 かっと目を喜びに見開き、高々と両手ガッツポーズを見せ、両足も大きく開きつつその場で飛び跳ねる瀬川。そのかわいい系美少女にあるまじき野性的な動きにせんりつが走り、後ずさってしまう。

「あ、待ってくださいっ!」

 私は動かなかった。ヤツの言葉に従ったわけではない。瀬川がこちらに駆けてくる間、私は立ちすくんでいたのだ。

「か、帰ったんじゃないの?」

「ハル君を探してたんです。よかったー、会えてうれしいです!」

 そう言って私を見上げる瀬川はやっぱり可憐で、それが逆に寒気を呼び起こす。

「えへへ、なんだかこの校舎にまだいる気がしてたんです」

「……まさか、においとかで分かるとか?」

「そんなまさか。はっきりとは分かりませんよ。ちょっと感じるだけです」

「ちょっと……、それ、野生生物並みの嗅覚じゃない?」

「いえいえ、野生生物はもっとすごいですよ。あの子たちはすごい。でも、わたし、田舎出身だから鼻はいいんです」

 なるほど、田舎出身だから鼻はいいのか……。納得しかけたが、待て。

「出身が田舎ってことと鼻の良さって、関係ある?」

「え、田舎って空気がきれいだから、鼻にも健康的でいいんじゃないですか」

 瀬川の言うことももっともだ。ただ、それが正しいかどうかは具体的なデータを取ってからでないと分からな――

 待て待て待て、私。なんで今、田舎と鼻の良さで悩んでいるのか。

 私の悪いクセだ。

 いったん気になるとつい考えこんでしまう。しかも気になるのは、どうでもいい下らないことばかり。おかげでまわりから浮くことが多くて。

 って、今のこの状況で考えこむな。

 それは置いておいて、目の前の瀬川をどう対処するかが問題な――

「たとえば、わたしの地元の友人たちにアンケートを採ってみるとか」

 ああ、なるほどそうすればデータが集まる、んじゃなくて。

「……いや、鼻の話はどうでもいいよ」

 正直なところを言えばかなり気になる。が、強引に話題から切り離す。

 私の疑問を真剣に考えてくれたのはうれしいけど、相手は瀬川だ。情け無用。

「においじゃなかったら、どうして私がまだ校舎にいるって分かったんだ?」

 気づかないうちに何か失敗をしていたのだろうか。

 今後も逃亡を確実に行うには知っておかなければ。

 慎重に探りを入れた私に、瀬川はなにも考えてなさそうなゆるゆるの笑顔で応えた。

「それはですね! 追いかけて校舎の外に出たらハル君がいなかったんで、そばにいた人に聞いたんです。ここから出て行った人、どこに行きましたかーって。そしたら、誰も出てきてないって」

 瀬川は胸を張って言う。

「だから、まだ校舎の中にいるんだって分かったんです。すごい名推理でしょ?」

「……どこが。裏口から出て行った可能性もあるよね?」

 あきれて言う私に、今度は心の底から不思議そうな顔を見せる瀬川。

「え? 急いで帰るなら裏口じゃなくて、バス停に近い正門からですよね。であるならば、ハル君は急いで帰ったんじゃないのですよ。だがしかし、必死に急いでいたのは確か。よって、謎はすべて解けました」

 そう言って瀬川は口元に指を当て、ふーっと大きく息を吐く不可思議なポーズを取った。

 これは……たぶん、パイプをくわえた名探偵のポーズかな。

「つまり、ハル君はトイレにこもりたかったんです」

「はぁ?」

「でも、男の子の服装をしているから女子トイレには入れない。なので、誰よりも早く教室を飛び出し、そして男子トイレの個室に入り、静かになるまでずっとこもっていた。ゆえに、わたしは男子トイレの扉が見えるここで待っていたわけですよ、ワトソン君」

 得意げにスパーっと仮想のパイプを吹かす姿がムカつく。

 なんか煙が飛んでくるような気がして目の前の空間を手で払うと、そのぐさに気づいた瀬川は目を輝かせた。いや、名探偵ごっこに付き合ったわけじゃないって。

「その推理、何一つ合ってないし。だいいち、私は男子トイレからじゃなく二階から降りてきたんだって」

 ちなみに男装時の私は男子トイレも女子トイレも使わない。気合いとド根性で共用のトイレを探して入る。

「いえっ、二階!? に、においに夢中で気づきませんでした……」

 改めて確認するまでもなく、瀬川はバカだ。

「でも、なんで二階なんかに?」

「あなたから逃げるために、わざと二階へ上がってたの」

「逃げる、ため?」

 今度は顔いっぱいに驚きの色を浮かべ、それがすぐに悲しげなものに変わる。

「ご、ごめんなさい。ハル君、わたしのこと、避けるほど嫌いなんですね」

 さっきまでの勢いが嘘のように落ちこんで力のない言葉。

 人づきあいの経験値が少なくて表情を読むのが苦手な私でもはっきり分かる。

「……あ、いや、嫌いってわけじゃないよ。ただ一人になりたかっただけ」

 我ながら甘いと思うけど、今にも涙がこぼれそうな瞳に負けてしまった。

 その言葉に瀬川は一瞬ぱっと明るく笑みを広げたが、すぐに申し訳なさそうな顔で下に目を向けた。

「でも、ごめんなさい、ハル君。一人でいたいんですよね、やっぱり……。わたし、一緒に帰りたいなって、自分勝手に思ってたんですけど、やっぱりもう帰ります」

 そう言って瀬川は、もう一度「ごめんなさい」と頭を下げてサッと足を踏み出す。

「……なんで、私なの?」

 さみしげな背中に、つい言葉をこぼしてしまう。

 瀬川は明るくて多くの友達に囲まれているタイプ。

 私は一人が大好き陰気なぼっち。人から好かれるようなタイプではない。

「べつに、私なんかを構っても、なにも面白いことなんてないよ」

「えっ、なに言ってるんですか。絶対楽しいですよ」

 私なんかといても楽しくない。そう否定しようとした言葉を飲みこむ。

 瀬川のくもりのないまっすぐな目が、私をとらえていた。

「楽しいに決まってるじゃないですか。だって、ハル君、女の子なのに男の子なんですよ。なかなかレアですよ、こんな頭の変わった人!」

「ね、ケンカ売ってる? 瀬川に頭の話はされたくないんだけど」

「え、え、えっ? 頭、すごいじゃないですか」

 不思議そうに私をのぞきこむ瀬川から察するに、どうやら「頭が変わっている」は彼女なりの褒め言葉であるらしい。

 私があきれた顔を見せると、瀬川は幸せそうに笑った。

「わたし、ハル君のこと好きです」

 唐突な一言。

 昨日も聞かされたのに心臓が強く打って、少しだけどほほにぬくもりが広がってしまう。

「……いやもう、そういう冗談はいいから」

「ホントですよ。はじめの授業でも、地味かわいい美少年だなあって見とれましたし」

「べつにかわいくない」

「かわいいんです! でも、そんなかわいい美少年が、よく見ればホントはこんなクール美少女だったなんて」

「べつに美少女じゃない。てか、こっち見ないで近い近い近いってば!」

「ふががっ……!」

 至近距離から観察してくる瀬川のほっぺたを両手でつかんで引きはがす。

「うーん、ハル君は美少女だと思うんですけどね。美少女じゃないとすると、そうですね……。ハル君は、すごくわたし好みです」

「な、なんだよ、それ……」

 言いよどんでしまう私を、満面の笑みで瀬川が見つめてくる。

「大学に入ったばっかりだったとき、わたし、友達ができるか不安だったんです。田舎育ちで、同級生も数えるぐらいしかいなかったから、あんまり普通の人づきあいって分からなくって。だから、最初の授業、いっぱいみんなに話しかけてたんです」

 その言葉に思い出す。

 初回の講義で会話の輪を広げていた瀬川に、どことなく必死さを感じていたが、それは不安だったからなんだろう。そして、その不安を超えて瀬川はまわりとどんどん親しくなっていった。

 やっぱり私と正反対の人間だ。

「そんなとき、教室のすみでハル君が、なんというか独特のオーラを放っていたのに気づいたんです」

「オーラって、目立たないようにしてただけよ」

「そう、地味なんです。地味で目立たない日陰にいるぼっちオーラ」

「ねえ、やっぱりケンカ売ってるよね。ねえ?」

「え、日陰にそっと咲くような感じの、地味かわいいってのがいいんですよ? 地味かわいいは、その、なんと言えばいいのかな……」

 瀬川は真剣な眼差しで私を見て、固めた拳を高々とあげた。

「地味かわいいは、つよい」

「……う、うん」

 本気、なのだろう。何度もうなずいていた。

「はじめて見たハル君は地味かわいかったんですけどね、それだけじゃなくて、すごく満ち足りてるように見えたんです。教室の一番すみっこで目立たずにいることがすごくうれしいって感じで」

 それは当たっている。

 男装をしていても視線が集中しないってことは、予想以上に幸せだった。

「みんな初対面で緊張して、私みたいに友達を作ろうと走り回ったり、一人でいる人も平気みたいなフリをしつつまわりをキョロキョロ見ていたり。そんな中でハル君だけは、自然体で満ち足りた強いぼっちだったんです。それがかっこいいな、って」

「……ほめてくれて、どうも」

「はい。地味かわいくて、しかもかっこよかったんです。見とれちゃいました」

 過去の光景を思い出しているのか、だらしなさすぎるほどに口元がゆるんでいく。

「それと、髪型も満足そうでしたね。なんども髪に触って、そこもかわいいなって。でっへへ」

 髪に、さわっていた?

 記憶にはない。

 けれど、瀬川の言葉はなぜか胸に引っかかる。

 私の髪は産まれたときからくりいろをしていた。目立つのが苦手なのに、学校生活の中で浮く明るい髪色。イヤな色だったけれど黒に染めるのもまた目立つ気がして、私は我慢することしかできなかった。

「……たしかに、うれしかったのかも」

 大学の教室は、高校までとは違って髪の色を染めている子が圧倒的に増えた。

 私の栗色が目立たないぐらい明るい茶色、それどころか金色も赤色だっていた。

 だから逆に瀬川のような目を奪われるほどつややかで長い黒髪が注目を集め、一方で私は周囲とまぎれることができた。

 そうだ、うれしかったんだ、私は。

 軽い驚きが身体を走る。

 自分の感情を他人から教えられるなんて、はじめてだ。

「ホントにかわいい髪型ですよ。あ、ちょっと触ってもいいで」

「ダメ」

 伸ばされた手を振り払いながら、つい笑みがこぼれそうになって――

 表情を消し去る。

「……瀬川って、すごい観察眼だね。顔とか態度とか、ぜんぜん出してないつもりだったのに」

「そうですか? 地元じゃ、ぼーっとしすぎって言われてましたよ。でも、気づけたのは、ハル君のこと、好きになったからだと思います」

 なんで、こんなに気持ちを口にしてくれるのだろう。

 気恥ずかしさに耐えられず、足下に目を落とす。

「べつに、私のことなんて、見たりなんてしなくていいから」

「いえ、見ちゃうんです。どうしても。わたし、やっぱりハル君が好きなんです」

 その言葉に顔を向けると、瀬川はみ切った瞳を私に向けていた。

 私は瀬川と対照的な、地味で暗い、孤独なぼっち。なのに、なんで。

「だから、もっとハル君と一緒にいたいなって思うんです」

 変なヤツ。こんなまっすぐな好意、他の誰からも向けられたことはない。

 瀬川は他の誰とも違う。

 そう認識しそうになる自分の心に気づいてしまった。

 だからこそ私は、冷たく言葉を吐いた。

「……あのさ、一緒にいたいって、迷惑なんだけど」

 平穏で静かな一人きりの生活を続けるか、多くの友達に囲まれる瀬川とともに過ごすか――そんなもの選ぶまでもない。

「こうやって話してるのも迷惑。さっきも私、一人になりたいって言ったでしょ」

「そ、そうですよね……」

 私はなにも言わず、なんの反応も出さずに、じっと瀬川を見る。

「ご、ごめんなさい」

「謝らなくてもいいよ。私、もう帰るから」

「……はい、ごめんなさい」

「だからいいって。それじゃあね」

 突き放すように言って、そのまま歩き出す。

 横を通り過ぎても瀬川は何も言わず、ただうつむいて唇をかみしめていた。

 本当に変なヤツ。だけど、どこまでも素直で優しい子。

 だから、私は手を硬く握りしめて、とどめを刺した。

「次は話しかけないでね。私、一人が好きだから」

 振り返らずに言葉を吐き捨てる。

 瀬川はきっとうつむいたままなんだろう。

 脳裏に浮かんでしまったその姿が、廊下に進めた足をひどく重くする。

 やっぱり私は瀬川が嫌いだ。

 ただ話すだけで、こんなにも胸が痛くて痛くてたまらない。


   ***

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