第一話(3)

 後ろについてくる瀬川とともに入った三階フロアは、半分が私たちの入れない倉庫と事務所、残り半分が音楽ゲームのスペースだ。

 このゲームセンターは音ゲーに力を入れていて、人気ゲームは複数台、マイナーなゲームもあらかたもうしてくれている。

 音ゲーと一言でいっても種類は様々だ。

 ダンスゲー、楽器演奏ゲー、ボタン押しゲー、最近だとスマホが普及したせいか画面やパネルをタッチするゲームが増えてきている。あと、通い慣れていない人がギョッとするのは、

「あ、あれも、ゲームなんですか?」

 瀬川が驚きの目を向けたのはとあるダンスゲーム。

 ダンスする人の動きをモーションセンサーで捉え、その動きの正確さが判定されるゲームで、はたからは音楽に合わせて自由に踊っているだけにも見える。

「うん、ダンスゲーム。やりたい?」

「え、と、とんでもないです! わたし、踊るのって苦手で、えっと、こんな感じで」

 たぶん瀬川の中ではダンスなのだろう。「よっ、ほっ、はっ」と仮面ライダーの変身ポーズとしか呼べないものを連続で決めている。べつに見せなくてもいいよと言いかけたけど面白いので眺めておいた。お、まだ続けてる。

 このゲームにしろ他のゲームにしろ、ゲームセンターにある音楽ゲームは、たいてい家ではできないような大きな機械を使ってプレイする。その大きさが魅力で、だから私はこういうゲーセンに通ってしまう。

 自分よりも巨大な機械と向き合ってプレイする。たまには観客が見ていることもあるけど、そんなのはゲーム機にヘッドホンをつないで無視しておく。音楽と映像に集中してプレイに没頭すれば、向かい合う機械が巨大な分、あっという間に自分の世界へ入れるのだ。

「じゃあ、どんなのがいい――」

「ハル君がしているのがいいです」

 こっちが最後まで言い切るより早く、きっぱり言い切られた。

 私が好んでプレイするのは、リズムに合わせてボタンを叩いていくもの。

 幼い頃にネネ姉からもらったゲームもこのタイプで、大きなボタンがついたコントローラーをモグラ叩きのようにビシバシ打ち鳴らしていたのを覚えている。

 そんなボタン叩きゲーの中でもまだいろいろな種類があるんだけど、

「……じゃあ、これかな」

 私が今プレイ中なのは「アニメ・ミュージック・フェスティバル」、通称「アニフェス」である。

 このアニフェスは、だれもが知っているなつかしアニメから、よくこんなのまで入れたなと感心するマイナーアニメまで、古今東西のアニソンを大量に集めた音ゲーである。

 ミスをせずにうまくコンボをつなげていくと、ゲーム画面にアニメの名場面が「坊やだからさ」などと流れたり、かわいらしい3Dキャラがダンスを披露してくれたりなど、多彩な演出で今や人気絶頂のゲームである。

「瀬川って、アニメとか見る?」

「そうですね、季節ごとに五番組ぐらい見る感じですかね」

「へえ、一緒だね。私もそんな感じ」

 その言葉に瀬川は、「一緒ですね」とだらしない笑みを浮かべた。なにがそんなにうれしいのか。

「それぐらい見るなら、このゲームも大丈夫かな」

「分かりました! やってみますね」

 瀬川はなぜか得意げに胸を叩きつつ、弾むような足取りでゲームに向かう。

 アニフェスの台は、プレイヤーの目の前に巨大モニタが配置され、その下には大きなボタンが四つ、ちょうど左右の手で二つずつ叩けるように並べられている。

 瀬川はしなやかな指をボタンにわせ、リズムよく何度か弾いた。

「ふーん、なんかすごい自信だね」

「え、な、なんで分かったんです? エスパーですか?」

「……まあ、なんとなく。もしかして、ピアノとか弾いてた?」

「エッ、エスパーッ!?」

 得意満面の表情はだれでも分かるが、ピアノの方はカン、というか推測だ。

 音楽ゲームをしたことがないのにもかかわらず自信があるのだったら、なにか両手を動かす音楽の経験者、よくあるところでピアノかな――なんて連想がたまたま当たっただけだ。

 が、しかし、瀬川は警戒するような、じとーっとした瞳でこちらを見ていた。

 そしてなぜか、ほんのかすかに口をもごもご動かしだす。

 おそらく、「ハル君、ハル君、わたしの声が聞こえますか?」とかなんとか心につぶやいて、私の反応を見ようとしているんだろう。唇がそんな形で動いてるし。

 変な誤解をされても困るので、「どうかしたの?」と聞いておくと、瀬川は疑い深くこちらをしばらく見てから、やがて大きくうなずいた。

「えへへ、何でもないですよ。さすがに聞こえたりはしませんね」

「うん、心の声なんか聞こえてないって。ほら、やってみようよ」

「心の声……? え? えっ?」

「いいからやろうよ。やりたくないの?」

「あ、はい、やりたいです!」

 背中を押して瀬川をむりやりゲームの前に立たせる。

 ピアノ経験者と分かって興味がわいたのだ。

 私は今まで楽器をまともに練習したことがない。譜面だって学校で習った以上には読めないし、もうほとんど読み方も忘れている。そんな私のプレイと、ピアノが弾ける瀬川のプレイはどう違うのだろうか。

「……ねえ、瀬川。ピアノってどれだけ弾けるの?」

 コインを投入口に入れてチュートリアル画面を読み進める瀬川の背中に問いかける。

「よく分かんないですけど、町ではだれにも負けませんでしたよ」

 思わず身体が小さく震えた。

 はじめて聴くような声音。振り返らずに応えた瀬川の声には、自信なんて言葉では足りない、誇りとでも呼ぶべき強く静かな響きがあった。

「中二の時、コンクールでも金賞もらいましたし」

 その言葉と同時に、ゲーム初回に流れるチュートリアルが終了し、ゲームの本編がスタートする。

 最初の一曲目はだれもが知っている国民的アニメのテーマ曲。

 気持ちを整えるように息を大きく吸う瀬川。

 長く黒いまつげ、淡い桜色の唇、ほどよい白さのほほ。

 見つめたその可憐な横顔から、怖ろしいまでの集中力が伝わり、私は呼吸を忘れていた。

 何かが起こる。

 そんな不思議な予感が胸を埋めつくし、そして、瀬川のプレイが始まった。


「……まさかここまでとは、ね」

 私の言葉に、瀬川はなにも応えられなかった。

 ただ無言で呆然と得点結果を眺めている。

 そこには堂々と輝くゼロの文字。

 十点満点でも百点満点でも千点満点でも一万点満点でもない。十万点満点中ゼロ。

 まぐれ当たりすら一つもなかった。ある意味特殊能力の持ち主かと疑いたくなる。

 瀬川のプレイはただひたすらにトロかった。ゲームシステムは、画面に表示されるタイミングと同時にボタンを押すだけという単純なものなのだが、瀬川はタイミング表示を見てから、「はいっ」「ほあっ」「てぇっ」と声をあげ、そのあとでゆっくりボタンを叩いていた。

「あの、その、賞なんて小さなコンクールのをたまたま取れただけで、えっとその、ピアノも中二でやめちゃったし、その、その、ごめんなさい……」

 声がどんどんと沈みこみ、最後には聞き取るのもやっとの音量になってしまう。たかだかゲームのワンプレイだったのに相当ショックだったらしい。

「ゲームだったらできるって思った?」

 私の言葉にハッと顔を向ける瀬川。当たっていたんだろう。

「……ごめんなさい」

「ううん、謝ることじゃなくって、ゲームだから逆にむずかしいって話。実物じゃないゲームだから、タイミングをつかみづらいんだよ。でも、それに慣れたら大丈夫。瀬川ならきっとうまくやれるって」

 予想以上に落ちこんでしまった瀬川をはげますように、背中をポンと叩く。

「ほら、まだゲームオーバーじゃないからさ」

 最近の音楽ゲームはたいてい一度ステージクリアに失敗しても、もう一回遊べるようになっている。

「今度はさ、叩く瞬間だけ、タイミングの表示を見ないってのはどうかな」

「え、でも、見なかったら、どこで叩くか分からないですよ」

「叩く瞬間だけだって。たぶん目に入る情報に引っ張られて遅れているんだと思う。だから、叩く瞬間だけ音に頼って叩いてみて」

 瀬川のプレイを見ている間、私の中に疑問がわきあがっていた。

 音楽ゲームと実際のゲームは違う。ピアノ経験者の瀬川もプレイに苦戦する。

 でも、どこがどう違うのか。どうすればその違いを克服できるのか。

 悪いクセだ。いったん気になると頭から離れない。

「そろそろ次の曲はじまるよ。これ、知ってる?」

 初回プレイモードの二曲目は、二年ほど前に大ブームを巻き起こした日常系アニメの主題歌。

 さっきの失敗を引きずる瀬川は不安げな顔をしながら小さくうなずく。

「知ってます。けっこうファンです」

 私もファン、という一言は口にせず、「じゃ、がんばって」と背中に手を当てる。

 楽曲スタートのハデな演出とともに流れ出す音楽。開幕はいきなりサビのメロディからだ。

 画面の中でぴょんぴょんとおどるキャラ。それとともに現れた、「タン、タン」と打つタイミングの予告マーク。出現したマークには時計の針がついていて、それが真上を指す瞬間にボタンを押せば成功だ。

 気合いをこめ、目を閉じた瀬川は――やっぱり遅れて叩いてミス。

「あ、あぁ……」

 弱々しく声をこぼす瀬川の、その耳のそばに顔を近づけ、私は流れる歌を口ずさんだ。

 恥ずかしいのでもちろん小声。

 そうして歌いながら、背中に当てた手で音楽のリズムを刻む。

「えっ、えぇっ……!」

 あまり照れないでほしい。こっちまで照れてくる。

 顔を近づけた瀬川のつややかな黒髪からは、ほんのかすかに甘い石けんの香りがして、なぜかすこし胸の鼓動が速くなってしまう。

「画面見て」

 目の前にまたも現れた「タン、タン」のタイミング。

 合わせて背中を「ぽん、ぽん」と打つ。

 瀬川は私が顔を寄せていることに動揺したままで、ボタンを叩けずにミスになる。

 けれど、その直後、「分かった!」とでも言うように激しく首を縦に振った。

 そして瀬川も音楽にあわせて小さく歌い出す。

 二人してなにをしているのかと思うけど、今はまわりに誰もいない。

 私も歌を続け、背中に回した手でリズムを刻み、そして現れたのは「タン、タタン」のリズム。

 すんだ声で歌いながら瀬川は目を閉じ、リズムを――タン、タタン――刻む。

 再び開かれた瀬川の瞳には、それが映っただろう。

 画面には「3COMBO」の文字が輝いていた。

「おっ、おおぅー!」

 目を輝かせて両手を高く挙げる瀬川に、私はどうしてもこらえきれなかった。

「ほらほら、つづきつづき」

 たった一回の成功でゲームをすべてクリアしたかのように喜ぶ瀬川に、ほほがゆるんでしまう。

 笑顔に慣れてないから、瀬川に見られないよう背後でこっそりとだけど。

 そこからのプレイは、完璧とまでは言わないものの、見違えるようなものになっていった。

 要はリズムの認識だ。ゲーム画面の表示を、自分の中でリズムとして認識し直す。それができればあとはその通りに手を動かすだけなのだ。

 初回プレイの最後となる三曲目も、日本人の大半が知るようなアニメソングで、これも無難にクリアしていく。

「どうですー! わたしだってやればできるんですからね!」

「これ、普通だと苦戦すらしない初回体験用モードだからね」

 あきれた声で言うと、「そ、そうでしたね……」と喜んで跳ねる寸前の軽く膝を曲げたポーズで固まった。

「で、では、ハル君。本物を、本物をわたしに見せてください!」

「イヤ」

「即答っ!?」

 絶対イヤだ。私のことを知っている人間にプレイは見せたくない。

 見ず知らずの人間なら、ヘッドホンを付けて外部音声を消し、ゲームに没頭していれば存在丸ごと無視できる。プレイ後さっさと台を離れれば、女の子っぽい服装をしていないかぎり話しかけられることもない。

 だけど、知り合いならそうもいかない。ネネ姉が見るのですら断固拒否である。

「私、ゲームは一人で集中してしたいんだ」

「そ、そうですか。それなら、仕方ないですね」

 残念そうな顔を見せはしたが、すぐに笑顔をこちらに向ける瀬川。

 ため息が出る。見たい見たいとワガママを言ってくれた方がはるかに楽だ。

「……一回だけだから」

「い、いいんですか?」

「本気プレイじゃなくて、見本だから。瀬川がリズムをつかむための見本。それならいいよ」

 ゲーム機にカードをかざし、プレイを開始する。

「それ、なんですか?」

「IDカード。ほら、そこに売ってるヤツ。これでハイスコアを記録したり、カードにライバルを登録して競争したりできる――」

 言い終わらないうちに、瀬川は側にあるカード販売機に小銭を投入していた。

「わたしとライバルになってください!」

 満面の笑みでカードを差し出す瀬川。

 おそらくその脳内には、「ライバルと書いて友と読む!」とかなんとかの熱血少年マンガ的なセリフが浮かんでいるんだろう。燃え上がる瞳からけて見える。

 迷ったがいちいち拒否するのも疲れそうだったので、ボタンを叩いてライバル登録画面を呼び出し、瀬川のカードをセンサーにかざす。ゲーム仲間もいないし、ライバル機能を使ったことがないから興味があったってのもある。

 ピコンという軽快な効果音とともに画面に現れたのは、「ライバルともだち登録!」との表示。なんだそのネーミング、って、うわ、瀬川の目が発光しそうなほどキラキラ輝いているし。無視だ、無視。

「これで、このカードはどうすれば……!?」

 鼻息をむふーと吹き出しながら、瀬川は宝物を手に入れたゲームキャラのようにカードを両手で天にかかげる。レアアイテム入手の効果音が聞こえてきそうだ。

「買ったばかりで未登録だし、次のプレイでカードに名前を登録して。そうすれば、ネット上でお互いのデータが見られるから」

「はい! ハル君とうららのハルうららコンビの誕生ですね!」

「どの曲の見本が見たい?」

 コンビ誕生は目も合わせずに流したが、瀬川は大喜びのままで画面を指さす。

「これ好きなんですけど、いいですか」

 うなずいて曲選択を行う。

 それは私も好きな、のんびりおだやかな田舎で暮らす少女たちを描いたアニメ。都会では味わえない豊かな自然の描写が心を打つ作品――

「見慣れた風景で共感できるんですー」

「うん、田舎育ちだもんね」

 なごやかなイントロが始まり、リズムマーカーが画面に表示される。

 瀬川がさっきプレイしたのはイージーモードで、これは見本としてもう一段階上のノーマルモードを選んだ。一段階上と言っても私にとっては退屈なほど簡単で、あっさりとノーミスのパーフェクトコンボを叩き出す。

 こういうプレイをゲームを知らない人が見たときの反応は、心優しい人ならば「すごい」、心素直な人ならば「キモい」だ。

 ガチプレイになれば自分でも気持ち悪いと思えてしまうほどの速度で手を動かすから、どん引きするのも無理はないだろう。クラスメイトをはじめて家に呼んだ小学三年生の私も、楽しんでもらおうと全力プレイを見せたら、周囲全員の目が――いや、やっぱり思い出すのは止めておこう。

 イヤな気分を覚えつつ振り返ると、瀬川がゆっくりと口を開いた。

「ハル君、お願いがあります」

 感心するのでもなく、気味悪がるのでもない、真剣な声。

「本気のプレイを見せてもらえませんか」

「……本気って?」

「そうですね、えっと、クリアできるけれど、ところどころミスをするような曲、ってどうですか」

 やけに具体的な注文に気づく。瀬川の眼差しは私でなく、ひたすら画面に向けられていた。

「どうかした?」

「なにか、分かりそうなんですけど、うまく言えなくて……」

 その言葉に、黙ってうなずく。

 悪いクセだ。瀬川がなにを思いつくのか。それが気になったから。

 そして同時に、ただじっと画面を見つめる瀬川の真剣さに気づいたから。

 選ぶのは、ハードモードのさらに一つ上のエクストリームモード。

 十年以上前のSFアクションアニメのメインテーマで、激しい連打と正確なリズム把握が要求される楽曲。

 肩にかけたままだったショルダーバッグを置き、ヘッドホンを接続する。

 瀬川も音を聴けるように外部スピーカーはオンのまま。タイミング表示の速度に微調整を加えて精神を集中する。

 音ゲーは究極的に言えば、決められたタイミングでボタンを押すだけのゲーム。

 プレイではただ、機械になることを目指せばいい。

 華やかな演出とともにゲームがスタートし、直後から容赦のないとうの連打が求められる。

 リズムマーカーが現れて叩く、現れて叩く、現れて叩く。

 開幕から五十秒は休みなし。そこから十五秒ほどスローテンポで、あとは最後まで叩き続ける。

 認識の限界を超越した速度で、無意識に半ば踏みこみながら、腕と手と指を動かし続けて。

 そうして、ふっと気づくのだ。

 世界には私とゲームしかないことに。

 目に映るのは画面だけ、耳に届くのは音楽だけの、私とゲームの孤独な世界――

 なんて、まあ、そんなのただの妄想だ。

 集中で意識が外に向かわないことを、脳が大げさに知覚しているだけなんだろう。

 だけど私は、ただの妄想であっても、この瞬間がたまらなく好きだ。


「……こんなものかな」

 中盤の連打部分でうまく手が動かず、数回ミスをしたが自己ベストに近い記録だ。

 ヘッドホンを取りながら、そのときゆっくりと瀬川が後ろにいることを思い出す。

 だれかが一緒にいるのに、ここまで没頭できたのははじめてだ。

 それはきっと、瀬川もゲームを見ることに集中していてくれたからだと思う。

「どうだった?」

 リザルト画面を見つめ続ける瀬川に声を掛ける。

「……分かりました。これ、太鼓ですね」

「あー、それは分かる。打楽器だよね」

 瀬川の言葉に軽くうなずく。

 リズムに合わせてポンポンとボタンを打っていると打楽器を叩いているような気分になるのだ。そのものズバリの太鼓を叩くゲームだってある。

「まあ、現実のゲームだし、決められたリズムしか叩けない太鼓だけどね」

「そうなんです。だから、これ、わたしの村の、祭り太鼓と同じなんです」

 祭り太鼓。聞き慣れない単語だ。

 なんだろうと考えた私の心を読んだように、瀬川が言葉を重ねた。

「えっと、わたしの村でお祭りのとき、ずっと鳴らすんです。祭りばやにあわせて叩くんですけど、決まったリズムを何度も繰り返すんです。あれに似てるなって」

 なんとなく分かった。

 私の知っているところで言うなら、祇園祭のコンチキチンだ。ああいうおはやだと似たフレーズが何度も何度も繰り返し聞こえてくる。

「ハル君は、本気で叩いてるとき、不思議な気分になったりしませんか?」

「……不思議な、気分?」

「えっと、祭り太鼓を叩き続けると、なるらしいんです。頭がいつもの暮らしから離れていって、お祭りだけに向かっていくって感じに。それをわたしの村だと、神が降りてくる、なんていうんですよ」

「それは、ちょっと分かるかも。そういうの、トランス状態って言ったっけ……」

 プレイ中のあの不思議な没入感と、祭り囃子を鳴らし続ける太鼓のつながり。

「やっぱり! じゃ、うまく叩けるようになったら、お祭り気分になれるかもですね!」

 晴れやかに笑う瀬川に、すぐに応えることができなかった。

 私とゲームだけの孤独な世界。

 祭りの中で迎えるトランス状態。

 頭の中で二つのイメージが混ざり合ってすぐに言葉が出てこない。

 瀬川にとってはただ思いついただけの連想なんだろう。

 だけど、心のどこか深いところに響いてしまう。

「……自分だけじゃ、考えもしなかったな」

 思わず独り言がもれ、ごまかすようにヘッドホンを付け直して画面に向かう。

 適当にはじめた三曲目は、どうしても集中できなかった。

 瀬川に見られていることが意識から外せなくて。

 それと同時に、そんな状況に陥っている、甘すぎた自分への嫌悪感がうずまいて。

 ――私は、独りでいるんじゃなかったのか。

 不快な感触に胸の奥をなでられるような気持ち悪さが、じわりと広がっていた。


「わたしも、ハル君みたいにダダダダっていっぱい叩きたいです」

 ゲームを終えると待っていたのは瀬川の笑顔。私はそこから視線をそらす。

「え、どうかしましたか?」

「いや、べつに……。途中で連続して失敗したのが気になって」

「途中って、少しずつ少しずつテンポが前のめりになってたとこですね」

 気づいてなかった。そういえばあせって早くなっていたかも――って、まただ。

 また気づいていなかったことを瀬川に教えられてしまう。

「そうかな。じゃあ、次は瀬川の番」

 こみ上げる不快感を押し隠して言い、瀬川を台にうながす。

 早く終わらせて帰ろう。帰ればもうあとはフェイドアウトしておしまい。

 今日が終われば瀬川とは大学ですれ違うだけの関係になり、やがていつかは気にもしなくなる。

 私はバカだ。はじめからそうするべきだったのだ。

「は、はい。がんばりますね……お、おぅ?」

 ゲーム機の前に歩き出した瀬川は奇妙な声を発しつつポケットから携帯電話を取り出す。

「大学の子から電話だ……。えっと、これ、どうやって出るんだっけ」

 スマートフォンに慣れていないのか、首をかしげながら画面を指で叩く瀬川。

「ここじゃうるさいから、静かなとこで話した方が――」

 そう口にするのと同時に頭の中でなにかが引っかかり、とっさに瀬川の腕をつかんでいた。

「――やっぱり電話に出ないで」

 高速で回った自らの思考を、ゆっくりと整理し直す。

 通話すれば相手にこのけんそうが届き、瀬川はそれがゲーセンにいるせいだと説明するだろう。そのとき瀬川は私と一緒にいることを言ってしまうんじゃないだろうか。ごまかしてくれるにしても、瀬川がうまく話せるとは思えない。

「……うるさいからさ、外に出ないと話ができないと思うよ」

「あ、そうなんですね」

「じゃあ、まあいいタイミングだし、今日はこれで終わりってことにしようか」

「えっ!? もう終わり、ですか……?」

 なんの感慨もないような軽い口調で言う私に、瀬川は目を見開いたが、

「……はい、そうですね。今日は、一緒に、一緒に遊んでくれて、ありがとうございました!」

 すぐに満面の笑みを見せる。思いをこらえるように手を握りしめたまま。

 私はカバンを肩にかけ直して背を向ける。

「じゃあまたね」

 視界に入った震えた手に耐えきれず、すぐに歩き出す。

「はい、それじゃあ――」

 途切れた言葉。けっして振り向きはしない。

 これで終わり。またの機会なんてもう来ない。

 足早に進み、階段へ向かう私の――

「……待って」

 私のそでが弱々しく引かれた。

「また、遊べますよね……?」

 いつかきっとね。そうごまかせばいい。

 瀬川ならきっと、その「きっと」を信じようとしてくれる。

 そしてきっと、長い間ずっと信じ続けてしまうのだろう。

 ごまかしの言葉を出せないまま必死に思考を巡らせ、ゆっくりと振り返る。

 向けられていた今にも泣き出しそうな瞳。決意をこめてそれを見つめ返す。

「ねえ、私がこんな風に男の子っぽい服を着てる理由を知りたい?」

「……え、理由ですか?」

 とうとつな質問に、瀬川は首をかしげたが、すぐにまっすぐな視線を向けた。

「それは、知りたいです。わたし、ハル君のこともっと知りたいです」

「――あのさ」

 予想通りの瀬川の言葉に、できうるかぎりの冷たい声音を吐く。

「それが迷惑なんだよ」

 傷つけたかった。

 傷つけて、どうかもう私なんかに興味を持たないようになってほしい。

「私は独りになりたい。心を誰かに踏みこまれたくない。これまでもさ、なんでそんなかつこうしてるのってイヤになるぐらい聞かれた。そういうの本当に迷惑なんだ」

「わたし、ハル君が迷惑なら聞こうなんて思いません!」

「でも、さっき聞きたいって言ったよね。聞きたいって気持ちはあるんだよね」

 聞きたいかどうか尋ねたのは、この言葉に誘導するためのワナ。

 狙い通りにかかってくれた瀬川はなにも言えずに黙ってしまう。

 ただ、どうしてこんな話題をワナとして使ったのか、それが自分でも分からない。

「それに瀬川が聞いてこなくても、瀬川と一緒にいればまわりの誰かは聞いてくるんだよ。私はそれがすごくイヤなんだ。好きなかつこうをしているだけなのにさ」

 男の子っぽい服装は好きだ。でも、好きってだけが理由じゃない。

 私が男の子のかつこうを始めた、友達なんて作らないと決めた、あの遠い日の記憶。

 なんでこんな話を切り出してしまったのか。

 脳内に浮かんでくる過去に吐き気がこみ上げて、その不快さの分だけ、冷淡な声音を投げつける。

「だから私、独りでいたんだ。分かる? 瀬川が一緒にいると迷惑なの」

 瀬川は何かを言葉にしようとして、それができずに、ただわずかに唇を震わせた。

「やっぱり、さっきのは取消し。これでおしまい。また、なんて二度とないから」

 冷ややかに言い切って背を向ける。

「……それでも、わ、わたし」

 今度はもう振り返らない。言葉も出さずに階段を降りる。

「わたし、すごくたのし、かったですっ! ハル君といると、すごく、楽しくてっ」

「私はちっとも――」

 楽しくなかった。だめ押しのその言葉が、どうしても出てこなかった。

 足下を見つめ、階段を降りる。

 胸の奥をこみ上げてくるなにかをこらえながら。

「もう二度と関わらないで」


   *


 ベッドに倒れこんだあと、動くことすらできなかった。

 カバンを放り出し、服も着替えず、うつぶせでじっと固まる。

 やっぱり独りがいい。誰かといるとこんなにも疲れてしまう。

 私の住む部屋はさっきまでいたゲーセンと同じアーケードの中にあった。一階と二階のテナントを服飾のチェーン店に貸している商業用ビルで、その三階に私とネネ姉の部屋がある。

 ベッドの横にある窓は繁華街のアーケードを見下ろせる位置にあり、今は午後四時過ぎの陽光が淡く差しこんでいた。

 ――七尾さんは、もうちょっとがんばって、社交的になりましょうね。

 明かりをつけるべきだった。

 暗い部屋に独りでいると不快な記憶がよみがえってくる。

 あれは、高校三年生の夏の進路相談。

 それまで一度も話したことのない担任がうわつらだけの言葉を投げてよこし、私はただ「分かりました」と「がんばります」をランダムに返すという、無意味きわまりない時間。

 ――大人になると分かるけど、人づきあいって大事なの。

 はい、そうですね。がんばります。分かりました。がんばります。

 そう答えていたあのときの私は、もうすでに必死で努力していたつもりだ。

 中学三年の春から、私は「独りで完結できる人間」を目指して両親の仕事を手伝いはじめていた。

 我が家は代々不動産管理を行っており、そこで十四歳の時から四年あまり経理事務を中心とした業務を学ばせてもらっていた。実家から離れた今も、ネットを通して事務処理を担当していている。

 ちなみにこの商業ビルも我が家が権利を有する物件であり、私はここで大家としての仕事も受け持っている。

 大家と言っても企業相手のテナント貸しなので、やることは事務手続ばかりだけど。

 ――社会に出ればね、コミュニケーション能力が必要なの。

 はい、そうですね。がんばります。でもさ、誰がそんなことを決めたの?

 事務的なやり取りだけで利潤を獲得できる仕事は現実にある。

 我が家の業務だって、営業活動が必要な部分もあれば、ネット上の簡潔な手続だけですむ部分もある。仕事も生き方もいろいろじゃないのか?

 もちろん、まだ十八歳になったばかりの私が語れるほど社会は甘くないんだろう。

 簿記会計の検定試験なら最上位まで受かっているけど、あくまでそれは検定試験。なにか国家資格を保有しているわけではない。普通の大学生よりは実務の経験もあるつもりだけど、それでずっと食べていける保証なんてありはしない。

 それでも私は、必死でがんばってきたんだ。だから、

 ――独りじゃね、社会人としてやっていけないの。分かるかしら。

 そんなの分かって、分かってたまるか!

 私は、独りを目指してここまできた。

 そして、これからもずっと……。


 目を開けて最初に認識したのは、窓の外に太陽の光がないということだった。

 暗い視界の隅に青色の小さな光が点滅している。

 メールの着信表示。どうやら携帯にメールが届き、その振動音で起きたらしい。

 ってことはつまり、私はいつの間にか眠っていたのか。

 イヤな夢を見た気がするけれど、なにも覚えていない。

 わずかに残っているのは、砂を奥歯で噛みしめたときのような不快感だけ。

 カバンからこぼれていた携帯を寝転がったまま拾うと、画面の時刻は午後八時十二分を表示していた。

 メールはネネ姉からで、『晩ご飯はカレーが食べたい』とのこと。

 仕事は十時に終わるはずだから作ろうと思えば作れるが、今日は食材をなにも買っていない。とりあえず、『カップ麺・カレー味』とだけ書いて送信した。

 その三秒後、電話が鳴ったので取ると、

「ハルちゃんー、冷たいよー、ひどいよー。ちゃんとしたご飯たべ」

 切った。

 ひどいよーの声がよろこびに満ちあふれていて気持ち悪い。あと息づかいも。

 ネネ姉は無敵だ。温かくもてなしても喜ぶし、冷たくあしらっても悦ぶ。おそらく今も大悦びだろう。

 ベッドから起き上がって部屋の明かりをつけた私は、とりあえず手を付けられていなかった仕事をしようと部屋の隅のデスクに向かった。

 スチール製のビジネスデスクに機能性重視のシステムチェア。我ながら十八歳女子大生の部屋とは思えない事務的な部屋で、そこが私は気に入っている。

 デスクトップのパソコンを起動しつつ、同時にアームスタンドに固定したタブレット端末でデータをダウンロードする。

 実家で連続スキャンされた領収書や請求書等の画像データ。これらを見ながらデスクトップの会計ソフトでデータ入力を行うのだが、この作業にタブレットを併用すれば便利だと気づいたのは、高校一年生のときだ。

 入力が終われば次はチェック作業。

 データを打ちこんでいる間に、パソコン上では画像データの文字認識が自動で行われていて、入力を完了させるとすぐに自動照合でミスがないかが確認されるシステムを組んでいる。これが第一のチェック。

 そして、第二のチェックは入力完了したデータの目視での確認だ。

 チェックは油断せず念入りに。それが四年間の業務でイヤと言うほど理解した教訓だ。どれだけ完璧にしたと思っても、第一では一週間に一度、第二では三カ月に一度の割合で思わぬミスが見つかる。

 あとは税理士の先生が短時間でチェックできるようにデータを整理して終わり。

 こうしたチェックと整理を丁寧にすることで顧問料が十万円単位で変わってくるのだ。

 これが私の基本的な仕事で、だいたい一時間もかからないうちに片がつく。

 楽な作業ではあるが、このシステムを構築するまでかかった苦労を思えば、給料をもらってもいい仕事はしていると思いたい。

 作業を終えたとの報告メールを実家の事務所に送り、仕事のために開いていたウィンドウをすべて閉じ、そして、自然とため息がこぼれる。

 ぽっかりと時間が空いてしまった。

 ネネ姉が帰ってくるまであと一時間近くはある。

 ご飯を食べようかとも思ったけど、寝ていたせいか空腹感がない。

 せっかくだし帰りを待って一緒にカレーを食べに行けばいいか。

「さて、それまでどうしようかな……」

 静かな部屋に独り言がやけに響き、それが消えた後は、ただ無音が広がっていた。

 独りは好きだけど、することもなく独りでいるのは苦手だ。余計なことばかり考えてしまう。

 ネットでも眺めるかと画面に目を向けたとき、パソコンの壁紙が目に入った。

 それはネネ姉からもらったクマ画像の壁紙。あのゲーセンのマスコットだ。

「……終わらせないとな」

 無意識にもれたつぶやきが、ふっと響いて、消える。

 マウスを操作してネットに接続し、瀬川と遊んだゲームの公式ページに向かう。

 開いたのは、ライバル登録解除のページ。

 私のカード番号を入力すると、そこにはたった一つだけ「うらら」の文字。

 瀬川うらら。もう学校ですれ違うだけの、ただの他人。

「……おしまい、だってば」

 小さく息を吸い、「うらら」の文字の横にある削除ボタンを――クリックする。

 データがネット上へ転送され、少しの間を置いてから現れる最終確認の画面。


本当に「うらら」さんと、おわかれしますか?

       はい/いいえ


 浮かび上がった文字を、気づけば、ただ見つめ続けていた。

 もう、なにも考えるな。

 眼前の文字に思考が向かわないよう、奥歯をかみしめながら機械的に手を動かす。

 マウスカーソルを「はい」の表示へ合わせて――

 そのとき、ようやく気づいた。

「……うららって登録したの、いつだ?」

 ふっとわき上がった疑問。

 私と一緒にいたときは、カードを買ったばかりでまだ名前を登録していなかった。

 だとすると、これは私と別れた後。

 つまり、あの後、瀬川はゲームをプレイして名前を登録した。

 マウスを操作して画面を切り替え、ライバルともだちの情報ページへ飛ぶ。

 そこに表示される情報は、プレイした各曲のハイスコア、ライバルとの点数差、最後にプレイした場所と時間。

 瀬川はあれから何曲もプレイしていたようで、その最終プレイ時間は――

 私は顔を上げて、壁に掛けられた時計を見る。

 最終プレイ時間は、二分前。


 息が止まった。

 心臓が理由もなく鼓動を打ち鳴らし、勝手に身体が立ち上がっていた。

「なんで、そこにいるんだよ……。もう、おしまいなのに!」

 今まで味わったこともない感情のかたまりが胸の奥で暴れる。

 動転して、なに一つ考えがまとまらぬまま、私は部屋を飛び出した。

 なにも、なにも分からない。

 瀬川がどうしてまだそこにいるのか。

 そこに向かって私はどうしたいのか。

 人の少なくなったアーケード通りを全力で駆ける。

 走り慣れていないからすぐ息が切れる。脇腹に痛みが走る。

 それでも足が止まらない。少しでも早く瀬川の元にたどり着きたかった。

 胸の奥からこみ上げてくる感情に整理はつかないけれど、一つだけは決めた。

 今度こそ、ちゃんと終わらせる。

 目の奥には、さっき見つめていた最終確認の画面が焼きついて残っていた。


   ***

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