第18話 神様の助言

 集まった野次馬はざわざわと騒ぎ始めている。ミシュリーら三人がボロボロで、校長であるギスランもふらふらとしていて、さらには見かけない人物が空を見て吠えたのだから、無理もない。

 数分、時が流れた。カイリはありとあらゆる感情を心のうちに押し込めた。もはや、過去を悔やんだところで見える道などありはしない。


「ギスラン、一度俺は『あの方』に伝えてくる。エラーが自我と個体を持った時点で、俺の手に負えるものではなかったんだ」


 体を起こすことがやっとな程弱まっているギスランは、小さく頷いた。


「それがいい。あと、この生徒たちの記憶もどうにかしてもらってくれ。あんなものを見られたら、説明しようがない」


 記憶消去の鍵はどうやら一度きりしか使えないらしく、エラーに吸い取られた以降はただの鉄くずと化してしまっていた。ポケットの中でその事実を確認し、カイリはため息をついた。

 野次馬の面前であることをお構いなしに、カイリは神の魔法陣……生命の樹(セフィロト)を展開した。記憶消去を行うような大きいものではなく、手のひらと同じ大きさぐらいの小さな陣。カイリはこれを使って神様と交信しようとしていた。

 しかし、いざその術式を発動しようとすると腕が振るえてしまった。

 ――神様は、自分の失態を許してくれるだろうか?

 ――自分を、見放したりしないだろうか?

 カイリは怖かった。最後の頼りである神にまで裏切られることが。このまま立ち止まっていいわけがない。まだ何らかの策を講じられる可能性だって、神様をもってすれば他愛のないことかもしれない。


「けれど……」


「あら、何か私に話があるのではなかったのですか?」


 瑠璃色の髪が宙を舞う。

 カイリはすぐさま振り向き、膝を地に付けた。ギスランも同様に、だ。顔を見ずともわかる。この圧倒的な存在感を放つ者は一人しかいない。

 その方を、神遣いは『神様』と呼ぶ。


「あらあら、律儀にどうも」


 神様らしくない相変わらずの返しだったが、カイリの表情から強張りは取れない。


「え、と、なにこれ……」

「夢……なのかしら?」

「現実、とは思いたくないなー」


 聞こえるはずのない三人の声。カイリはハッと顔を上げた。ミシュリー、アンリエト、レティシアの三人が身を寄せて立っていた。それ以外の野次馬は、まるで写真のようにぴたりと静止していた。


「現実ですよ。単に、あなた方と私、そして神遣い以外の『時を止めた』だけです。厳密には違うのですが、その理論に関しては話が長くなるので、問いたださないようお願いしますね」


 神であろう方が、自ら人間に話しかけた。三人は一斉に神様へと視線を送る。


「誰?」


 アンリエトの問いとともに、三人は警戒の念を神様に向けた。


「いえいえ、私は怪しいものではありませんよ」


 カイリは不思議に思った。野次馬を止めたのは、神様の姿を見られたくないため。なのに、何故ミシュリーらの時は停止しないのか?


「挨拶が遅れました。初めまして、ミシュリーさん。アンリエトさん。レティシアさん。私の名前は『鳳耶(ほうか)』。カイリ=ロイスウェル、そしてギスラン=ラフォルジュの上司的存在です。この度は色々と事件に巻き込んでしまい、申し訳ありませんでした」

「ちょ、ちょっと待ってください!」


 カイリは無礼を顧みず、神様……鳳耶を静止した。


「なんですか?」

「いくらなんでも、頭を下げるまでされなくても! それに御名前まで!」

「あのですね、カイリ=ロイスウェル。『郷に入れば郷に従え』というのをご存知ですか? 『あちらの世界』で私が神だとしても、『こちらの世界』では一端のヒトなのです。騎士の方々には、名乗らなければ無礼と思われるかもしれませんからね」


 ぴしゃりと鳳耶はカイリを黙らせた。

 二人の様子をミシュリーはじっと見た。


「……なるほど。確かにアンタがカイリの依頼主ね」

「ええ、そうです」


 タメ口で容赦なく会話するミシュリーにカイリは戦慄した。そのミシュリーに普通に会話している鳳耶にも違和感を感じ、なんとも歯がゆい気持ちになった。カイリの視線に気づいたのか、鳳耶はカイリへと視線を移し、


「なんなら、貴方たちも私にタメ口で話してもいいですよ?」

「「いいえ、結構です」」


 予想通りの答えに、鳳耶はくすくすと微笑んだ。この鳳耶は本当に意地悪なことを言うのが好きだった。


「まあ、戯れはここまでにしておきましょう。で、カイリ=ロイスウェル。再度尋ねますが、私に何か話があるのですか?」


ついにこの時が来た。カイリは一回深呼吸した。


「実は、その、神託の件、についてなのですが――」

「私のせいよ!」


 カイリが言葉を選びながら慎重に弁解しようとすると、ミシュリーが横から口を挟んできた。


「エラーを逃がしたのは、私が庇ったから。カイリは悪くないわ。最後まで任務を全うしたわ」

「いや、それでも躊躇ったのは紛れもない事実だ。あそこで躊躇せずにエラーに止めを刺せれば、俺は神託をこなすことができた!」

「その躊躇いを誘導したのが私って言ってんのよ!」

「だが、実行できなかったのは俺の責任だ!」

「あら、仲がよろしいようで」


 鳳耶の一言で二人は黙った。神の御前で騒ぎ立てるなど無礼極まりないと思ったが、けれどもここで退くことは出来なかった。


「全ての原因は私にあります! どのような処罰でも受け入れる所存です!」

「だから、カイリを妨害した私にこそ非があるわ!」


 ミシュリーも対抗して、鳳耶に申し立てる。


「……あの、勘違いされているようなので言っておきますが、神託はまだ終わっていませんよ。なぜなら、エラーがまだあるからです。まあ、『なぜなら』というまでもないことですけど」


 鳳耶の言葉に、二人は言葉を失った。確かに、今回の神託はただ『エラーを退治しろ』と言われただけであって、時間制限等の条件はない。


「よって、神託か失敗したやら何やらと話し合うのは、時期尚早というものだと思うのですけどね。カイリもそう思われません?」

「は、はい……」


 思わぬ問いに、カイリはなんとか答えた。


「確かにエラーの実体化と自我の獲得はとても良い展開ではありません。速攻で捕まえる機会を逃したのですからね。けれども、見方によれば実体化したことによりエラーを見つけやすくなったと解釈できます。エラーが実体化をやめるということは、私の記憶操作の力を捨てることになりますからね」


 エラーが実体を得たのは、記憶忘却のディンギルを大量に取り込んだから。つまり、今のエレあーは人の心に潜むには大きすぎる存在となってしまっているのだ。

 鳳耶の意見に、カイリは黙ってしまう。たかが一回の失敗で落ち込んでしまったことに、恥を感じてしまっていた。


「すいません。どうやら早とちりをしていたようです」

「貴方は賢いですが、変にこだわる癖があることは難点ですね」

「処罰は何なりと」


 カイリはさらに頭を低くした。取り返しがつかないことをしてしまった以上、もはやどのような罰が与えられようと応じよう。


「カイリ=ロイスウェル。顔をあげなさい」


 心に響く優しい声音に、カイリは従った。


「私は特に咎める気はないのですよ。しかし貴方がそれで納得ならないなら、何らかの処罰を講じても構いませんが?」

「お願いします。でなければ、私の気が済みません」

「ほんと、生真面目ですね。……分かりました。ならば、一つだけ」


 こほんと、一回咳払いした。


「では、カイリ=ロイスウェル。この子たちの力を借りて、エラーを退治してください」

「はい、分かりま……えっ?」


 カイリは思わず声を上げてしまった。


「その、それのどこが罰なのですか!? エラーが憑いてない以上、こいつらとは関わる必要がないです! むしろ、こいつらをトラブルに巻き込む可能性だってありますし、複数人だからこそ動きにくい状況もあります!」

「あら、珍しい。カイリなら『神託の失敗の確率があがる』とだけ言うと思っていたのですが」


 その言葉にカイリはハッと目を見開いて俯いた。前の自分なら、おそらくそう言っていただろう。なのに、ミシュリーたちの安否が先に口から出てしまった。


「あなたも変わりましたね。けれど『だからこそ』です。あなたも神遣いであるなら、人間の三人ぐらい上手く利用しなさい。人付き合いが苦手なあなたにすれば、よい経験にもなるでしょう。それに、あなたは粒界についてもっと学びたいと思っているのではありませんか?」

「は、はい」

「それなら、この世界出身の彼女らに聞くのもよいでしょう。ギスランに訊いても構いませんが、できるならたくさんの見方が要りますよね?」


 そう言われると返す言葉がなくなってしまう。筋は通っているのだが、なぜか納得したくはなかった。


「ギスラン=ラフォルジュには引き続き、カイリのバックアップをお願いします。あなたはこの世界の神遣いに顔が利きますからね」

「はい、かしこまりました」


 ギスランは深々と頭を下げた。


「では、引き続き任せましたよ。分からなくなれば、連絡をくださって結構ですので」

「は。尽力いたします」


 神はそれを見て、翻した。

 だが、一つの影が躍り出る。


「どこに行くのよ」


 ミシュリーが鳳耶の前に立ちはだかった。鳳耶からは圧倒的な存在感が放たれているはずなのに、ミシュリーは真正面から見据えていた。アンリエトもレティシアも、縮こまっているというのに。

 カイリとギスランはその行動に驚いたようだが、鳳耶はいつも通り微笑んでいた。


「帰ろうと思っていたのですが?」

「エラーを退治するって話、私がスルーするとでも思った?」


 ミシュリーは鳳耶を睨み付けた。そういえばミシュリーはまだ装甲を解除していない。


「あら、私に殺意を向けますか。ふふ、面白い子ですね」

「いくらカイリや校長が頭を下げるくらいの偉い人だからって、私は自分の意見を曲げる気はないわ」

「私も同じです。あなたのひたむきさには感心しますが、自分の託した令を撤回する気など微塵もありません」


 ミシュリーは更に眉を寄せた。これ以上放っておくと何をしでかすか分からないと思い、カイリが腰を上げたが鳳耶が右手を挙げて制した。


「私はあなたがどうしてエラーを逃がしたのか知っています。そして、その上で言っているのです。エラーは退治されるべきだと」

「じゃあ、分かるわよね? 私が引かない理由が」

「ええ。そしてその理由がために死んでいく命の数も、私は知っています」

「だけどエラーは!」

「あなたも見たのでしょう? あの人間の闇の塊を。あれを常に心の中に置く者がどうして正常を保っていられましょう? 確かに、エラーの中に良心が生まれた可能性は零ではありません。ですが、その良心が消える可能性も零ではありません。そしてそうなったとき、エラーは再び殺戮者となりこの世界を暴れまわるでしょう。自らの心の闇を晴らすために」


 神に猛然と立ち向かうミシュリーだったが、鳳耶の正論によってねじ伏せられてしまった。エラーに対しての知識が豊富な鳳耶の方が、言い合いにおいては遥かに有利である。


「そうね、でも」


 ミシュリーは意識していない。けれど、行おうとしている。

 勝ち目のない理論的な相手の発言を打ち返す方法を。


「私は見てしまったのよ! エラーが、自分自身の心を守りたいって思ったところを! だから、私はエラーを守る。でも、カイリのことだって解決してみせる!」


 それは感情論。理論とねじれの位置にあるそれは理論に対し、勝ちもしないが負けもしない力を与える。

 それにしてもミシュリーの言葉はむちゃくちゃだ。でも、まっすぐ自分の言葉を突き進む。それがミシュリーにあってカイリにないところかもしれない。


「ふう。どうやらあなたも勘違いなさっているようですね」


 鳳耶はため息をつき、手をパンと叩いた。

 すると、ミシュリーの装甲が霧散した。そこにいる誰もが、なぜそうなったのか理解に及ばなかった。


「へ? ちょ、何したのよ!」


 再び発動しようとミシュリーは試みたが、何も出ない。一切の粒界が使えなくなっていたのだ。


「ここ十分だけ封じただけですので、気にしないでください」

「気にするわよ! って、どうやったのよ!」

「まあまあ、話を聞いてくださいよ。あなたが聞きたがっていたエラーの事です」


 相変わらず鳳耶様は人を動かすのが上手い、とカイリは思った。粒界を封じて緊張を解き、代わりに浮かんできた警戒を『エラー』という単語一つで収めた。


「私もここに長居できない身なので、簡潔に言います」


 神様は自身の両手を背中で結んで、空を見た。


「あなたの言うエラー良心と私の言うエラー《悪心》は同一の存在ではありません」


 鳳耶の言葉をミシュリーは必至で考えた。


「それってつまり……エラーから良い心だけ抜き出せるってこと?」

「さあ? それはどうでしょう」


 ミシュリーはがくっと肩を落とした。


「どうしてここで勿体ぶるのよ」

「ここから先は、神託だからです」


 神様はカツンと右足を鳴らした。すると、彼女の足元から光が湧き上がってきた。ミシュリーはこの感覚を知っている。カイリが記憶忘却の術を行おうとした時の感覚と同じものだった。


「ちょっと、待ちなさい!」


 鳳耶はミシュリーの方へ顔を向けた。


「では、一つだけなら、質問を聞きましょう」

「なんでアンタが解決しないのよ!? 人の命に係わる事を、どうして投げ出すの!? アンタなら、何の犠牲も苦労も伴わないでエラーを捕まえられたんじゃないの!? アンリも、レティも、カイリも、エラーも! 誰も傷つかずに!」


 ノルベージュ騎士国は力が全ての国家。地位の高さは、実力の高さと比例する。そんな国で生まれたミシュリーだからこその問いだった。


「……ほんと、ミシュリーさんは面白い人です」

「何が面白いのよ! こっちは真剣に訊いてんのよ!」

「ええ、分かってます。あなたには納得出来るまで帰してくれなさそうなので、ちゃんと言いますよ」


 カイリは思わず息をのんだ。自分に言った答え以外に理由があるというのか。


「面倒だからです」

「……は?」

「では、ごきげんよう」


 光が足からさらに溢れ、鳳耶の姿を隠した。


「え、ちょ、待ちなさいよ!」


 最後に鳳耶はいつもの笑みを見せ、ふっと姿を消した。ミシュリーの静止はただ呆然とする生徒たちの耳に入っていった。




 鳳耶は最後に、記憶忘却の力を再び鍵に宿した。

 カイリはそれを使い、学園全体のエラーと、その戦いに関する記憶を消去した。

 もちろん、ミシュリーらを除いて。

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