第14話 心の隙より出でし歪み

 光の拡散が停止する。

 そしてカイリが、ミシュリーの言葉と事態の異変に気付く間もなく、


「うぐぁっ……!」


 カイリの背中から黒い槍が貫かれた。ゆっくりと、嬲るように体を突き破り、黒いコートにすらはっきりとわかるぐらいの血が、染み出していった。


「おはよう、神遣い」


 気味の悪いほど響くテノールボイスと、ドサッと倒れる二つの音。

 一つはカイリ。そして、もう一つは……ミシュリー。


「はは、そうか。自由になったのか! 心という束縛から、アイデンティティという枷から!」


 甲高い笑い声の方へとカイリは顔を傾けた。

 それはエラーという存在だった。

 そう、エラーは一体だけではなかったのだ。

 姿は黒い髪と目をし、同じ色の布を体に巻いたミシュリー=シャイエ。

 エラーが生物の姿になることある。だが、人の形になるとはカイリは思わなかった。

 ――最悪だ。

 カイリの想定する中で最悪の事態を招いてしまった。

 



 エラーは倒れる二人を一瞥し、フンと鼻で笑った。


「まさか体まで得てしまうとはね。先程のはよほど高等な術式とみえる」


 ミシュリーと同じ声で、エラーはくっくと笑い始めた。

 この状況にカイリは焦りを感じていた。ディンギルによる術を無効化し、エラーが実体化するなど神様からもらった知識のなかには書いていなかった。

 何より、『神の粒子ディンギルの濃度が高い』という規格外の性質であることが一番の問題だった。神遣いの体に対するディンギル濃度ははせいぜい数パーセント、最高でも二十パーセント。しかしエラーはその程度の比ではない。忘却魔術に用いた圧倒力をディンギルを取り込んで体を構成したという事実から、それは推測できる。


「おっと、今の声は本当に『声』になっているのだった。失敬」


 エラーが右手を前につきだすと、掌から黒い渦が溢れ出る。やがてそれは、禍々しい形状をした刀になった。


「ミシュリー! ミシュリー!」


 伏せたミシュリーの肩をアンリエトが擦っていたが、なんら目を開ける気配がない。


「お前……何をした」


 ディディエが睨み、レティシアが構えた。


「うるさいなぁ……」


 エラーが一歩足を運んだ。


「君らの『殺意』が頭にすっごい響いてるんだけどぉ。ついでにその『悲しみ』っていうの? 耳障りすぎて参っちゃうわ」


 エラーはダルそうな声を出し、黒剣を三人に向けた。


「ほんとの『殺意』……君に教えてあげる」

「やめろ……」


 カイリはなんとか上半身を起こして、エラーを見据えた。胸から表現のしようがない痛みがカイリを襲う。それに顔を歪めたカイリを見て、


「死に損ないの神遣い、何かいい遺言でも思い付いた?」

「カイリ! 無茶をするな!」


 アンリエトが、立ち上がろうとしたが直ぐ様膝をついた。


「こ、っのっ……ぐっ!」


 アンリエトの唇は紫になり、顔面蒼白で身体中が震えていた。それは彼女だけでなくレティシア、ディディエも同様に。だが、エラーは何もしていない。触れてすらいない。


「ハハハハっ! 人間は『この手』の力に耐性がなかったんだっけ!」


 子供のように高笑いするエラーに、カイリは舌打ちした。

 エラーはただ、アンリエトに殺意を向けているだけ。だが、ディンギルという『心』に強く影響される粒子のせいで、尋常ではない負荷をアンリエトに与えていた。それはアンリエトがエラーに捕われていた時に使っていたディンギルの性質『動心導理現象』というもの。

 人は殺意を感じると、立ちすくんでしまうことがある。その場合、殺意に慣れていたり気の強い人間なら耐えられるが今のエラーの技には無意味だった。


「ディンギルにより構成された殺意は、向けられるだけで本人の意思とは関係なく『本能』を怯えさせることができる」


 突如、周囲に濃霧が発生する。

 低くて重い声が、その中からに響いた。


「深層心理を扱うことのできない人間にとって、ディンギルは脅威の力だがデメリットもある。それはディンギルの性質も『心』だということ。殺意を抱き続けるということは、何にも気を反らしてはいけない」


 現れたのは、ギスラン=ラフォルジュ。

 ディンギルは人にとって有効であるが、同じディンギルを使うものであれば深層心理に壁を作ることができる。

 すでに粒界装甲を発動しているギスランは右腕と一体になっている巨大な槍を構えた。


「おいおい……校長の粒界装甲初めて見たぜ。って、なんで発動できんだよ!」


 ディディエですら、その迫力を前にして頬を引きつらせてしまった。

 只でさえ大きい図体の二周りも大きいそれは、鎧というより機械に相応しい装甲だった。手足の先まで隙間無くこれでもかというぐらいに覆われていた。さらには両肩に一メートルほどの盾がついていて、攻め入る隙を全くもって感じなかった。

 そして、右腕から渦巻くように伸びている槍は、ギスランの粒界装甲における唯一にして最強の矛。


「校長権限で、ここらの粒界制限は解除したからな」


 エラーはやれやれと肩をすくめた。同時に、放っていた殺意を収める。


「また神遣いか。神様はどうやら、エラーが出現することを知っていたのかなぁ。けど、そこの死にかけよりディンギルの量が少ない君に何ができる?」


 嘲るような口調で挑発し、攻めようと足に力を入れたそのとき、


「おっ!」


 エラーの視界からギスランが消える。直ぐ様、ディンギルでギスランの『心』を探すが、見つからない。

 エラーはディンギルを用いて心を読む事が出来る。それは俗にいう読心術とは違い、相手の思っている事を全て読むものではない。どこに意識を向けているか、それがどのような質の意識なのかが分かるだけである。が、

 だが、エラーは焦りはしなかった。

 心の気配すら消えた原因が、この霧にあることは明白なこと。エラーは『探る』ことをやめて、心に『吹き飛ばす』という思いを乗せて、霧を吹き飛ばす風を放つ。

 その瞬間だった。


「おらぁっ!」


 ギスランはエラーを思いっきり槍で突き刺す。防ぐことすら許されぬ速攻だったが、エラーは放っていた風に込められた『吹き飛ばす』という思いを槍に向けて軌道を反らした。だが、ギスランも動心導理現象を使うことができる。槍はエラーを貫かず横に反れたが、ギスランは『振り払う』という思いを槍に乗せて横に薙いだ。

 エラーの体は軽々と吹き飛ばされ、校門に叩き付けられた。

 それを見て、とりあえず安堵したカイリは自分の傷を癒そうとした。


「……え?」


 治らない。ディンギルを使っても、粒界を使っても。人間よりすぐれている神遣いの自然治癒力すら、なんら働いていない。

 もしかしてこれがエラーに負わされた傷で、なんらかの動心導理現象が起きているとしたら……?

 傷ひとつないエラーに、ギスランは再び突撃する。霧も使わず真正面から、だ。


「それ、ディンギルに対する闘い方?」


 槍がエラーへと突き出される寸前、ギスランの動きが止まった。同時に、粒界装甲が解けた。


「……俺は一体何を?」


 そして、まるで自分が何をしていたのか分からないというように、ギスランは周りをきょろきょろと見渡した。


「くふふ……ハハハハ!」


 エラーが両手に剣を出現させギスランの喉と胸に刺そうとしたが、寸前でかわされる。お返しにと拳でエラーの顎を狙ったが、余裕の表情で躱された。


「お前は……エラーか!」

「大体自分の力が何なのか把握してきたよ。ねえ……レティシア=フォンティーヌ?」


 上空から舞い降りる氷結の天使が、無数の氷を降らす。荒れ狂う霰を前に、エラーはただ立っていた。まるで傘をさしているかのように、それらの霰は何もないはずのエラーの頭上で弾かれた。


「なにあれ……」


 驚きながらレティシアはエラーから少し離れた場所へ着地し、中距離攻撃を行い出方を見ようとした時だった。

 ギスランの時と同じく、粒界装甲が解けたのだ。


「……え? あれ?」


 レティシアの翼の羽ばたきが止まったと思ったら、急にバランスを崩して着陸した。


「あ、そうだ。エラーを倒そうと不意討ちを仕掛けようとして……あれ?」


 レティシアがなにやら混乱していた。


「なっさけねえなぁ、おい!」


 ディディエが装甲を展開し、速攻をかける。


「ふーん。やられる前にやればいいって? いいだろう。君には正面から討ってやるよ」


 エラーはほくそ笑んだ。避けようともしないエラーに、ディディエは何度も斬りつけた。ミシュリーに引けをとらない彼の体術ですら、ことごとく剣で弾かれる。そしてディディエの僅かな隙を見つけ、エラーはディディエの腹部を斬りつける。装甲で防げると油断していたディディエだが、切られる寸前にエラーの剣の切っ先が爆発した。


「ぐふぁっ」


 衝撃は内蔵まで到達し、一撃で意識を薄ませた。


「もう一発」


 立ってるだけで精一杯のディディエに、冷酷な一撃を浴びせた。しかも先程より三倍ほど威力の上がった爆発に、ディディエは遥か後方に吹き飛ばされてしまった。


「さて、一人脱落かい?」


 余裕をかますエラーは、闘気を自らに向けるレティシア、ギスランへと目配せした。


「校長、レティ。そいつはどうやら、短時間ではあるが記憶の消去ができる!」


 我らが宰相、アンリエト=リリューが叫んだ。それはカイリですらまだ気付いていなかった。が、鍵のディンギルを取り込んで力をつけた事実より、容易に連想できた。

 だが、真実とは限らない。それでも、アンリエトは自らの推測を全員に伝えた。


「へぇ。よく見てるね」

「誰にでも分かる」


 粒界装甲を構えたアンリエトの方に、エラーは体の向きを変えた。


「せっかく君には力をあげたのに……勿体ないことをしたね」

「なるほど、あれもお前の一部だったわけか。……あんな仮染めの力、無い方がマシだ!」

「仮染めでもしなければ、何もできないのに?」


 エラーの周囲に五つの黒い渦が生まれ、中心から同色の弾丸を放つ。速く、鋭い軌道を描き迫るそれらに、アンリエトは真正面から睨み付けた。

 アンリエトは右に避けるようにフェイントを入れ、左に避けた。運動神経の良くないアンリエトは、ただ避けるだけでも間に合うかどうか。なのにフェイントを入れたとなれば、回避できるはすがない。しかし、先程の弾丸がアンリエトの心にあわせて軌道を変えると読んでいたので、右肩に一撃喰らうだけで済んだ。


「小賢しいなぁ」


 エラーは再び渦を発生させる。数は、十。さきほどの二倍だ。


「それは自分が求める理想ではない。……填瞬力モーメン・ドゥ・フォルス


 アンリエトは姿勢を低く構える。


「ふーん。その術は瞬発的なエネルギーを付加させるもの。弾を発射したと同時に踏み込んでくるという算段かな? どっちにしろ、先程のようなミスはしない」


 渦の大きさが大きく、回転が速くなる。アンリエトも、二度同じ手が通用するとは思ってもいない。それでも、アンリエトは決意を抱いて感情を押し殺す。

 二人の間に数刻の空白が流れた時だった。


「さがれ、アンリエト」


 カイリが大剣を構え、エラーを睨み付けた。いつものカイリからは見られない激しい気迫に、アンリエトは何も言えなかった。


「カイリくん……その体で大丈夫なの?」

「気にするな。レティシアも下がれ」


 有無も言わさぬ命令に、レティシアは素直に従った。


「傷が深い、というのは言うまでもない。儂らがまとめてかかってほぼ無傷のアイツを、深手負いのお前がどうにかできるものか」


 ギスランの言っていることは間違いない。カイリも無事で勝てる気などさらさらない。

 カイリはエラーの正面に堂々と立った。腹に深い傷を負っているのにも関わらず、平然とした表情で。


「ははは! まさか痛みを自閉した? 狂ってる! 神遣いだからか君の心は読めないけど、もしかして死ぬ気?」


 カイリは答えないが、それを肯定と捉えたのかエラーはさらに笑い始めた。カイリの傷は特殊な力で治すことは出来なかったが、止血と麻酔を行った。だが、深い傷を負っている事実に揺らぎはない。

 ……それでも、


「お前を倒すまでは死なない! ギスラン、援護を!」

「はっ!」


 ギスランの声と共にカイリは飛翔する。それはディンギルによる体術強化によるもの。

 エラーは渦巻かせていたエネルギーをカイリに向かって放つが、カイリは上手く体を回転させて、腕をしならせ、威力を殺しながら全て弾いた。

 エラーは剣を前に構えた。カイリがその剣を持つ手に蹴りを放ったが、エラーは体重を素早くおとし、その蹴りを刀身で防いだ。カイリは舌打ちし、幾度も攻撃を浴びせた。並大抵の人間なら目で追えぬ猛攻だったが、エラーはどれも清々しく受け止め、躱し、いなした。

 カイリは一旦後退した。するとエラーが首をかしげた。


「どうしてお前に記憶操作が利かないんだろうね」


 カイリが攻撃をしている間、エラーは何度も記憶操作を試したのだろうが、神遣いの中でもディンギルの操れる量が多いカイリには抗う術があった。記憶操作がディンギルで行われている以上、同じディンギルで相殺する事ができた。カイリの心が読まれないのも同じ理由だった。

 イリは答えずに、大剣を展開させた。


複牢塞ラパーフ・ミュルティプル!」


 ギスランの声に応じ、エラーの足元から魔力が沸き上がる。エラーがそこから飛び退こうとしたが、その行動を見越したかのように更に外側から、半透明の魔力で構成された壁が出現した。

 最初に感じた魔力より遥かに多いことから、これが本命だろう。その壁は一秒たたずしてエラーの目線より遥かに大きくなった。

 横に逃げることを諦め、上へと跳ぼうとしたエラーの頭上に、一つの影が横切る。


「甘い!」


 カイリは大砲を構え、最強の砲撃を放つ。しかも今回の科学電磁砲は特殊なディンギルにより構成されていて、着弾と同時に激しい爆発を伴う。その爆発は物理的なものだけでなく、精神的にもダメージを負わすことができる。

 心に大きく依存したディンギルが構成の大半を占めているエラーにとっては大打撃になる。

 かわす場所もない、カイリの記憶を忘却することもできないエラーに、これが決定打にならないはずがない。ギスランの作った壁の内側で爆音が鳴り、外側にまで激しい振動が起きる。

 活火山の噴火口のような砂埃が、空へと伸びる。

 カイリは警戒を解かずに構えていたが、音ひとつ聞こえない様子に少し安堵した。

 刹那、


「そんな……!」


 ギスラン、そしてカイリの顔から驚きが隠せない。

 壁を破り、煤だらけになったエラーが出てきた。


「ん? 何を驚いた顔をしてるの?」


 カイリが剣を持ち直し、ギスランは槍の切っ先をエラーに向けた。


「君たちは、少し遊びすぎたんじゃないか?」


 エラーの言葉と共に、ギスランの体が再び傾く。十八番の、記憶忘却。だが、カイリは屈することなく走り続けた。


「まだ……まだ一手!」


 顔を真っ青にしながら神速の回転切り。そのまま勢いを殺さずに体を斜めにしての回転切りを放つ。エラーは素早く後退、二度目の攻撃も軽やかにかわす。カイリは剣を振り抜いた後切り返そうとしていたので、隙だらけ。エラーの右手に持つ黒き剣の餌食に再びなる……はずだった。

 瞬間、カイリは高速の逆回転に転じた。その速度は、エラーの刺突を遥かに上回る。


填瞬力モーメン・ドゥ・フォルス !」


 瞬間的に力をねじ込んだ強引な切り返し。この術は筋肉の負担が激しく諸刃の剣となることが多いのだが、痛みを自閉したカイリには関係ない。軌道の先にあるのは、カイリの体を貫かんとするエラーの姿。これにはエラーも読めなかったのか、完全に逃げ遅れた。カイリの大剣がエラーの首筋に触れようとした時だった。

 赤銅色のドーナッツ型の障壁が、カイリの首に現れた。それは空に繋ぎ止められた首輪のようで、カイリの動きをピタリと止めた。不可解な現象にカイリは《填瞬力》を使ってその球から離れようとしたが、ビクともしなかった。絶望的なその一瞬の時間の中で、物理的な抵抗とは少し違うこの術がカイリの渾身の雷撃を止めたのだと思った。

 そして、エラーの黒剣が再びカイリの胴を貫いた。


「チェックメイト」


 串刺しにしたままカイリの首、肘、膝に同じ障壁で囲われた。大剣と同様、全く動かすことが出来なくなった。

 さらにエラーは自身の剣から、黒い光を辺りに拡散させた。悲鳴を出すことすら許さない激痛がカイリに走った。カイリが行った止血と麻酔が効果を無くしていた。


「私のディンギルが君のそれを浸透する……これが何を意味をするか分かるかい?」


 分かり切った問題を問いかけるエラー。出血多量のためかカイリの意識はついに朦朧としてきて、口を動かすことすらままならなくなってきた。ギスランはいつでも助けに行けるように構えていたが、エラーが心を読める以上はあらゆる不意打ちは意味をなさない。それに、記憶操作に抵抗出来ない以上なす術が無い。

 神託をこなすことは限りなく不可能となった。四肢を封じられ、ディンギルを乗っ取られかけているこの状況から覆す術が思いつかなかった。。

 神託の一つもこなせない。親や神様を見返そうとしたことが、結果として自分の無力さを知ることになった。


「――俺は、未だ期待外れなのか……」


 誰にでもなく、遺言であることを覚悟して、小さくつぶやいた。

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