第10話 少女たちの事情

 ――思うだけでは、叶わない。

 ――想うだけでは、敵わない。

 



「せいっ! やぁっ! まだまだっ!」

「くっ! なんか一段と本気で殴ってきてないか?」


 薄く霧が広がっている朝の雑木林。

 昨日より覇気のある声を出しながら、カイリに向かって拳を突いていた。カイリは手に魔力を纏って、それを全て受け止めていた。


「当たり前よ! アンタにっ! あんな! 負かし方! されたら! ねっ!」

「ところで! なんで! 俺はっ! 朝練に! 付き合わねば! いけないんだ!?」


 不規則に飛んでくる手甲を、カイリは必死に受け止めた。ミシュリーの攻撃は避けるのは簡単なのだが、受け止め続けるのはカイリでもごめん被りたいくらいに面倒だった。しかも相手がカイリだからか、加減しているそぶりを一切見せないのがさらに恐ろしい。

 騎士戦から一夜明け、エラーのことについて聞き出そうとしたらいつの間にかこんな状態になっていたのだ。

 一通りのメニューをこなし、朝っぱらからフルスロットルのミシュリーは満足そうにベンチに座った。


「やっぱ朝一は殴りあいに限るわね」


 さらりと恐ろしいことを言ってのけた。


「俺が一方的に殴られてただけだ! それより、話を反らすな」

「ほんと、この事になると急にせっかちになるわよね。別に逃げるつもりもないんだから、   日課ぐらい手伝ってくれたっていいじゃない」

「確かにそうだけど……って、なんか立場が逆転してないか? 昨日勝ったのは俺だよな?」

「せっかちな上に細かいのね」


 ミシュリーの指摘にカイリは咄嗟に反論することができなかった。


「約束は守る。悪霊探しの手伝いをする。どのみちそうするつもりだったわ」

「どういうこと……?」

「あなたの言う悪霊がほんとにいるとして、もしそれが私たちを不幸にするなら……後悔するじゃない?」

「真に受けてくれていたのか?」

「真に受けなくて後悔するなら、真に受けて後悔するわ。私はバカだから、あれこれ考えるより体で覚えた方が早いのよ」

「じゃあなんで、最初は断ったんだ?」

「アンタが気に食わなかったから。なんでかはよく分かんないんだけど、負けた気がしたのよ。ほんとに負けた今ならもうどうだっていい。つまり、私のワガママね」


 まとめてみると、ミシュリーはカイリの話を信じていて力を貸したかったが、気に食わなかったからやめた。けれども、戦いに負けたからどうでもよくなった。

 カイリはその心の動きがよく分からなかった。


「俺にとったらはた迷惑だ……」

「お互い様よ。アンタだって、エラーのために私たちを引っ掻き回そうとしているんだから」

「それはそうだが……」


 ここでカイリは、どことなくミシュリーの様子が違うことに気付く。率直にいえば、いつものバカらしさが彼女に存在しない。


「そういえば、ディディエに訊けばいいんじゃないの? 私なんかよりスラスラ話してくれそうだけど」


 それはごもっともな意見だったが、カイリは首を横に振った。


「そう思うだろ? だけど……あいつも一人の男だってことだ」

「ん?」

「とりあえず、教えてくれなかったってこと」


 カイリは嘆息をしながら、昨日の朝一番にあったミシュリーらの騎士戦が終わった後のことを思い出した。観客席を立とうとしたディディエを呼び止め、ミシュリーらのことを訊いたとき、こう答えた。


「ガラスのような女の心の奥を誰かに言うほど、俺はおちぶれちゃいねえよ」


 さも当然のように鳥肌が立つような格好つけた台詞を言い残したディディエ。


「ただの変態のくせに、生意気ね」


 ミシュリーにしてみれば、ディディエはその程度の存在なのかもしれない。だが、ディディエにとってのミシュリーはかけがえのないものだ。

 きっとそのことを、ミシュリーは分かっているだろう。


「本当は嫌だけど、私が話すしかないようね。昨日の約束もあるけど、あんたが真面目にその依頼とやらに取り組んでいたのは分かる気がする」


 ミシュリーが話し始めると分かるや否や、カイリはメモ帳を取り出した。


「……なに恰好つけてんのよ」

「違う。単に記憶力が悪いだけだ」


 ふーん、と特に構わずにミシュリーは話を戻した。


「私たちの悩み簡単に表すなら、家柄の事を言うのが近道なのよ。私の家は農家。アンリは建国騎士、レティは研究員」

「確かに、ミシュリーは普通だな」

「アンタに言われるとどことなく嫌味を感じるわね。否定はしないけど」


 カイリはペンで、こんこんとノートを叩く。


「で、建国騎士ってなんだ?」

「文字通りよ」

「それは分かっている。できれば、この国においてどんな立ち位置であるかを教えてほしいんだが」


 その言葉に、ミシュリーは腰に手を当てて自慢げに答えた。


「知るわけ無いじゃない。国を建てた騎士でいいじゃない」


 あっけらかんとした物言いにカイリはずっこけた。


「んな理屈あるか! この国に生きてるなら常識な感じの言葉じゃないか!」

「あるわよ。建国騎士なんて言葉の意味を知らないところで、全然人生に影響はないわ!」


 さらにふんぞり返って、ミシュリーは宣言した。こういう理論を並べる輩は大抵物事の表しか捉えていない。

 カイリがそのことについて指摘してやろうかと口を開けようとしたとき、


「建国騎士は、この国を建てる時において最も活躍した騎士の家系のこと。国自体は実力主義だから血統で地位を優遇したりはしないけど、それでも尊敬されたり羨まれたり、期待される地位ではあるんだよ」


 ミシュリーより柔らかい声が補足した。才能に満ちた天使、レティシアだ。今日も元気にツインテールがぴょこんと頭から伸びていた。

 ミシュリーと違いすでに制服姿である彼女はミシュリーの横に座った。


「レティ、どうしたの? 寮一のお寝坊さんなのに」

「たまたま早く起きたから、寮一のおバカさんを助けにきただけだよ」

「おバカさん言うな!」

「お・バ・カ・さ・ん♪」

「そんな嬉々とした表情で二回目を言わないで!」

「ぺっ・た・ん・こ♪」

「それ関係ないわよっ! ノリで私のコンプレックスを弄らないで! あとその優越感に浸った顔がすこぶるムカつく!」


 目の前で繰り広げられる応酬にカイリが入り込む余地が見つからなかった。この二人は相当仲がよいのだろう。


「話を戻すと……ああ、『頭のいい』カイリくんなら分かるか」

「こっち見ていわないでよ! って、なんで会話知ってるのよ」

「盗み聞きしてたからに決まってるよ。あんなにカイリくんを毛嫌いしてたミシュリーが親しげにカイリくんと喋ってたからねー。これは三文の得だって思って静聴してたの」

「三文の得にもなんないわよ! あと変な期待しないで!」


 ミシュリーをお手玉のように扱うレティシアの横で、カイリは重い雰囲気を含ませて呟いた。


「期待、か」

「そう。建国騎士はね、何か特別な能力を持った家系じゃないんだよ。建国を賭けた戦いの時にたまたま強かった家系なの。粒界使いとして強いことは確かなんだけど、抜きん出て秀でているわけでもなかったの」

「……最初からレティシアに訊けばよかったな」

「はいはい、バカで悪かったわね。直す気もないけど」

「直せよ!」


 無駄口を叩きながら、カイリはすらすらとペンを動かす。


「なるほど。建国騎士とやらは過去の栄光だけにすがりたくないと」

「うん。そして、その地位を取り戻さんとする建国騎士の家系のひとつが、リリュー家。そして、リリュー家の一人娘がアンリエト=リリューってことだよ」


 この国には貴族というものが存在しない。自ら結果を出した騎士こそが高い地位へと辿り着ける。

 国を興すという最上位の成果を為し遂げた家系の重みを、アンリエトは背負っていた。

 カイリがアンリエトの戦いを見て思った『賢い頭脳で自身の戦力不足を誤魔化す』というのはあながち間違いではなかったようだ。


「アンリエトは自分が非力であることに劣等感を、抱いてるってことか」

「どうだろう? そこまで込み入った質問をしようとはさすがの私でも思わなかったからね」


 立派な『心の隙』となりうることは明らか。エラーへの道が近付いたはずなのに、カイリはとこか冴えない顔をしていた。


「ところで、なんでミシュリーが嫌がる辛気くさい話をしてるの? もしかして、カイリくんって人の過去を知るのが好きとか?」

「なんでそんなえげつない発想になるか分からんが、そんなわけない」


 カイリは即否定して、悪霊について詳しく説明し始めた。

 どこかずれているところがあるが、レティシアはなかなか博識であることが先程までの会話から伺えた。なら、こちらが何を知りたいかを提示しておけば、その知りたい事に重点的に答えてくれるはずと思ったから。


「へー、なんか凄い事を聞かされたね。まさかそんな陰謀が渦巻いてたなんて……世の中怖いね」


 カイリが話している間、レティシアは「ほー!」とか「へー!」とか声を上げながら聞いていた。まるで絵本を読み聞かせている子供のようだった。


「レティシアは悪霊なんて信じるのか?」

「ミシュも信じてるみたいだし、私も信じようかな。そうじゃなきゃ、妄言でお風呂の中に入った事になって、カイリくんが可哀想だからね」

「その発想はなかったわね。信じないと可哀想よね」

「哀れみの目で見るな!」


 カイリは一喝し、変な流れにならないように調節する。


「とにかく、そういうことだから。出来ればレティシアの話も聞きたい。無理に、とは言わないが」

「無理にでも訊きたいくせに」


 調子づいたミシュリーのちょっかいを無視して、カイリは待った。


「いいよ。アンリに比べたら全然私事だけどね」


そう前置きして、レティシアは話し始めた。


「私の親が研究員だってのはミシュリーから聞いたんだよね? この国の研究員の殆どは、『粒界装甲(ユナーミル・サクレ)』の特異性を調べてる。他の国では見られない性質だからね」

神遣いという立場から粒界を学んだカイリですら驚くほど、それは特異だった。建国を導くほどの強さも持っているのだから、そのままでしておくわけか無い。


 レティシアは膝の上で指を組んで、話を続けた。


「粒界装甲の秘密を探ったら、粒界の秘密に繋がるし、更なる力の生み出し方が発見できるかもなんだよ。だから、国は装甲を研究する機関を作った。そして、たまたま研究所で生まれて、たまたま才能を持ってた私は貴重なサンプルとして扱われたんだよ」

ごくりと、カイリは唾をのんだ。


 まさか騎士国家と名乗る国で、そのような非人道的なことが行われていたとは。知っている筈のミシュリーですら、悲しげな表情をしていた。


「親は私を見なかった。叱るべき筈の父は装甲の未知を解明できない自分を叱って、誉めるべき母は私の粒界のみ誉めた」


 常に結果を求められ、それに応え続けた少女。その心のうちには壮大な心の隙……孤独が生まれたことだろう。


「アンリが『期待に沿いたい』子なら、私は『期待に外れたい』子なんだよね。だからカイリくんにこてんぱんにされた時は嬉しかった」


 にっこりとレティシアは笑った。レティシアにとって勝つことは、自らの特異性を再認識させることと同意だったのかもしれない。しかも今までの騎士戦で、レティシアは投降したことがあっても装甲を破られたことは一回もないらしい。

 だから、カイリが破ったときは自分の装甲も負けることができる。ミシュリーたちと変わらない存在であると思うことができた。


「……トラウマを呼ぶつもりが、逆に救ってしまったのか」

「ん? 何か言った?」

「いや、何もない」


 一撃で倒したことがレティシアの救いになったというならば、カイリが騎士戦でレティシアに行った策は思いっきり無意味だった。過去のことを言っても仕方ない、と割りきった。


「じゃあ、レティの心の隙は自分の力ってこと?」


 静かに話を聞いていたミシュリーが問う。


「だろうな」

「そうなんだ。なんか、私から見れば勿体無いよね」


 せっかくの才能を、棒に振るような心の隙。努力型のミシュリーには考えられないようなことだろうが、価値観というものは人によって様々。ミシュリーもそのことは知っていたので、それ以上レティシアに言及しなかった。

 カイリは必死に動かしていたペンを止めて、レティシアの方を向いた。


「わざわざすまなかったな」

「いいよ。別に隠し事ってわけじゃないんだから。参考になった?」

「ああ」


 アンリエト、レティシア。彼女らはこの国にとって特別な存在であり、生まれながらにして大きな重荷を背負わされた少女でもある。

 エラーへの参考にはなったが、だからと言って誰にエラーが憑いてるか分かったわけではない。


「ミシュリーは何かあるのか?」


 そういえば、とカイリは振り向く。農家出身という特に何もないミシュリーにも、もしかしたら壮大な秘密を抱えているのかもしれない。


「ないわね」


 本人はあっけらかんと答えた。


「ほんの些細なことでもいいから、なにか無いか?」

「昨日誰かさんにこてんぱんに負かされたこととか、私の周りで変態が増えたこととか?」


 エラーが憑く隙間がないくらい、他愛もないことだった。


「……お前、結構根に持つ性格だな」

「結構、というか、かなり、だね」


 レティシアも認めるほどの性格に、カイリはもう下手なことをしないでおこうと決めた。


「あ、そろそろ着替えてこないと」


 運動着だったミシュリーは女子寮横の時計を見て、勢いよくベンチから立ち上がった。


「ねえ、レティ」


 ミシュリーは着替えに行かず、振り返った。


「ん?」

「カイリって頼りになる?」

「そうだね。強いし、賢いし。ちょっと胡散臭いけど」

「そっか」


 後は何も訊かず、ミシュリーは寮へと走って行った。


「さっきのはどういう意味?」

「なんだろうね。よく分かんないや」


 普段のミシュリーは思うままに感情をだし、思うままに行動する。なので、大体どういう目的で動いているのかというのは見当つきやすい。

 だが、先ほどのミシュリーは心の内が全く読めなかった。無表情だったわけでもない。

 カイリは少し気になったが、レティシアは全然気にしていない様子だった。

 気のせいか、とカイリが肩の力を抜いていると、レティシアが「そうそう」と言い手をポンと叩いた。


「ミシュリーのことだけど、ちょっと補足があるの」

「補足?」

「この国はね、学校に通うことは義務じゃないんだよ」


 レティシアが先程までとは違う真剣な声音で、そう言った。反射的にカイリはペンを立てた。


「生きることに必要な知識は、学校じゃなくても手に入る。親からでも、私営の学舎でも。断然、そっちのが安いし。だからこの騎士学校には親が騎士だったり、裕福な家の子ぐらいしか来ないんだ」


 彼女が何を言いたいか、うっすらと理解できた。

 裕福な家、騎士の子が大半の学校に、普通の農家の子が来ればどうなるか?

 言うまでもなく、いじめられるだろう。


「私とアンリは、まあその時は友達じゃなかったんだけど、一緒にミシュを助けたんだよ。その時から三人で絡むようになったんだけど、ミシュはどうしても恩を返したいらしくてね。『私たちを守る!』ってずっと言ってるんだよ」


 前にミシュリーは『私は、二人の心を掘り返すことなんて出来ない』と言っていた。もしかしたら、それは二人の心を明かすことが、裏切りにつながると考えたからなのではないだろうか?


「ほんと、優しいのやらどうやら。そしてそれが、アイツの過保護の理由か」

「かもねー」

「下らないな」

「本人にとったら?」


 悪霊、もといエラーは心の隙に憑く。その心の隙の大きさは本人の思いようによって変わる。

 他人にとって下らないように思えても、本人が深刻に思っていればエラーの入り込む余地は出来うる。

 これで、三人誰にエラーが憑いてもおかしくない。

 カイリはコートの内ポケットにメモ帳をしまった。


「ミシュリーと違って、理解が早くて助かる。正直なところ、常識に疎いのかと思っていたからな」


 以前の印象から、レティシアもミシュリーと同じく常識に疎いのではと思ってしまっていた。建国騎士について雄弁に話始めた時は、レティシアに対する印象を大幅に改める必要があった。


「ミシュと違って、常識だけは知ってるからね。どこかずれてるって言われることはよくあるけど。長年隔離されてた結果なのかな」


 レティシアの『隔離』という言葉にはただならない重みを感じた。単なる研究対象としては、あまりにも徹底的な処置。まるで国にとっての最重要機密事項であるかのような扱い。しかもそれを行ったのが、親なのだ。

 カイリにとって、それは他人事じゃないように思えてきた。


「もしかしたら、って思うの。カイリくんは私たちの想像を絶する強さをもってたから、分かってくれるかもしれない。……自分ではなく、自分の才能だけを見られる寂しさを。望んでない力で孤独になるやるせなさを。だから、話しちゃったのかもね」


 とくん、と。カイリの心が揺れた。だけれども、表情には出さず、


「そうか」


 とだけ、言っておいた。


「それより、アンリエトは?」

「んー、なんか負けたのがショックだったのか、塞ぎ混んでる。滅多にないんだけどね。いつも落ち込む役はミシュリーだったし」


 カイリは顎に手を当てた。


 アンリエト=リリュー。

 八十パーセントの確率で、彼女がエラーを所持しているとカイリは睨んだ。


 その日の夕方、ミシュリーらは再び騎士戦を挑まれた。しかも、上級生に。そして果敢にも彼女らは、その挑戦を受け取った。

 結果、一人も倒すことなく敗北した。

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