第5話 初代変態野郎

「おい、ちょっと待ちな」


 ふと左側――森から見て女子寮とは反対側――から若い男の声がかかる。

 顔を横に向けると、夜でも輝く金髪で長身の男が立っていた。鋭い目付きで、カイリを睨んでいた。顔見知りでないことを確認したカイリは、身体中についていた草を払いながら尋ねた。


「何か?」

「お前じゃねぇ、もへじ。ミシュリー=シャイエ!」


女子寮の方にこっそり逃げようとしていたミシュリーの肩がピクリと震える。どうやら知り合いのようだった。


「誰?」

「……ディディエ=ヴィクス。初代変態野郎よ」


 苦々しくミシュリーは答えた。初代って二世代目もいるのかと訊こうと思ったが、答えが分かりきっていたので訊くのを止めた。


「変態って酷いな。俺はミシュが可愛くてたまらないだけなのに」


 ディディエの大胆な告白に、ミシュリーはしっしと手で払いのけるジェスチャーを送る。


「何回もはね除けてるのに、ずっと付きまとうのよ。ストーカーの域に達してるわ。というか、私の帰りを待っている時点で現行犯なのだけど」


 ディディエは右の拳を天に上げ、


「月光を浴びて神秘をも虜にしたミシュたん、マジやべぇ!」


 さすがのカイリも、これは言い過ぎだと引いてしまった。まるでアイドルの虜になった熱狂的なファンのようだ。


「変態と鬱陶しさと痛々しさを黄金比で混ぜたらああなるってアンリが言ってたけど、その表現がどれだけ正確なのかを改めて思い知らされたわ……」


 異様な告白を全てスルーし、ミシュリーは淡々とディディエについて語った。ここまで言われていても眉動かさないディディエ。もしかしたらミシュリーのことを語る事に全神経を使っていて、聴神経に信号が通ってないのかもしれない。嘲りではなく、真剣にカイリはそう思ってしまった。


「っておい、そこのもへじ」


 ディディエの矛先が、彼をじっと観察していたカイリに向いた。


「もへじ?」


 先程からカイリに付けられたあだ名に頭を傾げた。


「へのへのもへじみたいな顔をしてるから、もへじだ」

「なんでそうなるか分からないけど、何?」

「俺の話を全スルーしてミシュと喋るとはいい度胸してるじゃねぇか」

「いや、俺に言ってないだろ。ずっとミシュリーに――」

「うるせえ!」


 放たれる不条理な怒気を、カイリは澄んだ顔で受け流した。ディディエから少しだけ殺意が伝わってきた。


「ここじゃ、満足に粒界が使えないんだろ?」


 その言葉を聞いてディディエは悪役のような低い笑い声を漏らした。


「なるほど、お前はこの国に……いや、この学校に来るのは初めてなのか」


 ニヤリとディディエは笑った。嫌な予感がし、カイリは無意識に構えた。


部分展開フラグメンツ・イグザース!」


 ディディエが唱えた途端、五十センチほどの剣が右手に出現した。それは蛍光灯のような白色の刀身で、魔力の光が闇夜を照らしていた。

 カイリはじっとその剣をみつめた。すると、比較的少ない魔力で構成されていることが分かった。


「なるほど、少ない魔力での発動なら大丈夫ということか。って、何をする気だ? そこまで気に障ることをした記憶はないが」


 既に戦闘体勢のディディエ。カイリは念のため二三歩下がり、何をされても対応できるような距離を取った。


「夜の森の中でミシュリーを誑かそうとした。死罪には十分だ」

「してねえよ! ミシュリーからも何か言ってくれ」


 戦闘体勢、というよりも処刑体勢に入ったディディエに顔を向けながら、ミシュリーに助けを求めた。下らない冤罪で力を使う事態になることだけは避けたかった。だが、ミシュリーは顔を横に振った。


「ああなったディディエは言葉で止められないわ、ほんっと、いい迷惑。アイツは熱くなったら周りが何にも見えなくなるのよ」


 呆れたようにミシュリーは言った。マジかよ、とカイリは毒づいた。ディディエと戦いたくない理由は力の温存以外にもう一つあった。

 彼の用いた粒界『部分展開』はカイリが聞いたことのない術だった。使われている魔力が少量とはいえ、どこような力を秘めているか分からない。


「ミシュリー、あの術について教えてくれないか?」

「いやよ」


 ディディエを嫌っていた筈のミシュリーはきっぱり断った。


「えっと……なんで?」

「私たちをその悪霊から守れるに足るのか、判断させてもらうわ」


 ミシュリーは数歩下がり、腕を組んだ。カイリはもっとマシなテスト方法があるだろと思ったが、つべこべ言わずにやれという視線に渋々と付き合う事にした。

 ミシュリーといいディディエといい、この神託の登場人物はやけに癖の強い人物が多い。


「ったく、なんでこんなどうでもいい時に」


 だが、勝てばミシュリーに悪霊の話を少しは信じてもらえる。また、この学校の生徒の大体の力量も把握できる。そう考えると、戦う事にメリットがない訳ではない。


「どうでもいい? 俺の嫁がかかってるんだぞ!」

「アンタの嫁じゃないわよ!」

「……やれやれ」


 カイリは腰を落とした。それを見て、ディディエも構える。


「ふん、どうやらやる気になんたのか? まあ、ミシュリーに挑発させられたんだから……っ!」


 風を切る音が一つ、闇夜に響いた。ディディエの体が硬直した。何かされた。しかし、その何かが全く分からなかった。ディディエは剣を持っていない左手で自身の頬に触れた。肌は切れていなかったが、何かがかすった感触が残っていた。


 気のせいか? 幻術か?

 けれど確かに何かがディディエの横を飛んでいった。

 カイリは動いていないように見えた。立ち位置も姿勢も変わっていない。


「お前、何を……」

「ミシュリー、判定は?」


 朗らかに尋ねるカイリにふんと審査員は鼻を鳴らした。


「小石を投げただけじゃない」


 ディディエはその言葉を聞き、心の底から怒りが沸いてきた。小石に気付かなかったことでなく、使われたものが粒界ですらないただの小石だったことに。

 完全に、ディディエはカイリに弄ばれていた。


「この野郎……!」


 ディディエは地を蹴り、カイリを間合いに入れる。カイリは先ほど投げたものと同じような大きさの小石を三つ、ゆっくりと拾った。小石を拾っている今の態勢では速くは投げれないと思ったディディエはさらに加速する。

 ディディエは剣を腰の横に構え、突き出した。全力ではなく、重心も完全に前へ動かしていない。本命はこれをかわした次の一手。もし、相手が避けたならその方向へ剣を振り、防ごうとしたのなら瞬時に剣を切り返して隙を突く。何らかの理由で危ない状況になったとしても、後退するなり左右に跳ぶなりすればいい。


「なっ……」


 だからこそ、ディディエは次の一手を避けることは不可能だった。

 手首、指、刀身。手に隠し持っていた小石による三ヶ所への同時投擲。しゃがんだ状態から居合い抜きの要領で、手首を巧みに使い行った。柔軟な切り替えを考えていたディディエの剣を持つ手にはあまり力が入っておらず、さらに風を唸らすほどの速さによって得た小石の威力により剣を弾き飛ばした。持ち主の手から離れた剣は白い霧となって、消えた。

 ディディエが単なる馬鹿ではなく、けれどもこんな意味もない戦いにフェイントを入れてくるほど馬鹿だと読んだカイリの作戦が見事に的中した。

 ディディエは言葉を無くし、立ち尽くしていた。

 しかし、ミシュリーはやられた本人以上に唖然としていた。またも小石を使ったというのは分かった。しかし、二度同じ手が通用したのかが理解できなかった。


「これで文句はないだろ?」


 カイリは固まっている審査員へ、再び判断を求めた。


「……な、なにがどうなったのか教えなさいよ」

「それは認めてくれたと受け取っていいか?」

「それとこれとは話が別!」


 そっぽを向くミシュリーに苦笑していると、いきなりディディエがカイリへと歩み寄った。鬼の形相で近づくディディエにカイリが再び警戒すると、


「お前、ミシュリーが好きなのか!?」


 あっさりと負かされたことに逆上するのかと思っていたカイリは、なんの脈絡も無いディディエの問いに反応することができなかった。


「お前は一体何を言っているんだ?」

「俺は好きだ」

「知るか!」


 全く会話が成立しない。カイリは億劫な表情をしながら、


「つうか、本人の顔に向かって言えよ。俺はミシュリーじゃないぞ」

「そうだな……すまなかった、もへじ」

「もへじでもねぇから」


 カイリの言葉が言い終わらないうちに、ディディエはミシュリーの方に体を向けた。もとより話を聞いているとは思わなかったカイリはため息すら出なかった。


「なあ、ミシュ」

「ミシュって馴れ馴れしく言わないで」


 いきなり出鼻を挫かれたディディエ。ちょっとばかし泣きそうな顔をしてる。しかし不思議と可哀想とは思えなかった。どう考えても自業自得だった。


「おい、もへじ」

「早かったな、デカいの」


 肩を落としながら、カイリのほうへと帰ってきた。二メートル近くの身長だったはずが、今ではカイリと同じぐらいに感じた。もっとガツガツ行きそうな外見とは裏腹に、結構繊細な性格の持ち主なのかもしれない。


「どうやら俺は嫌われているようだ」

「気が付いてなかったのかよ!」


 カイリは軽くめまいを覚えた。本人は本気で気づかなかったようだ。

 しかし、先程までにもミシュリーから数多の暴言を吐かれていたはず。もしかするとこの男は相手に面と向かって対峙していないかぎり、情報が頭に入らないのかもしれない。


「おい、もへじ。ちょっと来い」


 考えを巡らせていたカイリの細い腕がディディエの豪腕に掴まれ、ミシュリーから少し離れた場所に連れて行った。


「お前、ミシュと何があった?」


 ディディエは腕を掴んだまま小声でカイリに尋ねた。脅迫じみたことをされるのかと思っていたカイリはほっとした。神遣いとはいえ、元は人間なのである。ディディエのようないかつい人間と一対一になるとビビってしまうことだってある。

 何があった、と訊かれ頭の中に思い描くのはこの世界にやってからの最初の一コマ。言うまでもなく、あの風呂場での事件の事。


「別に何もないけど」


 だからといって風呂を覗きましたー、なんて言うわけがない。言ってしまったら、この男が暴走してしまうのが目に見えている。カイリが無表情を繕って答えると、ディディエは考え込み始めた。


「あいつ、極度の人見知りでな。二年近く付き合いのある俺ですらああだ」

「いや、それは違う」


 カイリは即否定したが、かまわずディディエは話を続けた。


「それがだ。見かけたこともなき服装のやつがミシュと一緒にいるてはないか! しかも、苦手な筈の暗闇に二人きりで!」


 怖がりなことを知っているとはさすがストーカー、と思ったが今回のケースのようにミシュリーが自爆しただけかもしれない。カイリの返答を真剣な表情で待つディディエ。鋭い眼光を受け続けて、カイリはふと気がついた。


「ディディエ、お前はミシュリーと長い付き合いだと言ったな」

「ああ。なんだ、羨ましいのか?」


 もしかして、と希望の光が灯る。


「最近、ミシュリーにおかしいところはないか? ミシュリーだけじゃない、アンリエト=リリューとレティシア=フォンティーヌも」


 ディディエにしてみれば突拍子もなく、意味の分からない問いだったがカイリの表情がいつになく真剣になっていた。


「どういうことだ? 詳しく話せ」


 カイリの期待通り、ディディエは食いつく。まさか今の真剣味を帯びている表情に『演技』という隠し味が混ざっているとは思わないだろう。

 カイリはミシュリーに与えた情報に加えて、ギスランもその事情を知っていることを話した。ギスランの事を言ったところで、カイリを強く嫌っていたミシュリーには意味はないだろう。そうでないディディエなら信憑性を上げるのに使えるとカイリは思った。


「悪霊ね。そりゃ信じ難い話だが、あのギスラン校長も知ってるなら話は変わるな」


 読み通り効果覿面で、ディディエは顔に皺を寄せて考え始めた。

 この男なら使えるかもしれない、とカイリは笑みをこぼしそうになった。カイリの中で立てていた『第三者を使う作戦』。まさか一日目でその第三者が見つかるとは思わなかった。


「心の隙に憑く、と言われたらその三人ともにいけるな。校長は間違ってないぜ。その中でもミシュリーはとんでもなく隙があるぜ」

「本当か!」


 カイリは思わず声を荒げてしまった。もしも本当ならミシュリーが黒である可能性は大幅に増す。


「仕方ない、この俺様が特別に教えてやろう」


 尊大な態度も、今のカイリにしては小さなことだった。目の前にある情報を手に入れること、それが心を支配していた。


「ミシュリーに怒られるから、あまりは言いたくなかったんだぜ? だが、事が事。言う方が彼女のためになる。だから、俺は言おう。ミシュの心の隙、悩みを!」


 大袈裟な前置きを置いたディディエ。そして、一拍あけて、


「ミシュはな……身長とお胸が小さいのにかなり悩んでるんだ!」

「そうだったのか! 確かに年齢の割には幼いと……思ってた……けど……」


 カイリは頭をおさえた。些細すぎる、あまりに些細すぎる悩みだ。こいつに期待したのが間違いだと、激しく後悔した。


「女だからな、プロポーションについて悩むのは分かるけどな。だけどさ、俺は別にそれでもいいと思うんだ。別に小さいのがいいというわけじゃないぜ。生まれつき持ったものを蔑ろにすんなっつーかなんつーか……」


 ディディエの話を聞き流しながら考えてみると、そういう些細な悩みにエラーが憑かないとは言い切れない。どのような『心の隙』に憑くかは与えられた知識の中にはなかったために、下手に否定してはならなかった。


「――と、そういうことだ!」

「だな。ありがとう、恩に着る」


 途中から聞いてなかったが重要な情報を得た。もちろん、ミシュリーがプロポーションについて悩んでいる事ではない。ディディエ=ヴィクスが、あの三人について詳しいということ。


「なあ、ディディエ。他に聞きたいことがあるんだが……」


 横を見ると、ディディエがいなかった。返事も返ってこない。


「ディディエ?」

「小石よ、小石」


 冷水の様に凍える瞳をしていたミシュリーが、ディディエの位置にいた。その足元で、ディディエがうつぶせで倒れていた。ミシュリーの右手には、カイリを一撃で気絶させた白い手甲が装着されている。


「やっぱアンタも変態ね……人の胸の話を堂々と本人の前でするなんてね……」

「ちょいと待て! それはディディエが勝手に喋ってただけで」


 カイリはじりじりと下がる。


「『だな』とか言って相槌うってたのはどこの誰ってのよ!」


 拳が、眉が、言葉が震えている。カイリの頭の中ではアラート音が鳴り響いている。


「それは、あれだ。あいつの話を聞いてなくて話を振られたから適当に返事しただけで」

「言い訳無用!」


 二度目となるミシュリーの拳が、カイリに飛んできた。防ぐこうと思ったが予想以上に素早く、カイリの腹にめり込んだ。


「ぐふぉぁっ」


 情けない声を上げながら、カイリは地に伏してしまった。

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