第4話 ミシュリー=シャイエ
校長室から出て数十分。
空は綺麗な茜色に染められている。カイリはこの夕方の空を見るのが好きなのだが、今はのんきに空を見上げている場合ではないと思うほど、焦っていた。
カイリの想定では、転位先でエラーと遭遇、対処出来るのであればその場で対処し、難しそうなら一旦身を引き、協力者と共に対処する。多くて一日以内で終わらせるつもりだった。
いくら神の粒子から生まれたエラーといえど、神様が託すのだからカイリに対処できるレベルだろう。
だが、実際はエラーがどこで起きているかすら掴んでいない。しかもその手がかりを持つ少女には嫌われてしまっている。このままでは一日どころか、一週間、下手をすれば一ヶ月以上かかってしまうかもしれない。
「この世の中、そうは甘くないよな」
カイリは気を入れ直し、目の前にある課題をこなすことに集中した。もちろんその課題とはエラーのキーとなる少女たちとのコミュニケーションを取ることだ。ちなみに彼の愛刀は校長室に置いている。交渉を行うのに、武器は必要ないからだ。
時間的に授業が終わった時間であるらしく、カイリの行く手には下校したり喋り合ったりする少年少女達で溢れかえっていた。制服を着ず、お気に入りのロングコートを羽織っているカイリは一段と目立っていたが、周囲の視線をものともせずに足を進める。
あの風呂場前から校長室に運ばれる際、ギスランから一通りの構図は教えられていたカイリは、迷うことなく目的地へと歩いていた。
そこは第二女子寮。校舎から少し離れたところにあるその建物は、質素ながらも堂々とした存在感があった。サリュー=ド=ラム騎士学校内にある女子寮の中では、綺麗で使いやすい寮として人気がある。収容可能人数は二百人強。カイリが神様に飛ばされた風呂場がある建物にして、三人の少女が泊まっているところでもある。
第二女子寮を確認したカイリは、まず入り口から少し遠い位置で三人の姿がないかどうか周囲の様子を探った。それから少し寮に近づき、怪しまれないように心がけながら建物内部をこっそり伺った。さすがのカイリでも、堂々と女子寮に突っ込んでいくような真似はしない。あの風呂場で起きたようないざこざは真っ平ごめんだった。
寮の入り口右手には事務室のカウンターがあり、中には事務員とおぼしき人影が三人あった。少し奥の左手側にはソファーがいくつか置いてあり、女子生徒がわいわいと十人近くで会話している。その中には、先程合った三人の少女はいないようだった。女子達の明るい笑い声が聞こえ、男が入りにくい雰囲気だった。しかしカイリは腹をくくり、心を落ち着かせてから足を進める。ガラス製の外開きの扉を開くや否や、カイリはすぐさまカウンターの方に体を向けた。
「すいません」
「あの、何か?」
身なりから外客だと思っているのか、特に不振がっていない様子の事務員。カイリは早速本題に入ることに。
「えっと、とある人を探しているのです。ミシュリー=シャイエという名前の子なんですが、こちらにおられますか?」
「はい、いますよ」
あっさりと答える事務の方。「知りません」と返されたら何も出来なくなるカイリにとってはありがたい返事だった。
先程風呂上がりでパジャマを着ていたことから、寮から出ていないであろう事は容易に想像がついた。けれども、彼女を呼んだところで素直にカイリの元へ来る筈がない。次はどうすべきかと考えていると、
「何かご用件ですか?」
と親切に事務員が尋ねた。そのとき、ぱっとカイリの頭の中でひらめいた。
今日の居場所が明日の居場所とは限らない。ならばどこかに呼び出そうとカイリは考えた。しかし、カイリの名前で頼んでは絶対に来ないだろう。あの三人の中で一番カイリを嫌っているであろうミシュリーならなおさらだ。ならばこの外客の衣装を利用して、「ギスランが呼んでいた」と言伝のように言えばいい。呼び出す場所は校長室前にしたら何の違和感も無い。
カイリはこの完璧な作戦にほくそ笑んだ。
「なら、一つ言伝を頼んでいいですか?」
「直接言えばいいじゃない」
聞き慣れた声にびくっと全身を振るわせ後ろを向くと、そこにはオレンジ色のパジャマを着たミシュリー=シャイエの姿があった。もちろん表情は不機嫌全開。カイリを避けようとしているのか、こころなしか距離があるように思えた。
「独りでニヤついたと思ったら、大げさなほどビビるし。何気持ち悪い事考えてるのよ」
容赦無い言葉と子供が泣き出すような鋭い瞳に、カイリは口を開けることができなかった。カイリはこの剣呑な少女を落ち着かせるためにあれやこれやと言葉を模索したが、何一つ有効と思えるものが見つからなかった。
「って、なんで私のいる場所知ってるのよ! 覗きだけでは飽き足らず、ストーカーも始めたの!?」
ミシュリーの追求はカイリの思考を待ってくれない。頭に響く声で彼女はカイリに詰め寄った。ミシュリーの声で、ソファーに座っていた何人かの女生徒がこちらに顔を向けた。
この場に長居をすることはやめたほうがよさそうだった。
「お前に訊きたいことがあって来ただけだ。それに、場所については事務の人に訊いたんだ」
ミシュリーが顔を向けると、心優しき事務員はうんうんと頷いてくれた。
ミシュリーは再びカイリを見た。
「嘘ね」
何の躊躇いもなく、ミシュリーはそう断言した。
「頷いていただろあの事務の人! 何なら直接訊きに行けばいい!」
「私にはなにも見えなかった」
それでも認めないミシュリー=シャイエ。口がへの字に曲がって開きそうにない。心もぎっちりと塞がってしまっているのだろう。思ったよりも頑固な少女にカイリは頭を悩ます以外にできなかった。
「ここにいるってことはやっぱり無罪になったのね。それか顔見知り故に軽く済んだか」
ぶつぶつとミシュリーは呟いている。カイリが平穏といることがすこぶる気に入らないらしい。
「先程の事は本当にすまなかった」
カイリは腰を九十度曲げて頭を下げた。
「謝って済むと思ってる?」
「思ってないが、まずは謝るしか無いだろう。誤解はゆっくり解いていく。急いでも新たな誤解を招くだけだからな」
カイリの真剣な表情に「むぐぐ……」と唇を噛むミシュリー。カイリとしては即刻エラー探しに協力を請いたいところだが、ここで焦って失敗しては本末転倒というものだ。
頭を下げるカイリ、その相手であるミシュリーに周囲からはさらに不思議そうな目が集まった。いったい何があったのだろうとひそひそ話まで聞こえ、さすがのミシュリーもこれには気づいた。
「ちょ、ちょっと恥ずかしいじゃない! もういいから顔上げなさい!」
カイリが顔を上げた途端、ぐいぐいと押されてカイリは寮の外に出た。カイリが口を開けようとした途端、ミシュリーが右手をカイリの顔に向けた。騒げば撃つ。聞かずともその真意を汲み取ったカイリは黙って押されるままに歩いていった。
第二女子寮横の雑木林。学校の敷地ギリギリにある憩いの場とされ、この女子寮ではくつろぎやお喋りに人気のスポットである。元々は余った敷地に生えていた雑木林で、そこを綺麗に整理して、生徒がくつろげるようにしただけである。
しかしそれは、昼の顔。日の沈みかけた今となっては不気味でしかない。街灯は数本立っているものの間隔が広い上に、橙色の弱い光。膝まで伸びた雑草はカサカサと不穏な音を立て,ただれた木々は腕にも髪の毛にも見える。
男のカイリですら入りたいとは思わなかったが、ミシュリーが有無を言わさずぐいぐい押していくのだから仕方ない。男らしい彼女ことだ、ホラーな話を聞いても鼻で笑ってすましてしまうのだろう。
「ったく、どうしてあんなことするのよ。私、凄い悪役みたいな目で見られてたじゃない」
しばらく進んだところで、カイリはようやく解放された。ぐるりと周りを見ると、見事に闇と薄暗い木々だけで囲まれていた。念のためどの方向から歩いてきたというのをカイリは覚えていたが、それがなかったら絶対に迷子になっていた。
「それより、アンタに訊かないといけないことがあったわ」
現状把握に勤しんでいたカイリに、びしっと指を突きつけるミシュリー。
「何の目的で風呂に飛んできたの? さっきは校長がうまくまとめてたけど、騙されないわよ!」
レティシアが最後に問い掛けた、最もカイリを悩ませた問い。
だが、ここは返って言ったほうが好都合だった。カイリの立場を分かり、協力してもらうためにはカイリの目的を知ってもらったほうが早い。もちろん、理解してくれたらの話だが。
「こっちに飛ばされたのは、とある人からの依頼なんだ」
「具体的に、簡潔に言いなさい」
尋問をするかのように問い詰めるミシュリーに、カイリは肩をすくめた。
「君達三人の中で一人、悪霊がとり憑いている。俺はそれを依頼者の頼みで祓いに来た」
「あく……りょう?」
「そう、悪霊」
ミシュリーの目に怯えが浮かんだ。
この世界にも悪霊という言葉がある。ギスランから聞いた話によると、死者の魂や怨念が魔力に当てられ、独立した粒界としてこの世に留まることらしい。
「それ、真面目に言ってる?」
気を張って言ったのだろうが、カイリにも分かるくらいその声は震えていた。
「大真面目。証拠はないけど、その依頼主は悪霊の位置をおおよそ知ることができる」
ミシュリーは前髪を弄りながら、カイリの言葉を吟味する。
「あ、ああー! つまりあれね。アンタはただ悪霊のとこに行っただけだと。その悪霊に憑かれちゃったのがたまたま風呂に入っていた私たちの誰かと」
いつもの口調に戻ったミシュリーに、その通りと首肯した。故に、これは故意ではなく事故。ようやく分かってくれたかと安堵した直後、
「そうねー、それならある一点を除いて筋が通っているわね」
「……ある一点とは?」
「悪霊なんてあやふやなものを、どうやって捕まえんのよ。というかそもそも、悪霊いるの? 何かの比喩?」
悪霊という言葉の定義は確かにあり、現象も実在する。しかし、悪霊が目撃された件数は遥かに少なく、いくつかは何かの勘違いだったということもある。なので、実際に出会わなければ怪談として扱われることが多い。
しかし、この事に関して尋ねられることは想定内だった。
「今すぐに悪霊を証明するのは難しい」
だから、カイリは言う。
「ミシュリー=シャイエ。俺の手伝いをしてくれないか?」
「別に証明してなんていらない……は?」
いきなりの提案に、次はミシュリーが言葉を詰まらせた。
「君らの中の誰かが悪霊に憑かれている。悪霊は心の弱みや闇を好み、結果として憑かれた人は普段と違う挙動を取ることがある。その些細な変化は、普段から仲がいい人でないと分からない。ここの地理に疎いから、それのサポートもしてほしい」
畳み掛けるようにカイリは言った。なるべく具体的に、胡散臭いと思われる『神』という言葉を使わずに目的を伝える、カイリが懸命に考えだした方便。
「心の闇、ね。もし私が憑かれてたら?」
「他の二人が異常なかったら疑うさ」
おどけたように、けれど真剣に答えた。彼女は俯いて考え始めた。初めは全く聞く耳を持ってくれないとカイリは思っていたが、案外聞き分けが良い子なのかもしれない。何だかんだ言いながらも、カイリの言葉を耳にいれてくれた。風呂場での事件直後では、話し合うことすら出来なかったのかもしれないのに。
近くにあった木にもたれかかって、ミシュリーからの返答を待つ。
「ねえ、アンタはその依頼者を信用してるわけ?」
「もちろん」
カイリはミシュリーが言い終わるかどうかのタイミングで首を縦に振る。
「コンマ以下の即答ね。どれだけ信用しているのよ」
神遣いが神を信じずして、何を信じるというのか。もちろん、声には出していない。
「私はアンタを信用してない。だから、お断りね」
きっぱりとミシュリーは断った。予想していたとはいえ、少し期待があった分寂しいものがあった。たからといって、カイリも簡単には引き下がるつもりもない。
「本当なら、あの二人や君が危ないんだぞ」
「そうね。本当ならば。でも、あなたも自分の依頼のために動いてるだけであって、私たちのために動いてるわけじゃないわ。だから余計に無理よ」
ミシュリーは拒否の姿勢を崩さない。そして、痛い所を突いてきた。だからといって、先程の言葉今撤回しても意味は無い。
この分だと、ミシュリーは協力的になってくれなさそうだ。同じくカイリを敵視していたアンリエトも可能性は低い。
――となれば、レティシアを使うか。
カイリの思考がそこにいたるのは、ごく自然のことだった。それも無理なら、彼女たち以外の第三者を利用する手も真剣に考えなければならないかもしれない。かかわる人間が大きくなればなるほど収集がつかなく恐れがあるので、カイリとしてはあまり気が進まないが。
ふと、カイリはエラーについての情報を思い出した。
「一つ聞いていいか」
「何?」
「俺の探している悪霊は、憑いた主に話しかけることがあるらしい。理由としては、主をより乗っ取るためだとか。……そういう事を言ってるやつ、見たことないか?」
「な、なんかホラーね……。な、ないわよ」
またも声が震えているミシュリーだが、カイリは特に気に留めなかった。
「とにかく! 私は協力しないわ」
ミシュリーはカイリに背を向けた。カイリは引き留めようとしない。
「……それに私は、二人の心を掘り返すことなんて出来ない」
それは葉のざわめきに掻き消されそうな小さい声だったが、はっきりとその声はカイリの耳に届いた。
姿が見えなくなるのを確認し、カイリは溜め息をついた。
対等に会話したのはたいした進歩だが、収穫はそれのみ。『自分の依頼のために動いてるだけ』。この言葉には胸をえぐられるような痛さを感じた。確かに、カイリは彼女らをエラーかどうか測る重りにしか見ていない。ミシュリーという重りをとって、アンリエトとレティシアの重りを天秤にかける。傾かなければ、ミシュリーが黒。
そして、最後彼女が残した言葉についてはカイリの失念だった。人の弱みというのはとてもプライベートな面であり、他人にも触られられたくないもの。知らない人の意味の分からない理由のために友達の心の傷を抉るなど、誰がしようか。
相手は人間。ゲームの中の駒とは違い、心を持っている。
空は既に闇色で、辺りに見えるのは二本の街灯と薄暗い木々のみ。その光景はまるで今の神託のようだった。与えられた明かりしかカイリはエラーを知らず、それ以外は真っ暗。
本当に悪霊が出かねないな、とカイリは独りでに苦笑してギスランの元へと帰ろうとしたときだった。
ミシュリーがカイリの方へと、まるでひよこのような足どりで戻ってきた。
「どうした?」
「……別になにもない」
そう言って、カイリの背後に回った。どうしたのだろうと振り向くと、さっと目を反らした。頬が少しだけ赤くなっている。ミシュリーが何をしているのかまったく分からないカイリ。
「俺を背中から刺したいのか?」
「マジで刺すわよ」
カイリは違和感を抱いた。ミシュリーらしい言葉だが、どことなく強さがない。
「いいからとっとと歩きなさい!」
ミシュリーの挙動を考えていると、早く歩けと強く背中を押された。今のミシュリーは何かおかしいと思いつつ、カイリは仕方なく歩みを進める。
「もしかして、怖いのか?」
「こここここ怖いわけ、ないじゃない! アンタが、その、悪霊だとかなんとか言うから!」
がくがく、ぶるぶる。
予想外の図星。よく見ると、少しだけ目が潤んでいるように見えた。先ほどミシュリーの声が震えていたのは、悪霊の話に怖がっていたからかもしれない。
「なるほど。怖がりか」
ミシュリーは思いっきり背中の皮膚をつねった。
「痛い痛い! 本気で捻っただろ!」
「何回も言うからよ」
ついに覇気のなくなったミシュリー。だが、カイリから離れる様子はない。
カイリは肩を落とした。
「つれて帰れというわけか。一つ条件がある」
卑怯なのはカイリにも分かっている。けれども、このタイミングを逃すわけにはいかない。
「別にそんなこと頼んでないわ。あと、変態仲間になるのはお断りよ」
「もし君の友達に何かあったら、ギスランの所に来るように。俺は基本、そこにいるから」
カイリの渾身の一言。自分からは何も求めない。だけど、求めて来たら助けてやる。ミシュリーは「えっ、えっ」と狼狽した。そして一回ゆっくりと深呼吸し、
「……ないわよ、そんなこと」
とだけ言った。それが強がりで、カイリの言葉が彼女に届いているのは分かっていた。
「じゃ、ここでさよなら」
「うそうそうそ! 分かった、分かったから!!」
分かっていたからこそ軽口を叩いたのだが、ミシュリーから引き下がるとは思わなかった。ミシュリーはぎゅっとカイリのコートを握る。その所作は幼い子供のようで、可愛らしかった。
カイリはしばらく、喋らずにお姫様のエスコートをした。風で葉が揺れるたびに、コートが後ろに引っ張られるような感じがカイリに伝わった。カイリはこうやって誰かに頼られるという経験がなかった。だから、どこからともなく感じるむず痒さに、戸惑わずにはいられなかった。
そして、ようやく寮の灯りが見えてくる。
「もう、歩くの遅い。眠るところだったわ」
安全地帯に入ったミシュリーは今までのしおらしさをかなぐり捨てて、カイリの前に躍り出た。
――なんとまあ、現金な性格をしているものか。
「早く歩こうとしたらコートを引っ張ってきたのはどこのどいつだ」
「草木に引っ掛かっただけじゃない?」
自分に都合の悪い事実の隠蔽は完了したようだ。先ほどの弱弱しい態度が嘘のように、堂々と歩き始めた。やれやれと思いながらカイリもついて行く。
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