第3話 エラーとは
「なるほど。神託でお前はここに来たのか。おっと、儂に期待はせんでくれよ。エラーという名前にも事態にも、出会ったことがないのでな」
数多のトロフィーと賞状に包まれた校長室の真ん中にある接待用の椅子に座り、一通りの話を聞いたギスランは残念そうに肩をすくめた。その際に重心が変わったのか、ギシッと椅子が軋む。
ギスラン=ラフォルジュ。この『サリュー=ド=ラム騎士学校』の校長にして、カイリ同様に神に仕える『神遣い』でもある。そして『ディンギル』を否定したカイリの知り合いで、父と子のような間柄だった。
出会いがしらでギスランに驚かれたのは、神様から神託の現地協力者となるようにと言われていたが、面識のある神遣いであることは教えられなかったからである。
エラー自体の情報を得られなかったのはカイリとしては予想外で、ギスランの対面にある接客用の椅子の上でため息をついた。もちろん、縄から解かれた状態で。
「でも、大体どのようなものかは察しがついている」
「ほう?」
ギスランは感心したような声を上げ、椅子の肘置きで頬杖をついた。またも椅子が悲鳴を上げた。カイリは段々椅子が心配になってきた。
こほん、と咳払いをして気持ちを切り替えた。
「エラーは大きく分けて2つの現象を起こらせる。世界を狂わすか、心を狂わすか、だ」
転位の際に得た知識の中で、一番初めに流れてきたものがこの事だった。
「エラーの元であるディンギルの性質がそのまま反映されたのかの。上位概念まで干渉できるがゆえに世界を狂わせ、心に大きく依存しているがゆえに心を狂わせる」
「ああ。そして、前者の場合、ディンギル濃度が通常の倍を超えてしまうため神遣いなら直ぐに分かるらしい。だが、あの風呂場は至って正常だった。ということは、だ」
カイリは足を組み直して、
「エラーは、誰かの心を狂わせている。しかも、あの三人のなかの誰かである確率が高い」
「三人は周囲には人がいないと言っておった。だが、そうなれば誰か気づくのではないか? エラーがディンギルからできているのならば、例えば挙動がおかしくなったり、変な力を使い出すようになったりするのではないか?」
「そうやって行動を起こすエラーもいれば、そうでないエラーもいる。人の心と同じでディンギルも」
そもそもエラーは、人や世界に害を及ぼすディンギルのみを指す言葉ではない。本来のディンギルの性質から外れたディンギルのことである。故に、エラーによっては全く害のないものだって存在する。
「神様はそういう事も含め調べてこいと、神託を出したんだ」
「では、どうやってエラーを見つけるのかの?」
「人の心に取り憑いているディンギルを手っ取り早く追い出す方法は彼女らの心を揺さぶることらしい。エラーと宿主との心の動きをずれさせれば、変な挙動をしたり強制的に体を従えようとエラーが活発化する。そうすれば、俺にも感知できるらしい」
どの情報も、転位の際に手に入れたもの。神様が与えてくれたものである以上間違いはないと思うが、実際に対峙したことが無い以上断言はできなかった。
いきなり、ギスランが両手を叩きながら笑い出した。
「なるほどなるほど、カイリくんが女風呂に突撃したのは『羞恥』と『怒り』という感情を起こさあせる為だったのだな? 確かに女性の感情を奮い起こすにはあれほどいい手はないかもな」
カイリは顔を赤くした。お風呂での件を意識してしまったからだ。お風呂にいたときは平然を装っていたが、カイリも一人の男。何も感じていないわけではない。
「違う! あれは神様の転位に従っただけで!」
ほう、と意地の悪い目がカイリに突き刺さる。今のカイリが何を言おうと説得力は全くない。
「ははは、冗談だ。しかし、その年になって若々しい女体を同時に三人も拝めるとはなんとも羨ましいやつよ」
カイリは心を落ち着かせ、わざとらしくため息をついた。
「ギスランは相変わらずおっさんだな」
「カイリくんも相変わらずの生真面目坊やじゃないか。あと急いだところで、神託は解決せんぞ?」
ギスランの的確な指摘にカイリは口を噤んだ。確かにカイリは初めての神託なので、確実に素早くこなそうとしていた。それは神様への貢献にも繋がれば、エラーによる被害も最小限に収まるからだ。
「つまらん話はさておき、あいつらの話に変えるか。お前の、というより神様の話が正しければ、あの三人のうち誰かがエラーに取り憑いているとなるんだったな」
「……一人だけとは言い切れなけどな」
カイリの言葉を聞きギスランの表情が少し変わった。ギスランは立ち上がり、ゆったりと部屋の奥にある窓へ歩いた。高さ一メートルほどの大きな窓の外には生い茂った草木がざわざわと怪しげな音を鳴らしていた。
「どうかした?」
いきなりの行動にカイリは首を傾げた。
「なあ、そのエラーだが、どういう人物なら憑きやすいとか、条件や法則があったりするか?」
ギスランの声の調子は変わっていない。気のせいかとカイリは思い記憶を辿った。
「……あっ、ある。そういえばエラーは心に隙がある人間に憑きやすいらしい。心の隙というのは――」
「人の極端に偏った思想、情緒不安定。そして、心的外傷のことかの?」
ギスランは低い声音で尋ねた。
「あ、ああ。何か心当たりでもあるのか?」
カイリが訊くと、ギスランは振り返った。眉間にシワを寄せ、目が床に向いている。心当たりはあるが、あまり言いたくはないといった雰囲気が伺えた。
「『心の隙』についてだが……残念ながら三人とも、ちょっとした事情を抱えててな。そういう意味では、誰に憑いていてもおかしくはない」
カイリは本日何回目かになるため息をついた。カイリが思っていた以上に難航しそうだった。
「もちろん、誰がどんな事情であるかは儂からは教えられん。個人情報でもあるし、今後の信頼にかかわる。たとえ神託だとしてもな」
「名前ぐらいは教えてくれていいだろう?」
「それはもちろん。名前はどこでも知ることが出来るからな」
カイリはコートの下から小さい長方形の物を取り出した。表面には主たる神々を象徴する『生命の樹』が金箔で描かれていた。カイリ愛用のメモ帳である。
それを見たギスランはふっと鼻で笑った。
「な、なんだよ」
「相変わらず丁寧なこった。小さい頃からほんと几帳面だな」
「記憶力に自信がないだけだ」
カイリは決して頭の良い方ではない。特に暗記に関しては殊更。なので、大切な事があれば常に書くようにしていた。
ギスランに時間をもらい、カイリは手帳に転位の時に得たらエラーについての情報を筆記(アウトプット)した。得た情報のいくつかは既に忘れてしまっていて、「あんなことが起きなければ」と少しだけ運命を恨んだ。
「書けた。まず、あの生意気なちっこいやつの名は?」
「ミシュリー=シャイエ。『胸が一番小さいやつは?』って訊けばよかろうに」
「こっちは真剣に訊いているんだ。次に髪を二つくくりにした雰囲気がほんわかとしたやつは?」
「レティシア=フォンティーヌ。『胸が一番大きいやつは?』って訊けばよかろうに」
「……あの賢そうなリーダー格っぽいやつは?」
「アンリエト=リリュー。『胸が普通くらいの――』
「もういいから! ったく、変態容疑かかるべきなのは俺じゃなくてギスランだっただろ!」
あまりのふざけっぷりに、カイリは思わずツッコミを入れてしまった。
「ふっ、思春期真っ盛りのお前には覚えやすくて丁度いいだろう?」
ニヒルに笑うギスランだが、全く格好良くない。
「よかねえよ! ギスランが言いたかっただけだろ!」
「その通りだが?」
「個人情報とか信頼はどこに行った!?」
「はて、何の話かね?」
思いっきり開き直るギスラン。そういえば、昔からこんなジジイだったとカイリは思い返していた。
「悪い。カイリくんを見るとつい子供扱いしたくなるのだ」
分厚い本が多く並べられた棚へと顔を向けながらギスランはつぶやいた。
「けれど神託を自ら受けるとは、大人になったものだ。いや、神託を受けたい受けたいと小さい頃からこねていた駄々が通る年になったというだけか」
父親のような温かい声音。この冗談には言い返すことができず、カイリは小さく笑った。
本当の父親よりも父親である彼だからこそ、その言葉が似合わなかったから。
「色々聞かせてくれてありがとう。俺はもう行くよ」
カイリは軽やかに立ち上がり、ギスランに声をかけた。
「まさか、もう聞き込みに行くのか? あんなことがあったばかりではないか」
ギスランは眉をしかめた。確かにあの事件が起きてからまだ二時間経ったかどうかというぐらいだ。カイリを撲殺しかねない殺気を放っていた彼女らに、話すどころか目すら合わさないかもしれない。
それはカイリも重々承知していた。
だけど、何もしないでいるのは時間が勿体ない。後先考えず行動しようとしてしまうのはカイリの悪い癖だった。自覚はしているものの、直そうとは思わなかった。直そうとすると、判断に時間がかかりすぎてしまうからだ。
「『善は急げ』がモットーなんでね」
「『急いては事を仕損じる』という言葉もあるがな」
ギスランは苦笑して、カイリに歩み寄った。
「いいか、カイリくん。これだけは助言しておく」
ギスランは今までになく真剣な表情になって、忠告する。
「ここノルベージュ騎士国はこの世界では異常な存在なんだ。文化的にも、『粒界(サクレ)』的にも、だ」
粒界(サクレ)。この世界における魔法体系の名称。直訳すると、魔力を操る力場。人間の体内にある魔力を、詠唱や術式により性質を変化させ、体の外で具現することも粒界と呼ぶ。
カイリもこの粒界を使うことができるが、神遣いが誰しもこの術を使えるわけではない。
「それがあいつらに関係してるってか?」
「さあ、何の話やら」
肩をすくめながらとぼけるギスラン。国に文化。そして、粒界。これは調べ直したほうがいいなとカイリは思い、メモ帳に書いておく。もしかすれば、あの三人の少女はこの国の中でも特殊な存在であるかもしれないからだ。
「おっと、メモしてるついでにもう一つ。治安維持や生徒のいざこざを回避するため、この騎士学校には一定以上の術を使うと、その使用者を探知する結界のようなものが張られている。あいにく儂の管轄外だから、部外者のお前が捕まると確実に面倒な事になる。下手に粒界は使わん方がいい」
魔法のある世界ではよくある処置だ。精神が未熟な者に魔法という力を教えるということはそれほど危険なことだった。技術が上がっても、精神は変わらない。魔法を魔法でなく、単なる玩具としてしか見ない者が少なからずいるからだ。
「そういえば、忠告は一つではなかったのか?」
「お前が捕まると儂まで面倒な事になるからの。定年まで平和に暮らさせてくれ」
その言葉にカイリは鼻で思いっきり笑い飛ばした。
「じゃあ、ギスランが退職しないよう心がけるから、もう一つ教えてくれ」
「儂を脅すとは恐ろしい男に育ったもんよの」
さめざめと泣いたふりをするギスランを無視して、カイリはドアノブに手をかけながら尋ねた。
「この世界に悪霊はいるか?」
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