正体

マンションのロビーに入る前に尾行されていないか確認するのは習慣である。

敢えて回り道をし家をまず迂回する。

近くに公園があるこのマンションを選んだのも、見渡しがいい事から尾行にすぐ気付く事が出来るからだ。部屋は7階にあるのだが、ここも敢えてエレベーターを5階で降りて、あとは非常階段で登るようにしている。もしエレベーターを降りた所で待ち伏せされていたら逃げ切れないからだ。

部屋に入る前に必ずする習慣がある。ドアに仕掛けた仕掛けに変化はないか確かめる事である。ドアの下の蝶使いにマスキングテープを貼りもし扉が開けられたらマスキングテープが切れるようになっている。とてもシンプルな仕掛けだが、毎日仕掛けるにはこれが一番簡単で費用も掛からないのでこの方法をずっと使っている。仕掛けを見る限り進入された痕跡は無いようだ。


「ただいま」

もちろん返事は無い。しかし挨拶は家族が殺されたからも欠かした事が無かった。


東京支部から車で20分の所に高橋の住んでいる賃貸のマンションがある。ここは支部に勤める職員に無償で提供されているマンションの一つであり、特捜部の刑事になるとここのワンルームを借りられるようになっている。高橋は特別捜査部に入ってからここの部屋を3年程借りていた。一人暮らしで3LDKと余りにも贅沢過ぎるこの環境も、努力してこの地位を手に入れた副産物としてありがたく使わせてもらっている。

鍵を開け部屋の中に入りリビングの明かりを付けた後、書斎にあるPCの電源を付ける。

男の一人暮らしにしても、あまりにも荷物が少ない。いつも「もしも」の事を考えているため、鞄一つで何処へでも移動出来るよう咄嗟の行動にも対応出来るようにしている。

唯一こだわっているのがコーヒーメーカーで、自他共に認めるカフェイン依存症であるので東京支部の自分の机にも毎日タンブラーを持ってコーヒーを入れている。マシーンにマグカップをセットしてテレビも何も付けずに書斎でノートパソコンに目を通す。

メールを見てみると科学班の深山から新着のメールが届いていた。

「相変わらず仕事が早いな….」

ブラックのコーヒーを一口飲むとメールボックスを開く。


ここ最近、深山と行動する事が多い。

既に彼とチームを組んでから二週間が経っている。

科学班と一緒に行動するようになった事で互いの情報を毎日確認しなくても電子媒体やラボ内で把握する事が出来るようになった。現場にいても科学班の分析の結果を即時に捜査に反映する事が出来る。

深山からのメールの用件はDNA検査の結果についてであった。今日現場の付近で採取した血液を遠心分離にかけ、PCA法でDNAを複製し分析を行なった結果が出たという。結果は現場付近で見つかった少量の血液も殺された谷の物だった。

『報告ありがとう。捜査に進展がないのが残念だが仕方ない。深山も少し休むように』

そう返信しパソコンを閉じた。

コーヒーがいつもより苦く感じるのは疲れている所為だろうか。


深山は頭がキレる。

ここ二週間一緒に仕事をして思った在り来たりな感想だが、彼は今までの科学捜査班の連中とは全く違う。

無論彼等の仕事は現場に残された証拠の解析、照合、死体の解剖による死因の判明、凶器の特定など多岐に渡る為、科学捜査班の仕事はいつも多忙を極める。よって今までの科学捜査班は与えられた証拠を分析するだけであった。しかし深山は自分の足で現場に出向き、証拠を見つけ分析や検証をし、自ら仮説を立てようとする。


『深山がチームに加わってから何か良い気がするな』

『何がいいんだ?』

『何がって、あいつ凄いよ。天才って本当にいるんだな』


自分と長年特捜部一科でタッグを組む情報処理班の志摩がぽろりと零した。社員食堂でゆっくり食事をしている暇もないので、二人で買って来たコンビニのおにぎりを頬張る。


『科学捜査班って、マッドサイエンティストが与えられた証拠を狂ったように調べるだけだと思ってたよ』

『酷い言いようだな』

『みんなそう思ってるよ。でも深山はそれを変えつつある。あいつは刑事にも向いているかもしれないな』

『お前が誉めるなんて珍しいな』

『まぁな。でも正直友達にはなりたくないな。生きる機械みたいだ』


そう言う志摩も食事の時間も惜しんで業務をしている。最後のおにぎりを開けながらパソコンからは目を離さない。

確かに深山の仕事ぶりに高橋だけでなく特捜部の誰もが驚愕したのは言うまでもない。彼と直接仕事をしていない他のチームのメンバーにも深山の評価は瞬く間に噂として広がっていった。


『お前、リーダーの座奪われちゃうんじゃねぇの?』

クククと笑いながら『冗談だよ』と言う志摩も今は本気ではないかもしれないが、あと数ヶ月後実際どうなっているか分からない。自分はここにはいないかもしれない。いや、生きていればの話だが。


『彼なら特捜部犯罪科のリーダーを継いでくれそうだ』

ぽろりと言った高橋の言葉を真に受けた志摩が心配そうな表情をする。


『おい、辞めるような事言うなよマジで。お前がいなくなったらオレ友達いねぇよ』

『確かにな』

ハハハと笑う高橋を志摩が肘で小突く。

『ま、深山と仲良くな』

そう言うと志摩は分析途中のIP解析に取りかかった。


志摩が言う通り深山は本当によくやってくれている。噂だけに留まらす、彼は様々な知識を持ち合わせている為、科を超えて自身の能力を充分発揮していた。中途採用でチームに配属されてここまでメンバーの信用を勝ち取った者は今までいただろうか?


『蓮さんと仕事をすると楽しいです』


ラボで無垢な表情でそう言っていた天才検死官の顔が浮かぶ。

初日に宣戦布告をされてから深山は表面上では穏やかであるが、隙があると自分を観察している。今日も現場で深山の視線を何度も感じた。

深山の存在は個人的には別の利益が高橋にはあった。深山を手元に置いて監視出来る事。これが彼に取って大きな収穫であった。監視されているのなら監視し返せばいい。

彼に『事件を解決されては困る』のだ。


書斎にある本棚に行くと一枚の名画がある。複製だがそれなりに値段がした物だ。がしかし、絵に用は無い。

壁から絵を外すと後ろに向かせ額縁を取り外す。すると裏から鍵が出て来る。それを書斎にある大きな本棚の鍵の掛かった引き出しに刺す。蓋を上に広げると夥しい程の資料、写真が出て来る。


追っている連続殺人事件の被害者の自宅、職場、殺された現場などを盗撮した写真。被害者が家族と一緒にいる写真。これは先日殺された谷の“14年前”当時の写真だ。まだ中年くらいだろうか。皮膚も若々しい。

そして”殺害した”後の写真。青ざめた顔。飛び散った血痕。使用した凶器。被害者の音声メモ。

14年前当時の新聞記事も出て来る。

新聞の記事には小さいものから一面を飾るものまで様々だ。記事の見出しにはこう書いてある。


『特捜部刑事一家殺人事件 知能犯罪組織による犯行か』

『残されたのは長男のみ 悲痛な面持ちを語る』

『現場に残された指紋からアテーナと関わりのある暴力団体組員を容疑者と断定』

『アテーナ組員無罪を主張。弁護人は全勝で有名な谷氏』

『加藤容疑者 無罪確定 心神喪失認められる』

『加藤容疑者釈放 遺族涙を流す 生き残った長男は終始無言』

『加藤容疑者 殺害される 犯人は不明 裁判の不服による者の犯行か』


全ての資料には「アテーナ」という文字。

高橋は14年前の家族を殺害された事件を独自で調査していた。


あの事件に関して情報を集めだしたのは3年前、特捜のチームを任せてもらえる地位までいった時であった。特捜のチーフになるとチームを自分で動かせる事が可能になる上に、3階にある資料館、証拠資料室の入室が上司の許可無しに可能になる。同期や同僚に怪しまれないように、当時の資料を集める予定でいた。

がしかし、特捜部リーダーに就任しても家族が殺害された事件に関して行動出来る余地は与えられなかった。自分の家族が殺されたあの事件に関して事実を知る為に、この地位まで登り詰めたのだ。それにも関わらず日々業務に悩殺され、自身の調査を続ける猶予がない。

時間に追われ、犯罪を追う毎日。そんな日々に嫌気が刺していた。


そしてある事が計画を実行する引き金となる。


『資料の消去?』

『ああ、東京支部では解決済みと判断された事件は全て15年を持って資料毎消去するんだよ』

『そ、そんな』

『東京支部の規則だから仕方ないな……消去しないと情報が増え続けてしまうのでね』


資料室にいる管理人から聞いた言葉に耳を疑った。

東京支部では証拠写真や証拠物、資料の管理は15年と決められているのだ。増え続ける証拠は古い物から消去されてしまい調査対象として捜査する事も出来なくなってしまう。

東京支部には全国から未解決な事件、捜査が全て降りて来る最後の砦のような役割をしている。犯人が海外逃亡を計った場合、捜査は日本だけでは留まらない事もあるのだ。そのような膨大な数の捜査を捌くには捜査可能な期間を設けるべき、というのが東京支部の方針であり規則であった。

高橋の家族が殺されたあの事件も「解決済み」とされていた。つまり消去の対象である。


『あの事件は解決されてない…….』

残り3年、これが自分に与えられた猶予であった。


消去が始まる前に業務外の時間で情報を集め始めた。業務外に同僚に怪しまれずに一人で独自捜査を行なうのは危険が伴う。しかも東京支部では基本捜査官が一人で単独に捜査を行なうのは禁止されている。もし単独調査がバレた場合、懲戒処分だけでは済まされない。それでも過去に自分の家族に起きたあの事件の“真の”犯人を知りたかった。


調査を続けてから半年、14年前高橋一家を殺したとして起訴され無罪になった男がその後、謎の死を遂げている事が分かった。

彼の経歴を見るとコンビニの店員をやりつつ役者の卵として勉強をしている者で、一度軽犯罪の前科があり、それを担当したのが高橋の父親だった。しかし調査して行くうちにその男はアテーナと何の繋がりもない事が分かって来た。

犯行現場から彼の指紋が現場から採取された事で起訴されたが、心神喪失を理由に彼は数ヶ月で釈放されてしまう。その時の弁護をしていたのが先日殺された谷広太であったのだ。

彼の裁判中の供述がある。


『殺してやりたいと思ってたんです。あの男は東京支部特捜部の偉い人で僕を前科者にしたんです。人生をこの男に壊されたんだ』


彼は親父を恨んでいて殺しに入ったが家族がいたため他の者も殺したと供述しているが、実際親父は銃で頭を撃たれ殺されていた。これは犯罪心理学的に見ると少々異様である。

実は恨みによる犯行というのは、その被害者を「殺した」という達成感が欲しい事から、殺す前に相手の身体を痛めつけたり、また凶器も刃物を使う事で殺した実感を得るという事例が多くある。少なくとも外傷の一つや二つは見つかる訳だ。しかしこの時の家族は特捜部であった父も含め、皆銃で頭を撃ち抜かれていた。つまり銃で軽々を殺害するのは恨みを持つ者の犯行である可能性は少ない。

その点に疑問を持った当時の検事の質問に、容疑者の彼はこう供述している。


『恨みはありましたよ。ええ、一発殴ったかと思います。あ、いや違います。すぐ撃ちました』


この曖昧な発言に東京支部側は疑問を持った。

支部内の資料には『犯人の供述が曖昧で目線もままならない。時折弁護士に助けを求めるかの様な様子も見受けられる。こいつが本当に犯行を行なった実行犯なのか疑問である』と書かれ、その疑問を呈す様な裁判記録も見つかっている。

そして釈放されたこの裁判の一ヶ月後、この男は変死体で見つかった。あの腕の三日月の刺し傷を負って。この男はアテーナによって名の通り「消去」された。記録を読む限りそう解釈出来る。

高橋と同じく当時の東京支部の捜査員の中にも裁判の結果に少なからず疑問を抱いていたはずだ。しかし捜査は打ち切られた。アテーナが関わっていたからである。


アテーナが関係している犯罪は数多く起こっているが、全て完全犯罪となり犯人像だけでなく証拠さえ見つかっていない。国も彼等の存在に脅威を抱いているが組織自体は違法ではない為、取り締まる事が出来ないでいるのだ。

また公で捜査出来ない理由は他にもある。アテーナのメンバーは大学の教授や医師、弁護士、研究職員など社会において高い地位についている者が多い。メディアなどに露出している者もいる為、公共の場で組織を罵倒する事などは暗黙の禁止事項となっており、これらが捜査にとって大きな障害となっているのだ。


もう分かっていた。

彼等を法律に則って裁く事は出来ない。

アテーナには正規に雇っている弁護士だけでなく組織の主要メンバーに弁護士、検事、裁判官がいる。法廷に出てもこちらが敗訴するのは目に見えているのだ。


家族を殺した者達を裁く為にはどのようにしたらいいのか。

答えは既に出ていた。



棚から取り出して来た資料の中には大きな地図。今はネットでマップなども見れるがメモなどを残すには紙媒体の地図が有効だと知っている。

地図には東京湾周辺から下町、東京支部がある副都心までの地形が載っている。この地図は高橋が実際に足を運び仕入れた情報が事細やかに載っている。その場所の騒音状況、人通りの有無、死角となる場所、隠れられる場所、人の視野角度まで計算して詳細が記載されている。またメモには場所と名前が書いてあり、日付順に記されている。大きくバツが書かれたメモが3枚。


8/15「玉川土手河川敷 須藤俊介 元アテーナ幹部 殺害」

9/26 「木島製作所倉庫内 笹野信二 殺害 殺害」


二週間前に起こった事件についても記述がある。

11/1 「神奈川港波止場 谷広太 元アテーナ重要幹部 弁護士 殺害」


そしてまだバツが書かれていないメモには 

11/20 「玉川コンクリート工場西側 架橋下  三島俊介 元アテーナ重要幹部 裁判官 殺害予定」


11/30「中山燈也 現アテーナ組長 殺害予定」


20日。明後日である。


飲んでいたコーヒーを一口含む。苦みが口に広がり、特有の香りが鼻孔をくすぐる。眼下に地図を広げながら今まで殺害したアテーナの幹部の写真を満足げに眺める。時計がチクタクと静かに時を刻む音がする。

さて計画も大詰めだ。


『“刑事も”殺人か……世も末だな』


谷が殺される前に言っていた言葉が脳裏を過った。


「刑事が復讐して何が悪い?」


下唇を舐めると高橋は不敵な笑みを浮かべた。

誰にもこの仮面を知られてはならない。

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